バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

明日使えるムダ知識を彼方に~「水晶の削り屑」

「役に立たない」の代表が

「水晶の削り屑」。

 

これは江戸時代のことわざで

言葉通り「役に立たない」の意味を持つ。

 

まろは、漢字も大好きだが

ことわざも好きなので

こういう「ええ感じ」のことわざを観ると

こうも解釈した、なる。

 

「たとえ、削り屑であっても

水晶の屑なのだから、きらきらしていて

綺麗なはずだ。

野菜のクズとは違う。」と。

 

まろは以前のブログでも書いたが

水に関する言葉が

好きで拾い集めていた時期がある。

 

「明鏡止水」とか

「行雲流水」とか。

 

「畳の上の水練」とか。

 

とにかく、水に纏わる言葉が好きで

最近なんかは、音楽で「水」に関する曲を発見し

喜んだわ。(*´▽`*)

 

ラヴェルの「水の戯れ」。Eテレでも使われている。

 

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ドビュッシーとは違い、形式性を重んじたと

あるブログでは説明されていたラヴェル

 

この「水の戯れ」。

 

フランス語では「噴水」の意味のようで

まぁ両方のイメージを持ちながら、この曲を聴くと

水の動きが何となくイメージできるw

 

まぁそれはともかく。

 

さっき、アフリカのことわざの本も読んできたし

ことわざの奥深さは、まだ底知れない。

 

そんな中、観たトリビアの泉の動画が面白くて爆笑www

 

 

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たった、短いコメントの中に人生観が凝縮されているといっていい。

 

言葉で相手をねじ伏せようとか

相手の感情に訴えかけようとかさえしていない。

 

悪い意味では、人間として生きてる感じがしないが

いい意味では、超然として、潔い。

 

一方で、まろは今日もきらきらとした削り屑を

まき散らす。

 

最近は「大学巡り」も面白いかもな、と

思っているところである。

(明日は、ルーテル学院大学に行ってくる)

 

テルーの唄の入りと、うさぎうさぎの童謡似てるわなw

童謡の本を購入して

メロディをドレミで歌ってたら

気づいちゃった気づいちゃった、わ~いわい。

(@テッカちゃん)

 

この本によると

「うさぎうさぎ」の童謡の

最初のメロディは

「ファ ファ ラ」なんだが

これって、「ゲド戦記」の

テルーの唄の「ゆう~やみ」の入りと同じw

 

この歌を聴いて、鳥肌が立った人も多いだろう。

 

JPOPは、大衆を相手にするため

毛嫌いする人もいるが

「テルーの唄」は、別格の本格派である。

 

切ないような、悲しいような

かといって、突き放すような感じはなく

何か、懐かしい気持ちが沸いてくる

そんな感じ。

(感覚的だなw)

 

当時はそれぐらいにしか考えてなかったが

どうやら「うさぎうさぎ」の

オマージュなのかもしれん。

 

こういうのに気づくと、嬉しいわな。(*´ω`)

 

知らない人のために、動画を貼っておくよ。

 

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追記。

あと、この「森田童子」さんの

「淋しい雲」。

 

まんま、ポケモンのクチバシティじゃないかw

 

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ワンピースは、どちらかというと「おじさん」キャラたちの「言葉」が身に染みて泣ける件

初読者で

ワンピースを読む人はルフィを取り巻く

主要キャラに惹かれることが多い。

(まろは、小学生だった頃アニメ放送当時は

専ら、ルフィというリーダーシップ発揮する

キャラに惹かれていたので。たぶんw)

 

しかし、読み返してみると

「おじさん」キャラたちの

「言葉」が身に染みて泣ける

ということに気づく。

 

たぶんだが、周りにこういう言葉をかける

「おじさん」の存在の有難さに「泣く」のだろう。

 

たとえば、シャンクスが

身を挺してルフィを魚獣から守り

「片腕」を失うシーンは鳥肌物だが

これはあまりに有名なので、個人的にそこまで好きではない。

 

