バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

早めの身支度。インターネットよ、さようなら。

来年までは、ブログを書こうと思ったが

「善は急げ」。

 

11月に入る前のタイミングで

ネット自体をやめようと思った。

 

田中慎弥さんの「孤独論」を読んで

腹が決まり、くくった。

 

最初は、2割ぐらいは使ってもいいかな~

とも思ったが、それもやめる。

 

ネット「検索」というのは

他人の欲望を知ることが出来る一方で

自分の中で「言葉」をつかみ出すことはできない。

 

まろは「検索」という方法論に踊らされ

自分の言葉を失っているような気がした。

(検索も良い一面はあるが)

 

これからは、ボールペンを使いながら

実際に、アナログな「紙」に文章を書いていこうと思う。

 

好きな作家の「写経」もしつつ。

 

今まで、まろの読者でいてくれてありがとう。

 

そして、インターネットも

この何十年、お世話になった。感謝している。

 

平成から次の時代に移るこの「境目」&「ハザマ」で

まろは、ネットとお別れする。

 

出会いがあれば別れもある。

 

唐突だが、そんなところだ。

 

 

 

「絶対零度の日常」

「フリダ君。起きろ。起きるんだ。」

 

「はっΣ(゚□゚;) 今何時だ・・・?」

 

フリダは、眠い目をこすりながら

手元にある目覚まし時計を触って

時間を確認する。

 

「げっ?12時?なんで

こんな時間になってんだ?」

 

フリダは、目を閉じながら

数秒考えこむ。

 

「昨日は、何をしたっけか?

あれれ?思い出せない。」

 

家の外では、びゅうびゅうと

風が巻き起こっているため

部屋のガラスが動く音がする。

 

フリダ。18歳。大学生。

 

家と大学の往復が日課

 

これといって特技もない。

 

しかし、唯一、一つだけ

人には言えない「使命」を

ある者から授かっていた。

 

「さて、今日も出かけるか。」

 

フリダの恰好は

もこもこのフリース

もこもこのズボン。

 

水色であり、少し気取った

アクセントとしてズボンからは

尻尾のようなものが伸びている。

 

奇抜であるため、周囲の町の人は

彼を「変な人」「不審者」と観る。

 

フリダは家を出て

早速、実験を始める。

 

彼の日課

手を30回程度擦ることから始まる。

 

「しろいきり。」

 

彼は、両手を前に出し

手から白い霧を出し始める。

 

辺り一面が白い霧に覆われる。

 

フリダは、人の目が怖い。

 

そのため、手から白い霧を出し

姿を隠す。

 

姿を暗ましながら

目的地に向かう。

 

もちろん、フリダの近くを通り過ぎる人は

違和感があるのだが

フリダの近くは白い霧に覆われているため

フリダの姿は確認できない。

 

「ほんと、この力があると

気楽に街を歩けるよな。」

とフリダは霧の中で独りつぶやく。

 

フリダの出す白い霧は、外からは

確認できないが

中にいるフリダ自身の側からは

観えるようになっている。

 

フリダは、追い風を受けながら

すたすたと、いつもの道沿いを歩いていく。

 

フリダは目的地に到着する。

 

フリダの「使命」。

 

それは、食べ物の「冷凍」である。

 

ここのところ、冷凍などに使っている

機械などが突然壊れることがあったため

フリダは、業者から呼ばれ

冷凍食品の「冷凍」を頼まれたのである。

 

フリダは、今度はウルトラマン

ビームシュワッチのようなポーズをとり

十字の空間から「冷凍」のビームを発射する。

 

うどんを始めとする、色んな食べ物が

かちかちに「冷凍化」されていく。

 

フリダはこの仕事でお金を貰っているわけではない。

 

フリダにとってこれは

「ボランティア」なのである。

 

なぜなら、この力はフリダにしか使えないから。

 

フリダ自身は大学に入るまで気付いていなかったのだが

ある朝、どこかしらから「力をやる。」

という声が聞こえてきて

それからというもの、白い霧や冷凍の力が

使えるようになったのである。

 

フリダは、一汗かくと現場を後にする。

 

白い霧をまた使って、今きた道を戻ると

途中でさらさらとした粉雪が降ってくる。

 

フリダは、特にレミオロメンのファンではなかったが

急に歌いたくなる。

 

「こ~なぁゆき~。まうきせつは~。

いつ~も、す~れちがい。」

 

白い霧のかかった空間から

レミオロメンの歌う声が聞こえるのは

シュールである。

 

