ターマーエッセイ

ちょっと、エッセイのコツが分かったかも。

稜威避衆邪 厚徳降多福

 タイトルが

わけわからんだろ?(笑)

 

おれも、本当の意味は分かってない。

 

漢字のイメージで訳すなら

「邪気を持つたくさんの人がいるような場所からは

逃げる。そうすると、あなたにたくさんの福が

降りてきますよ」という感じだ。

(訳していない漢字もあるが

それは置いといてくれ)

 

タイトルの文字は

おれの地元の神社に

今年の七月に

出来た表札に書かれていた奴。

(「に」が多いなw)

この「稜威」=「イツ」は

武道の免許皆伝の書や、神社の祝詞

使われる言葉。

 

なんだが、タイトルの文面で検索しても

全く出てこない。

 

ここから考えられるのは

この文章の一部は、昔のある人が

「作った」言葉だということ。

 

 私はその人を知っている。

 

漢詩に長けていたし

彼ならこういう文章を残していても

おかしくはない。

 

それにしても

「邪気をもつたくさんの人がいる場所から逃げる。」

というのは、なんて現代的な処世術なのだろうか。

 

都心にしろ、ツイッターにしろ

そこには、明らかに「邪気」を放つ人々が

たくさんいる。

 

そこから逃げた方がいい、と言っている。

 

当時(明治時代?)、この言葉が

どういう文脈で言われていたのか

すごく気になる。

 

 この言葉だけ切り取っちゃうと

何だか、ハウトゥーであり

自己啓発くさく感じると思うんだが

ちゃんと、文脈があれば

その言葉の真意がつかめるはず。

f:id:remone-dox:20170816084801j:plain

 

考えるヒントという「言葉」に気づかず早何年?

 ある時期まで

私は読書に関して罠にはまっていた。

 

それは、読書というのは

「人生の答え」を探すために

行うものだ、という誤った考えだ。

 

この罠にはまってしまったのは

おそらく、私自身だけの責任ではない。

 

世の中の風潮として「名言」が

もてはやされていた。

(名言本はたくさんあったし

ネットにもそういうものがあった)

 

それにのせられてか、読書というのは

その「名言」を見つけるために行うものだ、

と考えていた。

(先ほど言ったように本には

「人生の答えがある」と思っていた。)

 

その読書を続けて、自分の人生が

変わらないと気づいた時

ふと「これって、間違ってね?」

と感じた。

 

そこから読書の軌道修正を行おうと

したのだけど、うまくいかない。

 

どうしても、どこかに人生の答えがある、

と思ってしまう。

 

そこで発想を転換した。

 

読書が出来ている人からしたら

当たり前なのだけど

読書とは「考えるヒント」なのだと

見方を変えたのだ。

 

パスカルがいうように

「人間は考える葦である」。

 

そしてその考える人間が

考える「幅」を広げさせてくれるのが

読書という行為だ。

 

今までは、あるテーマに関して

「一行」しか話せなかったのが

それ以上のことが話せるようになるのが

読書の美点。

 

それは「思考」の「プロセス」が

以前と比べ「複雑」になったということ。

 

テニスの王子様について語るにしても

アイシールド21と重ねて語るのか

ヒカルの碁と比べて語るのかでは

だいぶ、その話の広がりが違う。

 

いずれにしろ、読書とは

その人の思考に「幅」や「深み」

を与えるもの。

 

以前の私は孤独に本と読書していれば

コミュニケーションになっていると思ったのだけど

今は考え方を改めている。

 

やはり、対ヒトとの

コミュニケーションは必要だ。

 

孤独な読書「だけ」だと人は

自分だけに分かる世界を作り上げてしまう。

 

私は記事によっては

分からない人にも分かるように

書いているけど

時々、メンドクサイので

分かっている人だけの文章になったりする。

 

 人と話すと面白い。

 

「こんなこと考えているのかw」

と気づかされることがある。

 

たとえば、ある人にワンピースの話をしたら

「ナミは昔の方がよかったです。

ぼくは貧乳が好きなんです。」

と言われた。

 

またある人にワンピースの話をしたら

「今のルフィって、『ゴム感』がないですよね」

と言われた。

 

