ターマーエッセイ

一切が無関係

あえて、日大アメフトの監督やコーチの立場に立ってみる。ifの視点。本当に20歳の「本人」の力であのタックルは防げなかったのか?

日大叩きにちょっと違和感を

感じてきた「Rigo」です。

 

この間、日大のアメフトの件のニュースは

動画でもテレビでも見てきた。

 

日大監督も、井上コーチも

怪我を負わせてしまった学生も

あの、ひどさ万点の司会者も

そして、日大の大学の対応も

常識的な目で見れば悪いことはたしかだ。

 

ただ、そうやって、

いたぶり、なじり、やり玉にあげれば

それで済む問題なのかといえば

そういうことではないと思う。

 

後手後手に回ったことについても同様だ。

 

人生において「後手」に回ることはよくある。

 

にもかかわらず、こういう時だけ

他人批判をしても自分の人生はよくなっていかない。

 

というか、もうわかってるはずだ。

 

こういう問題に対してただ言っても

解決の方向へと行かないし、自分の人生も

よくならないと。

 

今回のケースでは、監督の「絶対王政」ぶり

「恐怖政治」ぶりが、クローズアップされた。

 

まぁ、そういう面もあるのだろう。

 

しかし、あえて、日大アメフトの監督やコーチの立場に立つと

その「絶対王政」や「恐怖政治」を支持した学生たちにも

非はあるだろう。

 

「監督には何も言えない」という構造があったらしいけど

それに関して、手をこまねいていたのは

そこで練習をし続けた「学生」たちである。

(実際に練習についていけず

やめた学生もいるわけだ)

 

「また、アメフトをやらせてほしい」

という学生の声をきいた時、私は違和感があった。

 

「そういうことを言う前に

どうしてこんなことが起こったのか

考えないの?」と。

 

私自身は、タックル学生の「記者会見」が

「勇気」ある行動だったかは、未だによく分からない。

 

たとえ、恐怖政治であっても

絶対王政であっても、やったのは「本人」。

 

最終的な決断をしたのは「本人」なのだ。

 

監督やコーチがタックル学生に対して

「周りが見えなくなっていた」というのは

お門違いだと思うけど

そういう風に考えられなくもない。

 

「私が同じ立場ならやっていたかも」と

同じアメフト部の学生は言っているけど

私はこの件について

村上春樹」の「海辺のカフカ」の

アイヒマンの話を思い出した。

 

「教祖であれ思想であれ父であれ

その命令に盲目的に従うのであれば

その服従自体に悪が発生し責任を負わなければいけません」

 

考えてみよう。

 

もし、あなたが目の前にいる他者(教祖や父)から

「目の前にいる人を潰してこい」と言われ

それをしないと「試合」に出さないぞ、と脅されたら

あなたは、そうするのか?

 

当然ながら、20歳を越えれば

「大人」扱いされる。

(これ以上は、今回ツッコまない)

 

ということは、今回のケースでは

本人が自分の判断で防げた「可能性」もあるわけだ。

(日大アメフト部をやめる。試合に出るのを諦める。)

 

だって、誰が見ても分かる、あのひどいタックルをすれば

自分の「人生」さえも詰む可能性があることは

分かるはずだから。

 

でも、現実としてやってしまった。

 

アイヒマンの言い方を借りれば

試合で勝つ力や、自分を高める力だけを育て

「相手」を「想像する」力「思考する」力を

「あまり」育ててこなかったのも

今回の事件が起きた一つの「要因」である。

 

こう言うと

「お前さんは、宮川選手を一方的に

批判している。あのタックルは仕方なかったんだ」

と言われるかもしれない。

 

しかし、どうだろうか。

 

今述べたように、どんな政治体制であろうと

服従」してしまったのは「事実」である。

 

「アメフトだけで、生きてきた」彼にとって

「アメフトが楽しくなくなっていった」という

経験は辛いものがあるだろう。

 

でも彼は「アメフト」というスポーツに

こだわり続けた。

 

それはよくも悪くも「執着」。

 

野球選手であれ

サッカー選手であれ

現役としてそのスポーツをやり続けるのは

ほぼ不可能だ。

 

だから、本当に「スポーツ」を続ける人は

「短期的な目標」と「長期的な視野」を

持っている必要がある。

 

それこそ、「今」、内田監督や井上コーチに

ー言葉は悪いけどー「服従」することが

今後の自分の人生にとっていいことなのかは、

20歳ぐらいなら

「判断」がつくはずなのだ。

 