まろが、泣いた「おじさん」たちの「言葉」を

紹介していく。

 

①オーナーゼフの「風邪引くなよ」

 

これは、名シーンとして有名だが

やはり、旅立ちの場面であの「心配り」というか

「気遣い」のできるゼフの度量・力量は

百戦錬磨の「言葉」だろう。

 

最近、飯能駅のデパートで

ユニクロで売れ残った「ゼフ」のTシャツを

購入した。

東京などで、ゼフのTシャツを着てたら

それは「おとなし」だと思ってもらって構わないw

 

②ココヤシ村のゲンゾウの「もういいんだ」以降のセリフ。

 

アーロンに裏切られたナミのために動こうとする

ココヤシ村の住人達。

それを止めようとするナミ。

まだ頑張るというナミ。

そのナミを抱きしめ

「もういいんだ」と言葉をかける村の村長、ゲンゾウ。

 

まろは、ごく普通の村長である

ゲンゾウに憧れて「無精ひげ」を伸ばし始めた。

 

「忍耐」の中で、生き延びてゆくことを決意した

ゲンゾウ(ゲンさん)たちの心中は計り知れない。

 

「現実」と「理想」に思いを馳せて

ナミと「一蓮托生」することを決める「ゲンゾウ」

の心意気に感じ入ると涙を止めることができない。

YouTubeの「ワンピース 名場面」の検索で

出てくる動画のゲンゾウのセリフは名シーンである)

 

高野山大学」でもらった「付箋」を

今、初めて使いそのシーンに貼る。

 

③ドラム王国のヒルルクとの「出会い」。

 

これは、さっき言った動画のチョッパー編を観ると

分かるかもしれない。

 

チョッパーは「群れ」から外れ

一人孤独で生きてきた。

 

そんな中、チョッパーの目の前に

「心を開く」おじさんが現れる。

 

それが、奇才のドクター。ヒルルク。

 

ヒルルクと言えば

「人はいつ死ぬと思う?」のセリフが定番だが

まろは深いとは思うが泣きはしなかった。

 

その代わり、半裸になって

チョッパーと初めて対面する動画のワンシーンを観て泣く。

 

これは、くれは(KREVAではなく)

のセリフが入っているせいもあるが。

 

セリフは今、手元に漫画がないので

うろ覚えで言うと

「俺はお前を撃たねぇ!」みたいなシーンだった気がw

 

世の中には

「必ず助けてくれる人はいる」ということを

身に刻んだシーン。

 

他にも沢山、紹介したいのだが、書いてたら

少し休憩したくなったので、ここいらで切り上げ。

 

三人しか紹介できず

今回はアラバスタ編の

「ユバのおじいさん」の名台詞とか

紹介できなかったのだが

「おじさん」だけでなく

「おじいさん」の描き方も

(最初に出てくる、プードル村長とかねw)

尾田先生の特筆すべき点。

 

たぶん、年齢を重ねる内に

感情移入できるキャラが増えるんだろうな。

 

これだから、名作漫画は、繰り返し読んでしまう。

 

追記。

 

今朝、変な夢を観て夢の内容で泣いたり

このJPOPピアノBGMを聴いたりして

泣きまくっている。

 

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個人的には、HYの366日のピアノ音が沁みる。

 

 

まろの書いた中身のない記事は流し見でいいからw

「罪と快」の記事が

上位にランクインしてるw

 

頼むから、他の記事を読んでくれ。

(´Д⊂ヽ

 

書いた本人からすれば

こういう記事は特段の意味はない。

 

むしろ、今日書いた「埼玉どこぉ?旅行」

みたいな記事の方が「力」入れてるんで。

(読みやすいワケではないが)

 

200記事のコンテンツ力はともかく

中には「2000字」近い分量の記事もあるので

「読みにくい」かもしれないが

読んでほしい。

 