言われてみれば「その通り!w」なのだけど

人と話すまで、そのことは意識化されていなかった。

 

というか他の人は「そこに」

注目しているとは思ってなかった。

 

私自身は、ワンピースの

エポックメーキング(画期的)なところに

注目していたのだけど

(自分たちの時代は

「仲間がいなければ生き延びれない」

という痛烈なメッセージ性など)

他の読者からすれば

それよりも、漫画の進展状況による

「細かな」部分に注目していた。

 

そこが驚きだった。

 

「はぁ。そこにひっかかるのね」

 

その時は「へぇ~」と思ってそれで

終わりだったのでそれ以上掘り下げなかったけど

「貧乳について」は「貧乳のキャラが好きなんですか?」

と質問できるし

「ゴム感について」は「ゴム感があった頃で印象に

残っているシーンはありますか?」

と質問できる。

 

その話をしたことで

私には、一つの仮説が思い浮かんだ。

 

それは、「同じ本を読んでも

みんな違う箇所を見ている」

ということ。

 

もちろん、この人とこの人は

似たようなことを考えている、

という見方はできるだろう。

 

しかし、根本的には、自分が思っている以上に

人は見ているものが違う。

 

しかも、他人は自分の鏡だ、

という考えでいくなら

その人の考えというのは

自分も少なからず考えていたこと

だということになる。

 

これは、対ヒトとのコミュニケーションを

避けていた自分からすれば

「超発見」だった。

 

同じ本を読んで「見ている箇所」が違うなんて!

 

どういう考えをしていると

そういうところに目がいくんだ?

 

と、人に対して俄然興味が

沸くようになってくる。

 

 ある意味、どうでもよさそうに見える質問も

恥を忍んで聞いてみると

その質問が不発だった場合は別として

自分の中に残るもの。

 

自分の関心領域からかなり外れたものだと

記憶にも残りづらいけど

そうではない場合は

意外と自分の中に残っている。

 

「ああ、あの時もっと話をしとけばよかった!」

という後悔は、たぶん多くの人に

共通の後悔なのではないだろうか。

 

少なくとも、私は後悔した。

f:id:remone-dox:20170815173543j:plain

車、地域事情

 車を使っている人は

世の中には沢山いる。

 

どこもかしこも、車だらけ。

外に出かければ、車を見ない日はない。

 

 ところで車って

自分たちの生活になくてはならないの?

 

というのも、私自身は

車を所持していない。

親が持っていないのもあるけど

そのまた親も持っていない。

 

つまりよく考えると

車とはあまり縁のない

うちということだ。

 

これは、うちの家系が

東京生まれであることも

起因していると思う。

 

東京生まれだから、車を

持たないとも限らないのだけど

車がなくても、東京には

電車があるから、ある程度は不便なく

何とかなってしまう。

 

またその電車があまり得意でなくても

自転車がある。

自転車がダメなら、歩きがある。

 

というように、車を「思想的」に

持たないというより

環境がそうさせている。

 

しかし、先ほど「ある程度は不便なく」

と言ったけど、全く不便なわけではない。

 

私は自動車に対して

感情的に特に何も思ってなかった。

 

しかし、自分が調子を崩す辺りから

自動車の危なさに気づくようになった。

 

一番、自分の地域で気になるのは

「道路の狭さ」。

 

どうして、自動車がきたら

歩行者や自転車の人が横にずれなければ

いけないのだろう?

 

私は今のところ、ゆずったりゆずらなかったり

しているけど、ゆずっている時、

「なんで、ゆずらなければいけないんだ?」

と思っている。

 

最近ではそれが飛躍して

道路法」的には(?)、

車道は車が通るものとされているけど

これって、「ルール」であって

「変更」は可能だよね?

今後、一部の車道を封鎖してそこで

お弁当を食べることも可能だよね?