その時フリダは気づいていなかったが

そのフリダの近くには

彼の「声」をしかと聞きながら

くすりと笑い、羽休めをしている人がいたのだった。

不倫での喘ぎ声と、好きな人との喘ぎ声では「終止音」が違う説。サブドミナント、ドミナント、トニック。

音楽関連の本をブックオフ

二冊こうて、しもたw

 

で、復習がてら、トニック、ドミナント

サブドミナントについて学んでいるのだが

やっぱりこれを学んでいる最中に

「エロスな音楽とは何か?」

(気持ちいい音楽という意味で)

について考えてしまう。

 

トニックは、安定や終止を表すのだが

トニックだけでは、意味がなく

香りづけとしてのサブドミナント

期待や緊張感を表すドミナントなくして

「音楽」は成り立たない。

 

まろは以前から

アダルト動画の「喘ぎ声」の「展開」について

研究している。

 

というのも、同じ裸なのに

明らかにエロくない動画と

エロい動画があるからだ。

 

面白いのが、誰がどう見たって「美人」で

エロい体つきをしているのに

「喘ぎ声」がいまいちな場合がある。

 

そうすると「あれれ?w」と愚息が反応しない。

 

逆に、見た目的には特にそうでもないのに

「喘ぎ声」がとてもエロい場合がある。

 

言ってしまえば「喘ぎ声」は「音」である。

 

なので「あんあん」と声を出せば、人は興奮するように思う。

 

ところが、そうならない。

 

明らかに、前者と後者では差異があるのだ。

 

音楽を少しかじって学んでいるまろにはそれが分かる。

 

おそらく出している「音」が微妙に違うのだ。

 

ただ「単調」に喘いでいる美人と

「複雑なグラデーション」で喘いでいる人と。

 

まろは少なくとも、後者の喘ぎ声からは

サブドミナント」の音が

何となく聞こえる。

 

それについて考えた時

「不倫」での喘ぎ声と

好きな人との喘ぎ声では「終止音」が

違うのでは?と思い立った。

 

たとえば、絶頂に達する時の「音」は

おそらく、トニック。

 

しかし、たぶんだが

「不倫」は「罪悪感」や「背徳感」があるため

絶頂時の「音」で使われるのは「ドミナント」か「サブドミナント」。

 

「落ち着きの悪さ」を演出する。

 

まろは、かつてtaka-beeの「君はいつ?」

という曲のライブ映像に全身の細胞が

震えたのだが

今、プラウザピアノで調べた所

最後のフレーズの「寂しいね」の音は

「ソ・レ・シ・シ・ド」。

 

トニックは、ドなので

最後らしい占め方である。

 

この調子で少し「taka-bee」の楽曲研究を

していこうと思う。

 

 

 

 

ゴミとアートの「境」。

火ノ丸相撲」は

今日も大快進撃。

 

男と男の闘いっぷりが

何とも言えないでおじゃる。

 

そういえば、このアニメに出てくる

「三ツ橋蛍」という優男のキャラの声が

「誰かに似てる?」と思って考えたら

「あきそら」という、まろの大好きなエロアニメの

「そら」の声優さんに似てて

(まろ自身は、中性的ではないが

中性的キャラの絶倫アニメは大好物w)

この声優は、テニスの王子様の「不二周助」役の人だと

噂されているのだが

「その人かな~?」と調べたものの、違っていた。

 

蛍の声優さんも「中性的」な声のようだが

「あきそら」の「そら」ではなかった。

 

うーん、残念である。

 

当たっていると思ったんであるが。

 

久世の風格も「横綱」っぽいし

その内「ゲーム化」されるんでねぇか?

 

さて、そんなところで今日の本題。

 

ゴミとアートの「境」である。

 

まろはこう思う。

 

ゴミとアートの「境」目は

「カタチ」(形)であるか、ないかである。

 

たとえば、一点、ゴミが道端に落ちている。

 

人はそれをゴミだと思う。

 

しかし、たとえば、これが10個並んでいて

「カタチ」になっていたらどうだろうか?

 

たとえば、△に。

 

すると、人は不思議にもその「カタチ」に

「美」のようなものを見出すのである。

 

という発想が出てきたのは

ここんところ「泥」や「石」に興味があり

何か「遊び」を創れないかと考えていたからである。

 

たとえば

「泥サッカー」(タッカー。田んぼ+サッカー)なんかは

昨日思いついた。

(動画検索したら既にやってた人がいたがw)

 

あるいは「石」を並べて

ピカチュウ」のドッド絵みたいなものを創ってみたら?