決して「役に立つ」記事は書いていないが

時間差で、あなたの経験に役立つと思う。

 

あなたの観ている世界と

まろの観ている世界は違うんでね。

 

はてなブログは途中でやめている人が多いので

「またかw」と少し悲しい( ノД`)シクシク…

気持ちになるのだが

これを観ている人は

おそらくブログに興味がある方なので

「暇」なら始めることをおススメする。

 

最初は「こんな記事誰が読むんだよw」

という記事が量産される。

 

自己完結で、自分に向かって書くような文章や

ポエマーのような文章が出来上がる。

 

だけど、そこで「諦めず」

「もうちょっと続けてみるか」とやってみると

少しだけ視界が開ける。

 

まろは、飽き性ではあるが

粘り強い事で有名なので

続けられているのかもしれない。

 

また、役に立たない記事を量産する力が

あるのかもしれない。

 

今月は少しペースが落ちているが

それは「ネタ」の減少ではない。

 

逆なのだw

 

むしろ「ネタ」が増えすぎて

どういう形で、どれをアウトプットすれば

いいのか分からなくなってしまっている。

(メモ帳には、メモだらけ)

 

まろも最初はネタを考えるのに

一苦労だった。

 

自分が観た動画や、経験したことを

書くので「精一杯」で。

 

でも、情報を出している内に

自分の中で「循環」(スピリチュアル用語w)が

始まっていることに気づき

イデアがバカバカ出てきたのである。

 

もちろん、重複しているネタもあるし

お世辞にも、文章はまだまだ改善の余地はある。

 

ただ、まろは基本的に文章は「勢い」と

「感情」が伝わるかだと思っているので

「論理」とか「文章術」とかは二の次である。

 

これは内田樹さんの本から教わったことだが

「多孔」的である文章が

(つまり、色んな価値観の声が入っていて

読み手を気持ちよくする)

いい文章であると、言っていて

「これだ!w」と思って以来

それだけを目指している。

 

特に、まろの文章は「オリジナリティ」とか

一切、無視。無死。

 

人から浴びてきた言葉を

人から受け取った語彙を使って

書いているだけ。

 

ただどこかで言葉を「取捨選択」しているから

(内田さんの言葉を使えば「こびと」か)

その言葉遣いは、オリジナル「っぽく」

感じる人もいるかも。

 

まぁ、とにかく。

 

独りよがりの文章よりも

ポリフォニー(多声的)であることを。

 

それを書くためにも、自分とそれ以外の人の

「言葉」や「声」を知る事。

 

その反復が、いいアイデア

いい文章を生み出す条件だと思う。

 

くそ~。

 

最初200字で止めようと

思ったのに1000字超しちゃった。

 

 

ねえ?ムーミン。

昨日は、埼玉にある元加治駅を降りて

トーベヤンソン」の

ムーミン」公園に行ってきたわ。

(通称・あけぼの子どもの森公園

 

ここんところ、気力が出なかったので

大愚住職の「無気力」について動画を

再度、見直した。

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ちょっと「アタマ」を使いすぎてた。

 

なので、少しまた「からだ」を使おうと思い

今週に入って、近くの土手を一周したり。

(なぜか、道の横にキノコが生えていて

びっくりΣ(゚Д゚))

 

で、一昨日、何となく「ふと」

「飯能」という場所が気になり

調べていたら、近くにムーミンの公園があると知り

行こうと決意する。

 

途中下車駅は「新秋津」駅で

歩いて「秋津駅」まで行かんといけん。

 

店がぞろと並んでおり

当たり前のごとく、まろの地元より

栄えている。

 

横浜家系ラーメンも二軒あったか。

 

西武池袋線に乗り換えて

「元加治」駅まで行く。

 

一番端に乗ったので

空いているのだが

途中、三人の新入りなのか

分からんが駅員さんが所沢駅で乗車し

突っ立って、メモしている。

 

