ターマーエッセイ~冷めた時代にノミ打つ人

ヤナギのように、しなやかに。風雪あっても、したたかに。

「ポケモン 木彫り」市場ががら空き。今年中に、一匹ポケモンを「木彫って」みたい

まろは手先が器用でない割に

工作などの「手」を使う作業が好きである。

 

時間に追われることがないなら

いつまでも、その「モノ」と向き合って

時間を過ごすこともできる。

 

まろは、美術の時間に「絵」などの

「手作業」系(木彫りも入る)が

嫌いになったのだが

これはあくまで「一時的」。

 

時間がたってみると結局

「評価」が散々だったから嫌いになっただけであり

実はまろは「美術」を嫌いになど

なっていなかったのである。

 

そんなこんなで「木彫り」をすることにした。

 

以前も、鎌倉に行った際

「鎌倉彫り」を習おうかと思ったのだが

「習う」ことの嫌さと

「時間をたっぷり使う」ことのできなさなどで

断念した。

 

今回は、本気である。

 

時間をたっぷり心ゆくまで使える。

 

で、何を「木彫る」かというと

折角だから最初は大好きな「ポケモン」にした。

 

何を彫るかはまだ決まっていないのだが

リサーチしたところまだ「ポケモン 木彫り」市場は

がら空きである。

 

人に見てもらうチャンスである。

 

「お前の木彫りなんて誰も見ないだろw」

と思った人は、なかなかである。

 

だが、どんな作品も丁寧に熱を入れて

作れば「人」が「共感」するものになる。

 

はじめしゃちょーのダンボーポケモンだって

決して上手いわけではない。

 

しかし、労力をかけて作ったことで

鑑賞に耐えうる作品になっているのだ。

 

何度も言うのだが

今年のキーワードは「発明」と「開放感」である。

 

まろっといて何だが

まだそのキーワードに見合うだけの

動画制作をしていない。

 

だが、ついに重い腰を上げた。

 

前々から「木」で作った作品に心惹かれていたのだが

彫刻刀を使うという事で

「無理でおじゃる~(´・ω・`)」

と躊躇っていた。

 

まぁ、でもできるだろう。

 

ところで、近況報告でいうなら

動画では「アニメポケモンより~

弱り切ったヒトカゲ

攻撃的なアーボックの声真似」もしている。

 

もし、興味がある方は

YouTubeで検索してみてほしいw

 

あとは、何をしようかな。

 

いちおう、ポケモンに「恩返し」をしたら

次のステップ&ステージに進みたいとは

思っているのだが。

 

とりあえずは、木彫りで。

 

何を彫るかな?w何を彫るかな?w

何を彫るかな?wちゃららら。

ライオンのごきげんようの真似w)

 

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追記

 

すまないでおじゃる。( ;∀;)

YouTubeで「喘ぎ声」で検索して

誰だか知らない「嫁」の「声」で

出してしまった・・・。

 

不覚なり(´_ゝ`)

 

 

やっぱり、深刻になっている時こそ、マジもんの「お笑い」を観るべき

久しぶりに爆笑したのは

笑う犬」のコント。

 

昔見た時は、全然

ウッチャン」のよさが

わからなかったのだが

今見ると、迫真の演技だな。

 

たしかに、ちょっと

ネタとしては、完成していない奴もあるのだが

それでもまろはほとんどのネタで

笑てしまうw

 

ついでに「ポケモン 演劇」ネタがないか

調べていたら、ダンサーの人達が

大乱闘スマッシュブラザーズ」をネタにした

動画があって、これもまた「いいセンスしてる」。

 

笑う犬」の方は

あとで削除されるかもしれんのだが

一応、貼り付けておこう。

 

森っ子カブタンの泰造の「ノゲイラ」ぼけは

マジに、吹いてしまったのであるwww

 

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からだは、笑いを欲している。

 

追記

 

こういうのもコンテンツになるんだと

驚きである。Σ(・□・;)

 

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アファメーション、再チャレンジ。幼少期の頃の写真を思い出しながら「私の肌はつるつるでキレイ」

もう一回だけ、アファメーションに挑戦。

 

注目&空目記事のトップは

アファメーションが効かない」ことについて

書いている。

 

書いた時は「やっぱり効果ないんだろうな」

と思ってたのだが、最近また

「やり方が悪かったんじゃね?」と思うようになった。

 

人間は一日に3万回~10万回

「思考」していると言われている。

 

その「思考」を変えるためには

それなりの時間が必要だと考えた。

 