「それができないのが、スポーツという世界の

闇の深さなんだよ」と言えば、それで済まされるのか。

 

こういう問題が出るたびに「日本のスポーツ」の

「縦社会」&「子分親分世界」&「服従構造」の話が

出てきて、むしろここから先が大事なのに

ここで思考をやめてしまう人が多くて残念。

 

たとえば、ニュースでもやっていた

こういう闇をチェックする「第三者機関」を作るとか

利益やしがらみが極力少ない

「サードプレイス」を作って

この問題を「じか」に直接共有して

この問題のおかしさを「デモ」るとか

方法はあるはずなのだ。

 

しかし、それをやらない。

 

もし、絶対王政や恐怖政治が「嫌」なら

それについて、顔を見せ声を出さないと駄目である。

 

今回のケースのように、アメフト部や日大の学生が

「顔」を隠して「発言」するのは

(一部、顔出して発言している日大学生がいて

こっちの人達の方が、勇気があると「私は」思った)

それは、一面的な見方であることを許してもらえば

「卑怯」である。

 

自分だけが「安全地帯」にいて

そこから意見を言うというのは

ネットの世界ではあることだけど

何か特別な事情、いじめにあったとか

そういうことでないのだから

「就職活動がヤバい・・・」とか考えずに

このことをチャンスに変え

大学のあり方に「異議」を申しつけた方がいい。

 

私がもし大学でこういうことが起こっていたら

仮に、晒され周りから疎まれ、嫌悪感をもたれても

「言う」し「顔」を出すから

こういうことを言っているのである。

 

あえて、過激なことを言わせてもらうと

「大学なんて、就職前にいく場所」ぐらいの発想で

行っているから、ダメなのだ。

(大学のあり方に疑問を呈すぐらいが「理想」。

それならそこに入るな、とも言われそうだけどw)

 

今回のケースこそ「文武両道」ではなく

「武部一道」になっていたことを証明するものだ。

 

これを機に、日大の学生や先生たちのやりとりが

増えたり、密になることを望む。

 

まぁ、少人数教育でない日大にそれを

求めるのは、ムズカシイのかもしれないが。

 

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ドミニク・ノゲーズの「失敗学」は面白い。久しぶりに外国人の文章で笑ったwくそ~「ラット」した。

朝は涼しかったんだけど

急にまた暑くなって初夏を感じる「Rigo」です。

 

図書館に行って、太極拳関連の本を探っていた。

 

まぁ、こっちで「アタリ」の本はなかったけど

海外文学を端っこから端っこまで

見ていったら、すごく面白いものにhitした。

 

それが、ドミニク・ノゲーズの

「人生を完全にダメにするための11のレッスン」という本。

 

人生を完全にダメにするための11のレッスン

人生を完全にダメにするための11のレッスン

 

日本ではほとんど知られていない「ノゲーズ」。

(ググっても1000件程度)

 

私も今日初めて知った。(笑)

 

しかし、この著者、外国の作家では珍しく

堅苦しい前書きがない。

 

私は哲学者やちょっと偉い作家の

あの「くそつまらん」前書きを読むたびに

「だから、若い人達が本読まないんだよw」

と数秒で、ページを閉じ本棚に戻している。

 

ところが、このノゲーズはそういう雰囲気がない。

 

「人生の失敗」について、マジに

しかし、気持ちよく読めるように書いている。

 

私は今日を持って「ノゲーズ」のファンになった。

 

「人生の失敗」というテーマは私からすると

かなり興味深く、一大テーマとしてもいいぐらいだと思っている。

 

果たして、失敗は失敗のままなのか?

 

どういう観点で見た時「失敗は失敗と言えるのか?」

 

私はこれぐらいしか深堀していないけど

ノゲーズは、全然別の視点を用意する。

 

私がノゲーズの文章に見惚れたのは

「失敗」について「数学」の「公式」みたいなものを

使おうと考えたりするところ。

 

「失敗」について、数学のアプローチで挑もうとする

ノゲーズは「インテリ」臭もするけど

その「臭い」が私は嫌いではない。

 

そしてまた最初に出てくる「rat」の話が

非常に私の胸を打った。

 

外国語の世界ではこの「ラット」は

よくないイメージが張りついているのかもしれないけど

私としてはこの「ラット」を「失敗する」の意味で

「ラットする」とか「ラットした」とか

そういう風に使いたいぐらいだ。

 