というアイデアを思いついた。

 

今のところ、やっている人がいないので

まろがやれば開拓者として

その先陣を切れる。

 

そこで思ったのだが

こういうのも「カタチ」にするから

魅力を感じるのであって(あくまでまろだけかもしれんがw)

これが、乱雑に並んでいたらアートにならない。

 

よく、人に対して「ゴミ屑」とか言う表現があるのも

その人が「カタチ」になっていないからなんじゃ?

と思うようにもなった。

 

その人に核のある何かがあれば

こんなことは言われないのではないだろうか?

(もちろん、アートを「ゴミw」と言う人は

いくらでもいるが)

 

今日は、生憎地元の講座に出るのでできないが

明日辺り、川原に行って

ピカチュウのドット絵」を「石ころ」で

創って、YouTubeにあげようと思う。

 

今、ペットボトルのふたで

ピカチュウ」の「耳」に挑戦して

案外、面白いことに気づいたので。

 

田んぼアートや、石に絵を描くアートがあるんだから

石「自体」をアートにしちゃうのがあってもいい。

 

手始めに「ピカチュウ」。

 

ピカチュウ」自体は、昔

「写し絵」で、透明な紙を使って

「絵」を描いたことがあるので

たぶん、何も持っていかなくても創れるだろう。

 

ピカチュウを石で創るなんて初めてだから

どきどきするでおじゃる。

 

 

 

漫画「ホイッスル!」が、無性に読みたくなる。「もっと遊べよ」を超えるセリフを未だ知らない

キャプテン翼」や

エリアの騎士」よりも。

 

まろにとっての「思い出」のサッカー漫画は

ホイッスル!」である。

 

そして、YouTubeの動画観てたら

アニメやってて、無性に

ホイッスル!」が読みたくなった。

 

風祭や、水野。

 

シゲさんや不破といった面々も好きなのだが

やはり何と言っても

松下やおやっさんといった「おじさん」たちの

活躍は見逃せない。

 

どうやら「メジャーセカンド」や

「ボルト」のように

ホイッスル!」も、二部作として売られているらしいが

漫画としてはどうなのだろうか。

 

まろは、最後らへんの巻で、シゲさんが

水野に発する「もっと遊べよ」のセリフが

(今、調べたんだが出てないのはなぜ?まろの勘違い?)

大大大好きなのだが。

 

折角なんで、もう一回、ブックオフ辺りで探そうか。

 

正直、まろはONEPIECE

その他の漫画より「ホイッスル!」が大好きなのである。

 

これは、リアルタイムでサッカーやってないと

分からんのだよな。

 

なんで、売っちゃったかなw

 

追記。

あと「コロッケ!」も買い直したい。

 

ポケモン+気功=ポケモン気功。一日目。マダツボミやハッサムなど。

スワイショウが続かないので

諦める。

 

その代わり、代わりの運動を

考えることにした。

 

名付けて「ポケモン気功」。

 

今はマダツボミ気功をやっているのだが

365日、気分に合わせて

ポケモンを変えることが出来るのが

この「気功」のおすすめポイントだ。

 

結局、気功のポイントの一つは

「ゆっくり」動かすことだと分かったので

「つるのムチ」や「せいちょう」

「どくづき」や「しぼりとる」といった技を

自分なりの「身体技法」で

「ゆっくり」やる。

 

型にはまれないなら、型を創ればいい。

 

水瓶座っぽい考えである。

 

マダツボミの動きは割と

ヨガや太極拳に近いので

最初の手始めとしてはよかったかもしれん。

 

今は「ハッサム」で気功している。

 

割と「二足歩行」のポケモンの方が

やりやすいかもしれん。

 

面白いのが、たとえば

両足で立ち、動かないで上半身だけ

円を描くように「ゆっくり」動くと

内臓が動くのが分かる。

 

たぶん、ゆったりした動きが

内臓をマッサージしているのだろう。

 

大好きなポケモンと気功を組みわせたら

「続く」のでは?と考えた結果

生み出したのが「ポケモン気功」。

 

はてさて、続くのやら。

 

 

おもしろい場所は常に変わる

「知識」というのは

食べ方があるんではないか

と考えている「おとなし」。

 

それこそ、洗ったり

焼いたり、干したり。

 

一般的な「知識」の詰め込みでは

そういうことは言われず

ただ、脳に入れ込むことだけを優先する。

 

だが、今のまろはそれは無理だと断言する。

 

もし、まろの読み通り

「知識」には食べ方があるならば

そのまま「かじる」ことは「危険」である。

 

食中毒や下痢、人によっては

病院送りなんてこもありえる。

 

まろはそのことを考えてから

無駄に知識をつけることをやめたのである。

 

それよりも「どう」調理するか?