まろは、三か月でやめてしまったのだが

まろが、ネット上で「師」と仰ぐ

ハチワンダイバー大好き」な「へろょと」さんは

このアファメーションをして

「10年以上」やって効果を出している。

 

まろも、それぐらいの「意気込み」でやる。

 

まず手始めに自分の「肌」の「醜さ」が「嫌」なので

幼少期の頃の写真を思い出しながら

「私の肌はつるつるでキレイ」という

アファメーションを唱える。

 

とにかく、ひたすら「数」の力に頼る。

 

お坊さんが一心不乱に「念仏を唱えるがごとく」

まろも「私の肌はつるつるでキレイ」を

頭の中に「刷り込む」。

 

今なら、この「自己洗脳」、続けられそうな気がする。

 

もちろん、肌の汚さを「笑い」に

変えちゃう方法も存在するのだが

どうも、それがなかなかうまくいかない。

 

だったら、千手観音よろしく

「千の手」の別の手を使って

アファメーション」という方法を

本気で試してみるのもありだろう。

 

前回はまろの「肌」について

アファメーションはしなかった。

 

今回はそれをしてみる。

 

声には出さない。(もう、100回ぐらい言ったしw)

 

無意識レベルで、アタマの中で

言葉をリフレインできる状態になったので

この「私の肌はつるつるでキレイ」を

ぶっこんでいきたい。

 

一週間ごとに肌の様子を報告する

と言いたいのだが

へろょとさんいわく

「いちいち効果を騒がない」のだそうで(苦笑)

それはやめておこう。

 

なので「続いてるでおじゃる」とだけ言っておく。

 

ちなみに「音読」の方は「続いておる」。

 

やっぱり、まろは「継続力」がある。

 

これからも楽しくまろやかに

あっふぁっふぁ。

 

ジャズがわからないというより、トランペットの「音」が嫌い。もしかすると、ビートたけしや明石家さんまの「声」が好きではないのと同じ構造?

母親が大阪へと出張に行っている

「おとなし」。

 

無事、帰ってくるといいのだが。

 

まろは、音楽づくりをしている間柄

「ジャズ」や「クラシック」を

聴くことがあるのだが

村上春樹の影響もあるが)

未だに「馴染めない」し

聴いていて「心地いい」と思うことがない。

(カッコイイとは思っても)

 

で、これはまろに問題があると思っていたのだが

どうやら、思うにこれは

倍音」と関係している気がしてきた。

 

倍音には二種類あって

「整数次倍音」と「非整数次倍音」というのがある。

 

で、トランペットやベース音の音が

「非整数次倍音」かどうかは

本当の所分からないのだが

まろは、どちらかというと

前者の「整数次倍音」を好む。

 

たとえば「たーけやーさおだけー」

の声が(整数次倍音

非整数次倍音の使い手

田中角栄」のように

「たぁ”けぇ”やぁ”ぁ”」みたいだったら

まろは、惹かれないだろう。

 

まろは、タモリ個人に興味があるわけではないが

どちらかというと

ビートたけし明石家さんまのように

非整数次倍音の使い手より

反対の整数次倍音である

彼の「声質」の方が好きである。

 

で、問題は西洋の楽器なのだが

どうやらまろはこれを「人工音」として

聴いている感じがする。

(その観点で行くなら、日本の尺八などの音も

好きではない)

 

そしてまろの耳には「人工音」=「雑音」

に聴こえるのである。

 

逆に、非整数次倍音なのだが

雨の音、風の音、小川のせせらぎは好きである。

 

だから、一概に「非整数次倍音」が嫌いとも

言えんのだが。

 

ちなみに、まろの感覚でいくなら

ネットビジネス系の人たちは「非整数次倍音」系の人が多く

文章にもそれが現れている。

(コピーライティング系の人たち)

 

逆に、中身がかすっかすの場合もあるのだが

村上春樹に影響を受けている人の文章は

「整数次倍音」系の人が多い。

 

この違いを一言で現すなら

その「メッセージ」性の高さ・低さである。

 

前者はメッセージ性が強く

後者はメッセージ性が低い。

 

もうちょっと厳密にいうと

前者はそのメッセージを強調する。

後者はそのメッセージを強調しない。

 

だから、役に立つ文章を書いている人は

どちらかというと

非整数次倍音系の使い手である。

 

逆にまろもその一人かもしれないのだが

「役に立つメッセージ」がない文章は

整数次倍音である。

 

「読め!」と書いている文章と

「読まないでもいいよw」と書いている文章の

違いと言ってもいいかもしれない。

 