人生を好転させようようと躍起になる必要はない。

(何もしないということではない)

 

私はまだ全部読んでいないけど、最初の方を読むだけで

この作家の凄さが分かった。

 

この本をネタ本にしか読んでいない人

あるいは、低評価の人はまだ気づいていないけど

「人生における失敗」というのは

普遍性が高く、その時代特有の失敗がある点で

実は、たくさんした方がいいのだと思っている。

(極端に行き過ぎない、落ち込みすぎない程度であれば)

 

私自身、いずれ「」という本を出す時には

「人生における失敗とは?」という文章を書こうと

思っているけど、今回のノゲーズの本は参考文献になる。

 

もし、「人生の失敗」というテーマに関心があり

その本が図書館にある人は読んでみるといい。

(アマゾン、ぽちでもいいけどw)

 

本当はこの本、教えたくなかったなあwラットしたわ。

 

 

 

「ハムオン」という鼻歌で作曲できるスマホアプリをインストールしてみたよ

地元にいるツバメ(ポケモンでいうとスバメ

の飛行スピードの速さに

驚愕している「Rigo」です。

 

速いわwあいつら。

 

スワイショウをまた始めたら

気のせいかもしれないけど

お尻の痛みがなくなってきた。

 

で、今日の話題は音楽なんだけど

「音楽 曲 作る スマホ」で

検索したら「ハムオン」という無料アプリ

(一部、有料)があることを知った。

 

play.google.com

 

このアプリ自体は「スゴイ!!!w」

 

ただ、試してみたんだけど

メロディと歌がズレるのね。

 

リズム設定をきちんとしてないせいかもしれんけど

「もうこれでいいやw」と

YouTubeにあげてしまった。

 

その動画がこちら。(ドヴォルザーク

歌詞をつけただけです。メンタルヘルス女子を

イメージして作られています)

 

www.youtube.com

 

とにかく、DTMとか、そういう音楽づくりは

難しいし、めんどくさすぎて挫折したけど

この「ハムオン」は

鼻歌感覚で作れる点で、「めんどくさがり」の人や

「感覚人間」にとってはいい。

 

ハムオン自体、まだアプリとして

最近できた奴のようなので

「ググっても」1000件ぐらいしか出てこない。

 

もし「音楽」が大好きで

曲を手軽に作ってみたい人にはオススメ。

 

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デモクラシーカフェ後、帰りの電車内でお母さんが自分の子供に「チッ!!!」と舌打ちしてた。考える力のないママたちの家庭は大変そう

お帰りなさい。

 

電話恐怖症の「Rigo」です。

 

昨日は「なぜ政治の話はしにくいの?」

というテーマで色んな人の意見を聞いてきました。

 

場所は東村山で、月ごとにテーマは違うので

興味がある方は行ってみたらどうかな?

(私は疲れたので、当分行かないけどw)

 

まぁ、デモクラシーカフェの内容を

記事化してもいいんだけど

その後に得た気づきの方が私にとって重要なので

こっちを話すね。

 

帰りの電車内、隣に子供が座ったのね。

 

その子は窓側を向いて、外の景色を眺めていたんだけど

前にいたお母さんが注意するわけさ。

 

「行儀よくしてなさい」とか。

「周りの人に迷惑でしょ」とか。

 

たしかに一理あるんだけど、子供が外を見たい

という気持ちも分かる。

 

お母さんも「気持ちは分かるけど」と

前置きをしていたので、会話はそこで

終わると思った。

 

しかし、子供が理屈をこねる。

 

驚いたのは、最終的にその子供に向かって

「チッ!!!」とマジで舌打ちしていたことだ。

 

以前、テレビのドラマ番組で、母親が

自分の娘に向かって「死ね」という場面を見て

怒りの感情と悲しみの感情が持ち上がったけど

この「チッ!!!」もなかなかのものだった。

 

デモクラシーカフェで、話し合った後だったから

「ああ、この人は子供の理屈に対して

「言葉」で反論する「術」を持ってないんだろうな」

と思ってしまった。

 

たぶん、この子はこれからも母親に意見した時に

「チッ!!!」とかで、黙らされるのだろう。

 

東京に住んでいる「関西人」は、性格が悪い人が

一定層いるというのが私の偏見だが、そのお母さんも

そうなのかもしれない。

 

それにしても、子供の理屈に対して

「チッ!!!」なんて言い方ある?