 

そこを考えるようになった。

 

この言い方では伝わらないだろうから

一つ例を出そうか。

 

たとえば、ポケモンで有名な「ピカチュウ」。

 

まろたち、ゆとり世代

おそらく、何の無理もなく

この「ピカチュウ」という知識を覚えている。

 

だからどうやって覚えたかも分かっていない。

 

上の世代からすれば「ピカチュウってなんだ?」である。

 

その意味不明、常識的に考えれば

覚えても役に立たない言葉を「今も」覚えている。

 

ゲームを通して?アニメを通して?

 

そうやって覚えた一面もあるだろう。

 

人は熱中して没頭して沈潜すると

覚えてしまう傾向はある。

 

しかし、受験勉強でも同じことをしているのに

なぜか、大学を卒業した頃には

記憶から抜けている。

 

この違いはなんだろう?

 

そこで考えてみた。

 

おそらくだが、少なくとも

まろは「ピカチュウ」を覚える時

きちんと「知識」として

洗ったり、焼いたり、干したりしていたのではないか。

 

ここで言う「洗う」などの行為は

そのままの意味ではない。

ピカチュウは、現実には存在しないので)

 

そうではなく、その「言葉」を通して

色んなイメージを膨らませていたのではないか。

 

たとえば、ピカチュウを人に当てはめたり。

 

ピカチュウの電撃をくらった自分を想像したり。

 

ピカチュウ自体になりきったり。

 

受験勉強で置き換えてみれば分かる。

 

まろは、日本史が得意だったが

今は、ほとんど忘れている。

 

石橋湛山という人がいる。

 

何をした人かは忘れたが

「知識」としては残っている。

 

受験勉強で「詰め込んで」覚えて残っているだけ。

 

「知識」としては、腐りかけている。

 

だからたぶん、まろの口から「石橋湛山」の話をしても

人はその言葉を受け取らないだろう。

 

なぜなら、腐っているからだ。

 

まろはブログを通して

少しずつ分かってきたのだが

自分の中で「腐っている知識」を綴るより

「美味しそうな知識」を語った方が

人は惹きつけられるということだ。

 

極論だが

ここに、今出来立ての美味しそうに見える「おにぎり」と

コンビニの賞味期限の「おにぎり」が並べば

買うのはどちらか明らかだろう。

 

人間は「言葉」を常に探している。

 

そしてその「言葉」には確実に

「美味しい」ものと「腐っている」ものの

二つが存在する。

 

この言い方を使うなら

「おもしろい」場所と「おもしろくない」場所も

存在するし

まろの経験則でいくなら

「おもしろい」場所は常に変わる。

 

今まで「おもしろくない」場所も

「おもしろい」場所に変わり

「おもしろい」場所も

「おもしろくない」場所に変わるという事だ。

 

今の話は無理くりタイトルとこじつけた。

 

話を「言葉」に戻す。

 

言葉というのを「鮮度」の観点でとらえると

失敗する。

 

たとえば、まろは、友人が

「マッシュルームカットみたいにしたいんですよね」

と言った際

「知ってるか分からないけど

ライアーゲームの「キノコ」頭の俳優さん、みたいな感じ?」

と返したところ

「それではないですw」

と返ってきて、少し盛り上がったのだ。

 

まろは友人とこのドラマの話題をするなんて

思いもよらなかった。

 

少なくとも、リアルタイムではない「2018年」に

この話題をするとは思わなかったのである。

 

これを「言葉」=「鮮度」で考えてしまうと

広瀬すず」辺りを出しとけばよかったが

盛り上がらなかった可能性は高い。

 

だから、やっぱり言葉はその人に合った「言葉」を

差し出すべきで

それは「鮮度」関係なく

その人の性格や傾向から観て

「美味しそう」に思える「知識」を出すのがよい。

 

流行に乗り過ぎると

異年齢や他世代の人と話せなくなるので

そういう意味でも、流行は「挨拶」程度に

追っかける程度でいい。

 

それよりも、自分の中にある「知識」であり

かつ、人が「美味しそう」に感じる「知識」を

「出す」ことが、相互交流として最適なのではないか

と思うのである。