「怖いわ。見張りかw」とも

思いながらも、隣の座席が空いていたので

リュックから「ラプラス」の人形を取り出せれば

また面白い光景が見られたが

それを自制し(回りくどい言い方だな)

飲みかけのペットボトルを立てて

元加治駅までゆ~らゆら。

(ちなみに、帰りの電車は、飯能のデパートで

子羊のぬいぐるみを買い

それを隣の空き座席に置いてたよw

人がいる時は、マナー違反だと思うけど

人がいない時は、いいと思うんだw)

 

降りると、まぁ、めっちゃのどか。

 

のどかすぎて「マジか、マジかw」

と、某アニメのタイトルのように(観たことない癖に)

言わずにはおれんかった。

 

交番がない。八百屋さんのようなスーパーが

一軒、駅前にあるだけ。

 

分からないので、元加治の駅員さんに道を聞く。

(当然、スマホは持ってきてない)

 

「こんにちは。この近くに交番はありますか?」

 

「いや。ないですねえ。どちらかに行かれます?」

 

「あ、ムーミン公園ですw」

 

「そうですか。じゃあ、この地図を使ってください」

(紙っぺらの地図を見せられる)

 

「ありがとうございます」

 

「あと、たしか飲食できる場所がなかった気がするから」

 

「この地図に書かれている通り沿いのコンビニで

買ってきます。わざわざ(嫌味ではなく)

ありがとうございます。(二回目)」

 

「いえいえwいってらっしゃい」

 

え~、このセリフ通りではないのだが

今思い出す限り、こんな感じの展開だった気がする。

 

いい感じの駅員さんだったのだが

面白いことに、口走る言葉が

前の言葉を打ち消すかのように喋るので

(まくしたてるとかではなく)

注意深く聞いていないと内容を理解するのが

難しかった。

 

それから、歩いていくと

入間川が観える。

 

現地の人からしたら

当たり前かもしれんが、初めて観る人からすると

なかなかいい場所。

帰り道、カップルっぽい人達が和んでいた。

羨ましいわ(´Д⊂ヽ)(兄・妹かもしれんがw)

 

さらに坂を登り、右のまっすぐな道を行くと

ムーミン」公園に。

 

雰囲気はよし。客層はファミリー系と

ご老体層が多く、まろのような

「ぼっちニート」はいなかった。

(通り道も誰とも会わなかったし。

(´・ω・`))

 

空気もマイナスイオンが出ていて

いい感じである。

 

肝心の建物に入ろうと思ったが

そういえばまろは「足」が臭いことに気づく。

 

正確に言えば、足裏が臭くて

なので「やめる」。

 

建物の「外観」だけ観て

その雰囲気を味わう。

 

途中、コンビニで買った

「新潟産コシヒカリ」を使った

「いくら醤油おにぎり」を食す。

 

駅から歩いたので、いつもより美味かった。

 

いくら一粒一粒に味が浸み込んでいるのだ。

 

ちゃぶ台返すようで済まないが

実はまろは「ムーミン」を知らないし

あの「ムーミン」の図体を「可愛い」とは思えない。

 

ただ、公園の雰囲気は悪くなかった。

 

まろのブログの読者にはいないはずだが

「女」の人で、ムーミン好きな人は

(てか、ムーミン好きならたぶん

行ってるはずだがw)

一度、行ってみてもいいと思う。

(昨日みたいに暑い時期はお勧めしないが)

 

他にも気づいたことは山ほどあるのだが

もうすぐ2000文字なのでこの辺で切り上げる。

 

ただ、やっぱり感じたのは

都会の真似をして、色んなお店はあっても

飯能駅秋津駅周辺を観て)

それでその「地域らしさ」が出るわけではない。

 

むしろ、情報がありすぎて

小さな、些細なことを見落としてしまう。

 

たとえば、道に咲く可憐な花とか。

 

「元加治」駅ぐらいの

「何にもない感じ」の場所の方が

微細な変化に気づけていいのかもと

思ってしまったのである。

 

 