 

私はその時、表情にはしなかったけど

「唖然」としたよ。

 

一部の若いお母さん方を見てて思うのは

明らかに「心のキャパ」が狭そう、

という人が見受けられることだ。

 

どういう事情でそうなったのかは分からないけど

とにかく、そういう人がいる。

 

子供が迷惑をかけたら、子供に謝らせればいいわけであって

初めっから「迷惑」をかけることを気にしていたら

電車内で「沈黙のお通夜」状態になる。

 

あれほど、人間の心が荒む現場はない。

 

私は毎週月曜日、そういう電車に乗って

「今日もお通夜かよ・・・」とやさぐれている。

 

たぶん、お通夜の人達は私の言葉でいうと

「死んだふり~奴のふり~」という状態であって

非常に苦しい人生を送られているのだと思う。

 

しかし、大人のそういう姿を見て

子供たちが「懸命に生きていこう」と思えるかといえば

それはないと思う。

 

私も疲れれば「お通夜状態」にはなるけど

ああいう状態を毎日している人達って

いったいどんな気分なんだろうか?

 

まぁいいけど。

 

とにかく、今日言いたかったのは

理屈的な子供に対して、反論できるぐらいの

「言葉」は持っていたいな、ということでした。

 

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女の人の引き締まった「お尻」は格段にエロい媚態であるし、女子高生の太ももがエロすぎて、目のやり場に困る。とか言いつつ、脳内で楽しんでるけど

夢の中で、倒れた自分を

引きずる女の子に「勃起」していた「Rigo」です。

(なんだよそりゃw)

 

あ~面白かった。(*'ω'*)

 

夢ってやっぱり好きだわ。

 

今の現状、心境を表している感じがして。

 

さて、今日の話題は二つ。

 

一つ目が「笑えない」人たち。

 

年を重ねるにつれて、「笑う」回数が

減ってくると言われる。

 

前々回、紹介した「滑舌の悪い」中年男性も

恐ろしいぐらいに「笑わなかった」。

 

ファシリテーターの先生から「○○さん

普段笑うことある?」と質問され

「ないですね~」と答えていた。

 

そのあと、表情を崩す場面があったけど

笑顔を意識して作るのが「下手」そうに見えた。

 

この人を見た時、よく東京で見かける

「厳す~い」表情をしている人の中には

「厳しい」人なのではなく

単に「笑う回数」が少ない人達も

いるのではないかと感じた。

 

運動と同じで「やってないと」

「衰える」。

 

同じことのように思えた。

 

「笑う免疫学」という本によれば

人間は一日、「一時間」ぐらいは

笑った方が、健康に良く

逆にそれ以上、笑うと「笑いすぎ」に

なるとのこと。

 

 

この本は、図書館で偶然見つけた

「好著」。

 

タイトルにもあるように

「自分」と「他者」を区別する不思議な仕組みについて

書かれている。

 

まだアマゾンレビューが書かれていないけど

理系の分野に興味のない人でも分かるように

書かれているため、オススメ。

 

もう一つは、エロについて。

 

前回もエロ画像の話をしたけど

ヤフー知恵袋って、けっこう面白いのね。

 

その中でも、「動画内で、男性が射精するシーンに

興奮しますか?」というのがあって

回答した男性が「少し分かる」と書いてあった。

 

私も、興奮する。とりわけ

時間をかけて、あったまった

(映像から熱さが伝わってくる)感じのエロで

男性が一生懸命やっている場合なら。

 

そして、最近自分の性癖について

分かったのは、私は「脚フェチ」である以上に

女の人の大きな「お尻」が好きだということ。

 

昨日、エロ動画を見ながらそんなことを考えていた。

 

なんというか、正常位にはあまり興奮しないのだ。

 

それよりも、脚とお尻がふくよかな

かつ、引き締まっているのを見ると

「いれたくなってくる」。(笑)

 

 無性に。

 

その時、私はよくもわるくも

女性が「美人だから」とかは

見ていない。

 

その「お尻」を見て

「いれたら、気持ちよさそうw」

と思うだけである。(ウキ―w猿か)

 

女の人がお風呂入る時に

「肩」まで浸かろうとするのと同じこと。

 

瞑想している時に、気持ちよさに

抗えないのと同じこと。

 

いや~、稀に見る(といっても

よく見てるけどw)いい「尻」だった。

 