というように思ったり。(笑)

 

とにかく「なぜ?どうして?なんでなの?」

と考えている。

(「疲れないの?」と言われそうだけど

本人はいたって、穏やかに考えていますw)

 

実際に、以前TVでやっていたけど

どこかの地方の地域で

車道を封鎖し、そこでイベントを開催する

というのが行われていた。

 

ああいうのは良い取り組みだと思う。

 

一か月に一回でもいいし

半年に一回でもいい。

 

道路法にもかかれているように

道路法の目的は

「公共の福祉を増進すること」。

公共とは、社会全体のことであり

個人や私と相互関係にある。

 

 今の世の中、逆になっていないだろうか。

「社会の秩序や平穏という

公共的な価値のために

個人は文句を言ってはいけない

となっていないだろうか。

 

インターネットでは、逆転しているため

それが分かりづらい。

 

インターネットでは、色んな人が

色んな文句を言っているので

一見すると、個々人で文句を言えている

ように見える。

 

しかし、リアルの場でそれが言えない場合

果たして、それは公共の福祉の増進となるのか。

 

何が言いたいかというと

憲法でいう

公共の福祉というのは、人権と人権の衝突を

調整するために規定されたものなわけで

 

面と向かって言わない場合に

果たしてお互いに、自分の「言い分」を

話すことができるのかということ。

 

できるという人もいるだろう。

 

しかし、私自身はその点については

疑問だ。

 

ただ、送りやすいという理由で

市政への提案をしても、心の底では

蟠っている何かがあると思う。

 

ひょっとしたら、その人にとっては

車優先社会より、不満に思っていることが

あるのかもしれない。

 

それが、見えない形で

あたかも、TVでやるような

芸人の顔にパイを投げつけるような形で

市に対してクレームを出すのは

どうかと思う。

 

私の見立てでは、もう多くの人が

そのネットでのやりとりでは

らちが明かないと思っている。

 

市役所に出かけ、仮に

その提案が呑まれなくても

そこに行って、職員の人と話す価値はあると思う。

 

 車優先社会に異を唱えること(脱クルマ)もまた

そんなに、ムズカシイことではないと信じているけど。

f:id:remone-dox:20170813081124p:plain

 

ときめきを失う二つの理由と暗記的な会話

 いつからだろうか。

「ときめき」というものが

失われたのは。

 

思い返してみると

私は、小学生から中学生まで

よく「どきどき」していたと思う。

 

ある時からそれ=「緊張」と考えるようになり

「よくないものだ」となり

最終的には「ときめかない」カラダに

なってしまったけど

今考えると、あの当時の「ときめき」は

自分にとってプラスだったのではないだろうか。

 

何も、異性に対する「どきどき」だけではない。

たとえば、この先生は何を喋るんだろうか、

という想像は、こちらをどきどきさせる。

 

そういう「どきどき」がちゃんと機能している時

自分は、自分らしかったのかもしれない。

 

そうではなく「どきどきしちゃいけない」と

自分を押さえ付けた時、自分の興味・関心が

狭まっていき、結果的には

「どきどき」しなくなっていたとしたら。

 

だから「どきどきしなきゃ」と思っているわけではなくて

「ときめき」は時に大事なのかもな~、と感じているわけだ。

 

 それともう一つ。

当時、私は、よくTVドラマを見ていた。

「プライド」というドラマにはまり

竹内結子」に「どきどき」を感じていた。

 

しかし、ある時からふと思った。

竹内結子は美人だから

やっぱりカッコイイ人が好きなんだろうな。

俺なんか、ただの一般人だし、

カッコイイと思ったこともないし

知り合いになるなんてまた夢の夢だろうな。」

という理屈をつけて

自分の「どきどき」を諦めた。

TVを見なくなったのも

その理屈をつけた時期と重なるかもしれない。

 

 こういう人は、けっこういるんじゃないだろうか。

中には、「一方通行でもいい」とか

「ファンはあくまでファンなんだから

自分の思いが伝えられればいい。」と

考える人もいるかもしれないけど

自分はそう考えなかった。

 

その時はまだ分かっていたんだと思う。

「どきどきは、その人に対しての

興味・関心を意味している」

 

ちょっと、話がややこしくなるかもしれないけど

「ときめき」というのは

その人に興味・関心を失って

なくなるものではない。

 

そうではなく自分が「ときめく」人の

興味・関心について

自分の周りの人が

興味・関心を持ってくれない時に

それを失う場合がある。

 