邪魔学の本領

ローソンで「美味い!」と

広告してあった「カルボナーラ」を買い

調布のたづくりの前で

「立ちながら」食べたことのある

「おとなし」。

 

調べてみると

「立ち食いパスタ」ってある。

 

まろだけじゃなくて一安心w

 

他にも、二人前の生麺タイプの

ラーメンのスープの残りを

(というのも、まろは二人前麺をゆでるので

一人前のスープが使わず残るのだ)

「朝」飲む人はいるかな?w

 

昨日、それ初めてやったら父親から

「え・・・」みたいな声が漏れてた。

 

まぁ、立ち食いパスタはあっても

「朝、ラーメンスープだけ飲む」人は

ほとんどいないだろう。

(検索しても出てこんしw)

 

ところで、最近まろは

「邪魔学」というのを考えている。

 

一言でいうと

「人が邪魔に思う行動」の研究のこと。

 

車だの、鳥だの、人だの、ゴミだの

あらゆる地域には、特有の「邪魔」がある。

 

で、普通ならその邪魔を「排除」しようとする。

 

だが、この「邪魔学」は少し違う。

 

むしろ「邪魔OK」。

 

「どうやったらもっと邪魔できるか」を

意識的に考える学問である。

 

そういう意味では「ゲーム」の「歴史」に

通じるところがある。

 

「ゲーム」も段階事に「制約」(ルール)を

厳しくしていく。

 

人間の世界も同じように改変する。

 

その方が「面白い」ってばw

 

一つ考えたのは、たとえば

「講演」とか「イベント」をやる際

あらかじめ、「ここ」に行って

「何か」をやった人だけがこれるとか

そういう風にしたら面白いと思うのである。

 

ただ「無料」で「定員人数」以外

「制限」がない「ちらし」を観ても

「わくわく」せぇへんでしょ?w

 

だから、ある種の「人種差別」をする。

 

「ここまでできないと、出れないよ」という感じで。

 

これは「だる絡み」の記事でも書いたかもしれないが

まろの高校時代、学校の教室の前で

「だる絡み」する奴がいた。

 

で、あの記事ではその「ウザさ」について

書いたのだが、もう一面あるなとも思った。

 

もし興味ある人がいれば、今井宏さんのブログを

観てもらいたいが、森鴎外

「人生は門番との果てしない戦いである」と

言っているらしい。

 

まろたちの世の中は「人間」が「構成」してる以上

必ず「邪魔者」はいる。

 

で、それを「排除」するのが一般的だが

(それこそ、西洋医療みたいに)

果たして、それで世の中は住みやすくなるのか。

 

そう考える。(そう考えるところが、公共哲学者っぽいがw)

 

むしろ、もう少し「邪魔」というファクターを

多面的に観た方がいいのではないか。

 

世の中は、まろが嫌いな人でも

まろ以外の人の中にはは好きな人だっている。

 

というか、そういう風にして世の中は成り立っている。

 

でも、嫌いなことには変わりないから

関わりたく「は」ない。

 

だったら、嫌いな人の前に「障壁」のようなものを

創ればいいのではないだろうか。

 

それこそ「邪魔」を。

 

まろの考えている「邪魔学」は

人を傷つけたり、痛めたりするものではない。

(それは、このブログで充分だ)

 

そうではなく、一方ではこの世の中を

「迷路」のようにする作業であり

もう一方では自分が嫌いな人との前に

「障壁」を創る作業だ。

 

メイジングと、ゾーニングの連動。

 

それこそ、ポケモンの街と街を分ける

「門」のように、空間と空間の差異を

識別するような「街づくり」が

必要だと、まろは思っている。

 

思ったのだが、ビジネスマンとニート

対立軸で観るのではなく

むしろ、お互いに「牽制」し合う関係で

観るのがいいのではないか。

 

ビジネスマンは「この世界のビジネス化を

推し進める」方で

ニートは「この世界の非ビジネスな面を

創り上げる」方で。(この二分法はあくまで極論ですが)