その割には、量が出なかったんだけど( ^ω^)・・・

エロ画像を見ても、反応しない。そして若い世代のライブ動画映像を見るたびに「俺たちの世代と変わらんな~w」と思う

エロ動画ならまだしも

エロ画像、見てる人達って

抜けるから、スゴイと思う。

(「かな↓わんな~」)

 

私はいっくら、どこから拾ってきたか分からない

画像群を見ても、全然「抜けない」。

 

さらにいうなら「勃起」さえしない。

 

さかりのついた猿のような中学生や高校生の時期なら

春風が吹いただけで「勃起」する(@村上春樹)けど

20代を超えてくると、それができなくなる。

 

もちろんね、美女やスタイルのいい女性が

裸になっている姿は「エロい」とは思うよ。

 

ただエロい「から」反応するかというと

そういうことでもない。

 

私が「演技」的な喘ぎ声を聞いても

反応しないように。

 

話は変わるけど、若い世代を中心に

「動画配信サービス」ってありますわな。

 

で、それを見てて思うのは

「俺たちの世代と変わらんな~w」ということ。

 

俺たちの世代も、高校時代に今でいう

「携帯&ガラケー」が出た当初

写真を撮ったり、動画を撮ったりしていた。

 

今はそれを「不特定多数」の人に見せるようになった。

 

ただ、その点を除けば俺たちの世代とやっていることは

変わらないわけで「気軽に」「ノリで」

やっている人も多いのだと思う。

 

いつだったか、ある社会学者がその「ノリ」の悪い面を取り上げ

若者が生放送などで「危ない」ことをする可能性を

示唆していたけど、たしかにそういう面もありそう。

 

その話の流れでいくなら、私はその点よりも

若者たちの「サードプレイス」の「不在」が気になる。

 

仕事柄(ニートだろw)

たまに、街中を歩いている学生の話を聞くのだけど

集団で歩いている学生ほど

会話の中身が「お粗末」なのだ。

 

私の世代も他人ごとではないのだけど

同じくらい「つながり感」がない。

 

仕方がない面もある。複数人で

コミュニケーションできることなど

正直言って、ない。

 

三人ぐらいならまだしも

六人ぐらいになると、その関係性によっては

アニメや漫画の話をちょこっとして

「共有しているんだ、友達なんだ」ということに

している可能性だってある。

 

私たちの世代もその世代特有の「辛さ」はあったけど

この世代もなかなか共有しづらい「辛さ」が

あるのかもしれない。

(まぁ「辛さ」は基本的には「人間関係」の悩みだけどね)

 

この「生き辛さ」を緩和するためには

サードプレイス」や「居場所」といった場所に

若いうちから飛び込んだ方がいいのだとは思うけど

東京にいると「集団」組か「孤立」組ぐらいしか見ないんだよね。

 

そして両者に共通しているのは

そういう場所に飛び込まないということ。

 

大学ですぐ「人間関係」作れる自信があるならいいけど

本当は、大学入る前に人がいる場所にいって

色々な価値観の人達とコミュニケーションを「試した」方が

のちのち、苦労しなくて済むのになあと思うところ。

 

まぁ、伝わりづらい事柄なんだろうけど。

 

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滑舌があまりに悪すぎる年上に「ゆっくり喋らないと何言ってるのか分からないです」と言いにくいこと。自己完結世界の恐ろしさ

電車内で、歌詞カードの歌詞を

目で追っている「Rigo」です。

(なんか、前も言ったようなw)

 

コミュニケーションについて

ちょっとした「気づき」があるので話すね。

 

滑舌の悪い女の子を見たことはないけど

(今、ようつべで見たら、フェフ姉という人が

いるようだけど)

滑舌の悪い男性は、よくいるよね。

 

私自身、滑舌がいい方ではないので

少し滑舌が悪い人ぐらいなら気にしない。

 

しかし、滑舌がめちゃくちゃ悪いと

聞いている方は困る。

 

今日も、精神疾患の人が集まる当事者の会に出たのだけど

ある一人の男性(たぶん40代ぐらい)が

よくしゃべる。

 

しかし、ほとんど何を言っているのか分からない。

 

こういうおじさんはデイケアでもあったことがあるので

今は、そんなにびっくりしないのだけど

「またか~w」と、苦笑して困ってしまう。

 

私にとって、この人達と喋る時、何が問題かといえば

「ゆっくり喋らないと何言っているのか分からないです」

と言いづらいということだ。

 