本当はそういう「ときめく」ものは

無数にあった。

(人に限らず、石や木といった

自然物もそうだし、鴨の親子が

歩いているのにも「ときめいていた」)

 

しかし、親に話しても理解してくれない。

友達に話すとバカにされる。

そういう経験の中で

「人に話しても無駄なんだ・・・」

と落ち込んでいく。

 

少なくとも、私はそういう経験を通じて

「いや、世の中には自分がときめくものに

興味を持ってくれる人はいるはずだ」とは

考えず「誰も興味・関心がないなら、いくら自分が

興味・関心を持ったところで意味ないのかも」

と考えた。

 

そういう形で「ときめき」を

失っていった。

 

繰り返すようでしつこいけど

こういう形で「ときめき」を失っていった人も

多いんじゃないだろうか。(笑)

 

しかし「ときめき」を伝える前提として

あなた自身が「まず」周りの人に「興味・関心」を

持っていますか?ということだ。

 

それがないのに、人に興味を持ってもらおうとするのには

無理がある。

 

幼児ならそれは別。

幼児は、自分の欲求を先に伝えても

お母さんやお父さんが面倒を見てくれる。

 

しかし、それはいつまでも続くとは限らない。

幼児から子供に成長した時

必要になってくるのは

「相手に興味を持つこと」なんだ。

 

それは、相手の趣味を知るとか

相手の好きなものを知るとか

そういうことではない。

(それは見てれば分かる)

 

ちゃんと相手に踏み込んで

「話を聞く」ということなんだ。

 

それは言い換えれば、質問する力でもある。

ところが自分の世代に限らず

多くの世代で蔓延しているように思うのは

質問することが「できない」ということだ。

先生とのやり取りの中で

「これ分かる人」「はい。●●です」

という「暗記的な会話」がされるために

多くの子供たちは、その人への興味=

その人の知っているものを「知ること」

という風に誤解してしまう。

 

クイズとはまさにその「暗記的な会話」の

いい例だと思う。

 

 そして、先ほど言ったように

会話というのは、相手に対して興味・関心が

あって成り立つもの。

自分だけ「みてみて~。これみてよ。

すごいんだから。この人の演技

カッコイイよねえ」と伝えても

相手はそれを受け止めてはくれない。

 

なぜなら、あなたはただ同意を求めているからだ。

あなたは他人に興味・関心を持っているわけではない。

「共感」してくれる人を求めている。

相手はあなたではない。違う人間だ。

その前提に立たない限り、その違う人から

「共感」を得るということはできない。

 

そしてそれができないということは

暗記的な会話で「済ませる」ということであり

その会話は、面白い方向へと転がっていかない。

 

根拠をつけて話し、質問をする。

それができなければ

大人への階段をのぼることはできない。

 

それが、簡単ではないということは

ほとんどの人が知っている。

 

そして、簡単ではないからやらない、となり

「暗記的な会話」で終始してしまう。

 

生き辛さ、ジレンマというのは

そういうこと。

 

「子供のまま」でいたいとは

思っていなくても、そういう会話で

済ませている人は、いつまでも

「大人」にはなれない。

 

残念だけど、そういうことなんだ。

 

f:id:remone-dox:20170810095617j:plain

 

 

目印

 私たちがよく言う「目が疲れた」

という現象に違和感がありました。

 

足を使ったら足が疲れる。

腕を使ったら腕が疲れる。

 

そして目を使ったら目が疲れる。

 

これは一見その通りに思えますが

ほんとうにそうでしょうか?

 

たとえば、気功の動きに

スワイショウというのがあります。

 

これは、腕をぶらぶらするだけの運動で

メンドクサイことはたしかですが

運動としては、腕は疲れません。

 

こういうことを一度でもやってみると

「なるほど。腕を使えれば腕が疲れる、

というのは嘘なのかもしれないな。

使い方が悪いんじゃないか」

と思うようになります。

 

そこで、それを目にも当てはめてみるわけです。

 

「目も、使えば疲れるというのは嘘で

使い方が悪いんじゃないか?」

 

でも、目の使い方って、普通は

考えませんよね。

 

中には、武道の稽古をしていて

「自分は目の使い方を気をつけている」

という人もいるかもしれませんが

ごく少数でしょう。

 

一般人からすると

「目の疲れ」がどこからきているのか

分かりにくいところです。

 

 とはいえ「目が疲れる」理由が

そんなにたくさんあるでしょうか?