 

そうすれば、冷戦下における

ソ連」と「アメリカ」の「宇宙開発」のように

お互いに切磋琢磨していけるのではないか。

 

お互いの「合理性」のぶつかり。

 

「邪魔」について考えることが

あなたの人生に深みを与えるのかもしれない。

 

 

 

 

「~の限界」の「先」はある。

言葉にできない思いを

伝えられない「夫婦」は

建設的な口喧嘩が出来ず

不毛に終わると、両親を観て思う

「おとなし」。

 

テクノロジーの限界と言われ

資本主義の限界と言われ

集落の限界と言われ

ありとあらゆるものが「限界」と言われ

久しいのだが

果たしてそんなに「限界」というのは

危惧すべきことなのだろうか?

 

今のまろはもうポンコツ感満載なのだが

まろは、高校一年生の時

「卓球部」に所属し

猛烈に練習した。

 

団体戦に出場し

「地区大会ベスト32」まで入ったこともある。

(凄いのか分からんがw)

 

練習を重ね

ある閾値まで行くと強豪校や

昔から卓球をやっている人との「差」が

肌身で分かる。

 

「ここまでは強くなったが

ここから先に行けない・・・」と。

 

まろは初めて、真面目に努力し

「限界」と言うものを知った。

 

だが、今なら分かる。

 

これはまろの理解では「限界」だが

別の言い方をすれば「スタートライン」である。

 

つまり、ここからが「勝負」なのである。

 

まろは卓球の神様である

「荻村」さんの

「笑いを忘れた日」の影響を受け

家に帰ったらぶっ倒れるまで

練習量を増やしたが

どれだけ練習を積んでも

もう「上がらない」という地点がある。

 

特にまろは卓球の魅力をラリーに感じていたので

「カットマン」という戦型を選んだ。

 

その「カットマン」の実力は数値化しづらい。

 

練習試合では勝てなくても

「今のはいいカットが決まった」

と思う時があったし。

 

今なら、まろの生き方そのものを

「カットマン」という戦型が

「体現」していたことは間違いない。

 

「持久戦」「消耗戦」「体力戦」。

 

一生懸命になって卓球に青春を捧げた。

 

「人生も同じかもしれない」。

 

「カットマン」を通じて

今まで人に「勝ったり」

人より「評価」されることこそが

大事である、と洗脳されてきたまろは

違う価値観があることを知った。

 

「負けてもいい」

「魅せるプレーをする」

「相手の球に意地でも食らいつく」。

 

高校時代に「一生懸命」

「体験」してことが

今になって生きていることを

10年越しに分かる。

 

話がずれた。

 

「限界」は「スタートライン」であると。

 

問題はそこで「限界だ~限界だ~」と喚いて

ただそこで地団太を踏むか

それとも「限界」の「先」を

目指すか。

 

まろは、後者でありたい。

 

確実に「限界」の先はある。

 

というか、どの分野の一流の人もおそらく

この「限界」にぶち当たり

そして「諦めず」前へ進んだ人なのだ。

 

まろは、生憎「卓球」ではその限界を悟り

そこで「諦めた」。

 

今はYouTubeで動画を上げ

「音楽」や「独り言」を通じて

「限界」を感じている。

 

問題はそこで「諦める」かだ。

 

まろは、この記事を書いて

「諦めたらそこで試合終了ですよ」

スラムダンクの名台詞を思い出した。

(違った?w)

 

ブログもだがまだ「諦めない」。

 

「限界」は「スタートライン」である。

 

そこでようやく

他のプレイヤーたちと

戦える地点にきたということ。

 

それこそ高校時代愛読していた

少年ジャンプの漫画「P2」のカットマンのように

泥臭い、プレイで

「人生を粘り、二枚腰」で

生きていく。

 

「あいつのプレー、何か惹かれるんだよな」

となった時は、かなりの地点にきてるかもしれない。