useless&colorlessな連日

27歳からポケモンカード、始めました。歌が好きです。実験的に依存先(結び目)を増やしています。

面白いと思う所が面白くなく、面白くないと思う所が面白い

ようやく気づいた。

 

あるブログで村上春樹さんが好きな人、嫌いな人の

その要素は表裏一体だと。

 

つまり、コインの裏表なのである。

 

春樹さんのメタファーが好きな人は「こんな表現できるなんて!」だが

嫌いな人にとっては「回りくどい」なのである。

 

これは、さっき見ていたサンリオとウルトラマンにも似たことが言える。

 

たとえば「マイメロディ」のキャラは

かぶりものの奴だと「耳が片方垂れている」。

 

それをみて自分は

「うさぎは、両耳ピンと立ってるだろw」と思ったけど

たぶん、ファンはあれがいいのだと思う。

 

あるいは、ウルトラマンタロウ

なんか、ブーメランみたいな「斧」。

 

最初は「なんであんな武器使って戦うんだよwヒーローだろ」

と思ったけど、ファンは「カッコイイ」のだと思う。

 

だから、好きな人が「イイ!」と言っている所は

ある意味「悪い箇所」に「映る」場合もあり

よくある、ファンとアンチの応酬の無意味さがあるのは

それが、どう「映っている」かによるからだ。

 

たとえば、私はポケモンスイクンルカリオジュナイパーなどの

キャラが好きだけど、普通の人からすれば

スイクンは「馬っぽいし」ルカリオは「犬っぽいし」

ジュナイパーは「フクロウっぽいし」

嫌いな要素にもなりうる。

 

長年、好き嫌いの問題は考えていたけど

単にコインの裏表と同じ関係性だったとは。

 

つまりこれは人間関係も同じだということだ。

 

好かれるということは、ある人達に嫌われること。

嫌われるということは、ある人達に好かれること。

 

そして、自分を嫌いな人達のことを考える必要はない

ということだ。

 

なぜなら、自分を好いてくれる人がいるのだから。

 

 

 

 

 

依存先を増やす実験

自分は今まで、孤独・孤立の道の中で

生きてきた。

 

その中で、不安の中で頑張ることで

報われると。

 

しかし、やっぱりこの道は危うい。

 

今の状況でも競争している状態なのに

成功してもまた競争。

 

疲れるばかりだ。

 

今現在、

私は小・中・高・大学に友達はいない。

 

というか意図的に「孤独」の中で

生きてきたのだ。

 

それはある意味「態度」とも言えた。

 

「誰の助けもいらない」

「誰も頼りにしない」

 

そして自分ひとりで責任感と重圧で

ひたすら「努力」し「頑張って」いく。

 

しかしそうやって潰れてしまった。

 

その後も、なかなかその癖が抜けず

生きてきた。

 

だけど、やっぱり幸せに

楽しく、生きやすくいきたいなら

誰かを頼った方がいいと思うようになった。

 

もちろん今まで通り、歌は続けるけど

限界まで挑戦することはない。

 

誰がどんな情報を発信していようと

大事なのは、自分で決めること。

 

そしてやっぱりそこでのキーワードになるのは

「実験」だ。

 

今まで切ってきた「縁」は置いておき

とりあえず、新しい「縁」を作って

そこで暮らしていこうと思う。

 

ある時は、地元で暮らし、そこで貢献する生き方を

考えていたが、これは自分には重荷だ。

 

もっと、自由に。

もっと、気楽に。

もっと、ゆるく。

 

色んなネットワークとつながりながら生きていこうと思う。

 

地元に拘らない。

 

立川のリカバリーカレッジに出てみようかな。

 

 

 

 

 

やっぱり歌を歌う

絵を描く人は色んな絵を描いて

上手くなる。

 

最終的には、人を感動させる絵を創り上げる。

 

歌も同じだ。色んな好きな歌を歌って

それで上手くなる。

 

最初から感動させる歌を歌える人はいない。

 

色んな、好きな歌を歌っていければ

それで「自己満足」でいいじゃないか。

 

どんな時間にも。

 

没頭、沈潜、集中している内に

いつの間にか、一万時間を超えている。

 

上手くならなくて

それこそ「下手の横好き」でいいじゃないか。

 