同世代なら、「え、なんていうた?」

と聞き返せるのだけど

年上で、自分より「傷ついてそうな」人が

滑舌が悪いと「滑舌の悪さを指摘してあとで、喧嘩になったらどうしよう?」

と考えてしまうのだ。

 

そうすると、言えない。

 

おそらく、ほとんどの人が言えないと思う。

 

本人はおそらく、喋りたいことが山ほどあるのだ。

 

しかし、言語不明瞭。意味としてこちらに届かない。

 

たとえば、その人が話している時に

頑張って「尾崎豊」とかそういう単語を拾うことはできるにしても

その単語を拾って「尾崎豊ですか?」と聞き返すと

次にはもう違う意味内容の話になっていて

もう何を言っているのか分からない。

 

「ワンマンショー」という言葉がその人を形容する言葉として

今日は使われていた。(といっても今日はまだいいほうらしい)

 

まさに、オンステージ。

 

おそらく、彼の周りには「異質な」人というのがいなくて

彼の思考がひとりでに「完結」してしまっている。

 

決して、悪い人には見えない。

エネルギーもある。

 

しかしながら、論理的に話すことが得意ではない。

 

だから、聞いている方はしらけてしまうし

下を向いて、耳を閉じてしまう。

 

今ふと思ったのが、もしかしたら

この人達は「速く」しゃべることが

「アタマ」のよさを意味していると思っている可能性もある。

 

私自身は誰それが「速く」喋っても

何言っているのか分からなければ

「アタマ」のよさを感じないし

もっというと、意味が通っていても

「なんか、違和感あるなあ」と思うことさえある。

 

喋るスピードが速い=「アタマ」がいいという図式が

あることは知っている。

 

しかし、残念なことにあくまで

「自分」はだが、そこに「アタマ」のよさは感じない。

 

私が感じる「アタマ」のよさの一つは

「意味」ある内容を伝え、届け

「話」が膨らむよう「広げる」力のこと。

 

「いいことを言う」とか

自分の考えを押し付けるために

会話を閉じる方向にもっていくのは

私としては「ナンセンス」。

 

ほんとのことを言わせてもらうと

「滑舌」が悪すぎるから

その人を嫌いになるわけではない。

 

それよりも、周りの空気を「読まなさ過ぎることが」

「個性」だと勘違いしているのではないか

という疑いや疑念が出てきてしまい

そのことがやはりひっかかってしまう。

 

「空気」を読めない人は基本的にいない、と私は思っていて

「空気を読もうとしていない」人がいるだけなのだと思っている。

 

それが「発達障害」=「個性」

自閉症」=「個性」みたいな風潮があるので

(両方とも、自分の世界で「完結」してしまう傾向がある)

別に空気なんて「読めなくてもいいんだよ」と

意固地になっている感がある。

 

「個性」というのは、ひとりで分かるものではない。

まして、人前で「披露」するものでもない。

 

岡田先生の言葉を使うなら「臭う」ものであって

その人が今まで生きてきた経験からくる雰囲気で

立ち昇ってくる「煙」のようなものだ。

 

「あれ、あそこに煙が出てんなw」

ぐらいの感じがないと。

 

最近ようやく「能ある鷹は爪隠す」

という言葉の意味が分かってきて

本当に話すことに長けた人は

当たり前だけど「空気が読める」し

「空気」を読むことを大事にしている。

 

他の言葉でいうなら「文脈」を意識している。

 

「文脈」のないところに

「共感」は生まれないし

「思想」も込められない。

 

そして、話すことに長けた人は

「この人はそっとしておこう」とか

「これ以上言っても、たぶん

聞き耳を持たないな」と思うと

それ以上の力を見せない。

 

だって、エネルギーロスだから。

 

その人のためにエネルギー使うより

「変わりたい」とか「人生の幸せについて考えてます」

というような人の方が、関わりたいでしょ?

 

そういうこと。

 

でも一方でこういう人達を見て思うのは

「年をとるってことは、

良くも悪くも頑固になっていくプロセス」でもあると。

 

そしてそうなっていく間で

変なスピリチュアルを学ぶと最悪である。

 

自分が安全地帯やコンフォートゾーンから出ないことを

「肯定」してしまう。

 

今日の男性からは「あなたもこのまま自己完結世界に入ると

こうなるよ」ということを教えてもらった気がする。

 

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