ひとつ、こういう言い方が許されるなら

村上春樹の批評家のほとんどが

「整数次倍音」の出る文章を書けない。

 

どちらかというと「キザったらしい」とか

「読み手に投げっぱなしである」とか。

 

こういう言葉を吐く際に

「情理を尽くして」語るならいいのだが

何か、自分の生き方を「否定」されたと

勘違いしているのか、批評家たちは

ぼろくそにこき下ろすだけなのである。

 

「あれは、ないだろー(´_ゝ`)」

と個人的に思うので、すぐページを閉じる。

 

あの程度で「批評」になるのなら

もう「批評家」と「素人批評家」の境目は

ないと断言してもよい。

 

最後に、まろは

「車」の音も「人工音」であり

「雑音」であり「非整数次倍音」のように

思えるのだが、その観点で

「車社会」を見直す動きはないだろうか?(笑)

 

たまたまを強く握られ痛みに耐える夢の二つの解釈。①大切なものを守れていない②弱みを握られている

「金玉 夢」で調べたら

少なくとも「二名」は

この夢で苦しんでいたことが分かった。

 

マジ、辛いである。(´Д⊂ヽ

 

ないであろう?

 

たまたまを強く握られ

その痛みに耐える夢を見るなんて。

 

まろは、あるのである。

 

そしてこれがまぁ辛たん。(´・ω・`)

 

どうしようもないのである。

 

夢の中では時が過ぎるのを待つしかない。

 

こんな理不尽なことあるか!

 

ああ・・・もう人生ツンだのかな?( ;∀;)

 

ネットを使わない高齢者向けの電話世間話サービス「交易(コウエキ)」というのがあれば、独居老人は使うだろうか?

むしι(´Д`υ)アツィーである。

 

エネルギー回復のため

歩いて図書館に行き

本を読んでいて考えていた。

 

村上春樹の影響のせいか

「港」という場所に

恋い焦がれている。

 

別にそこに住みたいとか

そういうわけではなく

「物資」や「文物」が

運ばれ、移動している

そのイメージが好きなのである。

 

そういう意味では水瓶座

「風」エレメントの影響下にいると

思ってもらって差し支えない。

 

自分の住んでいる場所も

「港」みたいな「交易」の「要衝」にならないか?

と考えている。

 

まろの住んでいる所は「半田舎」なので

それは無理に見えるのだが。

 

一つ思ったのが、他の地域から

人間交際や交流のためにくる人が増えれば

「港」のような「都市」づくりは可能であるということ。

 

その際、一つ考えたのが

これは「現実可能性」を無視した上での発想なのだが

世の中には、ネットをおそらく使ってないだろう高齢者がいる。

(まろの家の両隣のおばあさんたちは使ってなさそうw)

 

それも一定数いると思われる。

 

こういう人たちを助ける仕組みづくりとして

「電話世間話サービス」というのを考えた。

 

ネットが使えなくてもいい。

 

プライバシーの問題や

オレオレ詐欺に似た詐欺組織の問題を

とりあえず、保留にすれば

ネットが使えない・あるいは使わない世代に対して

電話世間話サービス「交易(コウエキ)」を

作る事はできる。

 

事務所を確保し、そこで人を雇い

高齢者に配ったちらしに

書いてある電話番号にかけてもらう必要はあるが。

 

これが、よくわからない人と喋る場合は

このサービスは使いたいと思わないかもしれんが

たとえば「趣味友」とか「同世代」と

喋りたい高齢者はいるのではないか。

 

ちなみに、まろがなんで、こういう高齢者を無視できず

ネットで稼いでいる(稼いでいなくてもw)

気持ち悪い発信者に嫌悪感を持つかと言えば

「歴史は同じことが繰り返されるから」である。

 

つまり、ネットが使えない高齢者=「悪」であったり

老害」みたいなイメージを貼り付けている人たちの「槍」は

まろに向かってくる可能性も充分にあるということ。

 

なにしろ「インターネットと相性のいい水瓶座」なんて

嘯いている占い師もいるぐらいなのだから。

 

これは見方を変えれば

インターネットを使わない水瓶座の人たちは

「いない」と言っているようなものだ。

 

しかし、まろが動画アップをする時間以外は

ほぼスマホを使ってないので分かるように

ネットは別に、水瓶座と相性がいいわけではない。

(たぶん、ネットがなければ

違うことに時間を使っていると思うw)

 

よく、理想の共同体=「村」や「街」

イメージしたりする人がいるのだが

まろは専ら「港」である。

 