そして、読書が出来ない、過食、ストレスを感じやすい。

 

これらは全て、歌を歌うことに

+になる。(歌に集中)

 

たぶん。

 

エネルギーはできる限り、歌に注ぎ込む。

 

貨幣状湿疹だろうが、統合失調症だろうが

胸鎖乳突筋が過緊張だろうが、やる。

 

というか、それらすべては

神さまからのプレゼントな気がする。

 

「どういう状態であっても

やりたいことありませんか?」って。

 

気分転換には、ポケモンカード

YouTubeを見たり、ブログ記事読んだり、

歩いたり、体操したり。

 

当面の目標は、社会福祉協議会の同じ

精神のメンバーの心に響く歌を歌えるようになること。

 

感動でなくていい。

 

自分の心、歌の心が伝わるような歌が歌えれば。

 

緊張?姿勢?上手い/下手?人の目?

 

知った事か。

 

歌いたい、から歌う。

 

それでいいじゃないか。

 

かけた時間が無駄かどうかは

こちらが決めるもんで

人がとやかく「効率」や「能率」を言うもんじゃない。

 

大きな声、高音?

 

関係ない。

 

どういう形であれ、歌い続けた人が

普通の人が越えられない「一線」を越えられるんだ。

 

今までは「調子が悪い」とか「楽しくない」とかで

「飽きて」やめてしまった。

 

だが、今回は違う。

 

やる。やり続ける。

 

肩の力を抜いて。自然体で。

 

声帯を震わせて。(ここだけ、岡田先生の教え)

 

年明けたけどな

別に落ち込んでるわけではない。

 

ネガティブ感情が渦巻いているわけでもない。

 

ただなんとなく、ぼやーっとしている。

 

何と言うか「欲望」が出てこないのだ。

 

これしたい、あれしたい、という欲望が。

 

大学時代に学んでいた、哲学・政治学・文学

つまり「読書」は、今は自分にとって

元気になる薬にあまりなっていない。

 

現実逃避したい、という思いもないのだけど

じゃあ、自分の現実を生きるだけというのも、疲れる。

 

いちおう、去年の暮れからポケモンカードを始めたけど

それはどちらかというと細々とやっていこうと思っていることで

今のところ、そこまでのめり込めていない。

 

野口体操(ゆるゆる体操)は継続してやっている。

 

糖質制限はお正月もあって、なかなか実行できていない。

 

アドラー心理学は実践したくなる割に

いざ、自分の身近な人に関わると

「疲れて」

「ああ、これを継続するの大変だな」となる。

 

長々と書いているけど

シンプルに言うと「喜び」が出てこない、と言ったところか。

 

「そりゃ、家にいることが多いのだから」

とある人は言うかもしれない。

 

しかし、今年に入ってつい最近も、半年ぶりぐらいに

友人と連絡が取れて遊んだのだが

「何か」「人」に対して「関心」を失っている自分がいるのだ。

 

統合失調症の「陰性症状」には「興味関心」の「低下」があるので

まぁ今に始まったことではないのだけど。

 

意識的に、人に興味を持とうとするのだけど

なぜか、続かない。

 

昔から、周りの人に興味に関心を持ったことはあまりないので

そういう自分が過去にいたのは事実。

 

しかし、病気になってからそこを変えられるように

意識して、人に興味を持つように生きてきたのに。

 

また、昔の自分に戻っている感覚がある。

 

ふと、分裂勘違い君劇場というブログで

読書について書いてあったことを思い出す。

 

www.furomuda.com

 

この中で「他人の情動シュミレーションを自分の脳内で行うのは、

自我を守ろうとする力と逆の力が働くことも多いため、

しばしば自分を破壊し出血させる」と書かれている。

 

読書にしろ何にしろ

自分だけの興味・関心で動いていたら

成長がないと、ふろむださんは言っている。

 

今、自分は自分の関心領域だけの世界を創り上げて

止まっているのではないだろうか。

 

 

 

サバゲーや、フットサルもいいな

目移り感、半端ないけど

サバイバルゲームや、フットサルも

やってみたい、ことの一つ。

 

サバゲーできるところ

近辺にあったw

 

ちょっと、難しそうだけどな。