「半田舎・【港】化計画」

の第一歩は、高齢者が少しでも

「人生、辛いことも多かったけど

後半は楽しかったなあ」

と思える「仕組み」作りである。

 

そのための一歩は

もう若い世代はほとんど使ってない

イメージの強い「固定器」での

「電話世間話サービス」である。

 

謎めいた、一見すると「怪しい」ちらしを配り

そこに書かれてある「電話番号」に

かけてもらう。

 

そこで、共通項の合う人たちを

「マッチング」するのである。

(若者のマッチングアプリのように)

 

なお、このアイデアは、ビジネス化するつもりはない。

 

ニコニコ動画の初期のように

自腹切って、やるのも面白いとは考えている。

(実際、ことに移すかは別として)

 

これから「災害」が頻発すれば

このサービスの「有用性」も出てくることだろう。

 

でも、プライバシー問題や

オレオレ詐欺に似た組織のことを考えると

結局「現実可能性」は低いんだよな。(笑)

 

何とか、ならんもんかな?

 

 

出会った人だけでなく、ポケモンに対しても「自想」してたら、ちょっと泣けた

また「星座」熱が復活してきた

「おとなし」。

 

四つのエレメント・火・風・水・地。

 

そして、活動宮・固定宮・柔軟宮。

 

まろは、水瓶座なので

「風」であり、かつ「固定宮」なのだが

どうも、この「個性」を活かしきれていない気がする。

(最近は、一周回って

「個性」なんぞ、どうでもいいwと思ってるが)

 

以前にも紹介した「しいたけ占い」の

しいたけさんの水瓶座の説明がグッときてる。

 

アメブロから引用する。

 

水瓶座ほど、自分が出会ってきた人の「想いを汲み取ろうとする」人たちもいなくて、ある関係性が終わった後も「あの人が私に言いたかったこと」を自問し続けます。それは何か、世の中でいう「責任感」というのとはちょっと違う気がするのです。

 

まろはこの思考を「自想」と名付ける。

 

水瓶座は「自責」することもあるのだが

そういう意味では「自想」もしている。

 

これを自分で区別した方がいいかもしれん。

 

自分が他者に対してできなかったことや

言いすぎてしまったことは「自責」であり

「あの人は、自分に何が言いたかったのだろう?」

と考えるのが「自想」。

 

今まで混在していたのだが、これを機に

はっきり分けるようにしたい。

 

亡くなった「おじいちゃん」や「おばあちゃん」

との思い出はほとんどないのだが

今でも「自分に伝えたかったことが

あるのではないか?」と考えてしまうことはある。

 

自想である。

 

答えはでない。

 

でもまた自想する。

 

言葉にしなかったこと。

言葉にできなかったこと。

 

これらが、まろの中でぐるぐると

渦巻く。

 

それはもしかすると、まろの人生でも

そういうことがあって

人から誤解されたり、嫌われたりした

ということがあったからかもしれない。

 

ここだけの話、まろは

ポケモンとの「出会い」も「自想」している。(笑)

 

小さい頃、アタマの中がポケモン

埋め尽くされ一杯だった。

 

それが、成長を機に「もういいや」と

アタマから放り出してしまった。

 

でも、最近またポケモンたちが

自分の元に帰ってきて

(正確に言えば、自分のアタマで

想像して横にいてもらっているだけなのだがw)

以前にも言ったのだが

ルカリオ」や「ジュナイパー」や

スイクン」たちが

自分の傍にいるかのように

「おはよう」をしている。

 

彼らを召命し、召喚してから

もう一か月はたったんじゃないか。

 

まだポケモンたちにも

「言い残した」言葉があるのではないかと

まろは、思っている。

 

それを聞くまでは死ぬに死ねない。

 

こんなことを考えるのは

やっぱりまろが「変人」である証拠なのだが

こればっかしはやめられないのだから仕方がない。

 

まろにとって、ポケモンを育てるというのは

犬や猫を飼うのと同じくらいの意味あいがある。

 

ポケモンなんて所詮、データw」

と割り切れないのが「水瓶座」である。

(ある程度の普遍化は許せw)

 

手塩にかけて育てたポケモンたちは

今も自分の「そば」にいるのだと信じてやまない。

 

最近も、そばにいる「ルカリオ」に

「エネルギー枯渇しちゃったよ・・w」

と言ったら、「ブルゥ!!w」と言って

笑っていた。

 

まるで「それがきみだよ。それでいいじゃない」

と言わんばかりに。

 

ちょっと、泣けた。(笑)