 

私の小さな頭で考えた末に

出てきた一つの答えというのが

「大量の情報を処理している」からというものです。

 

今通っている「整体」の先生からも

言われましたが、自分は「アタマを使いすぎ」

ているようです。

 

「アタマの使いすぎ」は言い換えれば

「大量の情報を処理する作業に追われている」

ということです。

 

私の人生の前半生は、アタマを使わなさすぎであり

大学進学後、アタマを使うようになったのは

いいものの、今度は反動で逆に使いすぎているようです。

 

それもそのはず、大学時代から

たくさんの本を読むようになり

それに並行してネットの時間も増えたからです。

 

それに整体の先生は気づいたのでしょう。

「アタマを使うことは悪いことではない。

しかし、使いすぎると今度は身体が疎かになる」

 

それを実感するようになってからというもの

ネットをしない日を作り、極力自分が

アタマを使わないで生活できるようにしています。

 

 目が疲労する前に「今日は明らかに

アタマを使いすぎている」と気づき

その作業を中断します。

 

以前の自分なら「もっとできるのに」

と考えるところですが、今は中断しても

特に勿体ない感はありません。

 

「目を使いすぎると明日に支障が出る。

今日はここらへんで」と

区切りのつけ方が上手くなりました。

 

 父親から「目は大事にした方がいい」

と言われたものの、一時期無視していましたが

最近あらためて「視力」というより

「目」というものは大切に扱った方がいいと

思うようになりました。

 

みなさんは「目」を大事にしていますか?(笑)

f:id:remone-dox:20170808192409p:plain

 

 

ポケモン図鑑に突っ込んでいく~その2

 少し間が空いてしまったけど

第二回目。

 

中途半端に終わらせないよう

書きたくない時は書かない態で

書いている。

 

目標を決めると、それに合わせて

頑張らなくてはいけなくなるので

どこまでやるかは決めていない。

 

律儀に上から順にやっているけど

本当は、つまみ食い方式で

やってもいいのかも。

 

ただ、それだと

好きなポケモンだけ

解説して、自分が

「飽きた」時点で

やめちゃうような気がしてる。

 

時には、自分が関心のない

ポケモンにも興味を持つ

いい機会だと思う。

 

では、いってみよう!

 

007.ゼニガメ

テキスト2

すいめんから みずを ふんしゃしてエサをとる。

 あぶなくなると こうらにてあしを ひっこめて みをまもる。」

 

みずをふんしゃしてエサをとるというのは

具体的に?

葉っぱとか、水面上にいる昆虫にでも当てるのか?

あぶなくなると?

ゼニガメを襲うポケモンがいるのか。

いずれにしろ、ゼニガメは生きるのに必死だ。(笑)

 

008.カメール

テキスト2

いちまんねんの じゅみょうを もつといわれている。

 ふさふさの しっぽはながいきの シンボルとして にんき。」

 

カメールが、一万年の寿命を持つだって?w

そうか。鶴は千年、亀は万年からきているのか。

とにかく、ポケモンは死なないという説は

このカメールの図鑑の説明で無効化される。

ポケモンにも寿命があるのだ。

 

009.カメックス

テキスト1

からだが おもたく のしかかってあいてを きぜつさせる。 

ピンチの ときは カラに かくれる。」

 

体重が86キロ台のカメックス

のしかかられて、気絶で済むポケモン

どのくらいいるのだろうか。

 

のしかかりの仕方にもよるけど

進化前のゼニガメでさえ

9キロしかない。

人間で置き換えてみれば

よく分かる事なんだけど

ポケモン図鑑はそういった事情を無視する。(笑)

 

010.キャタピー

テキスト1

とりポケモンに おそわれると 

ツノからにおいを だして ていこう するが

えじきに なることも おおい。」

 

これは、弱肉強食、生態系の原理を

そのまま説明している。

えじきを「えのき」や「ひじき」に

空目した私は、ただの食いしん坊か。

 

011.トランセル

テキスト1

カラのなかには トロトロの なかみがつまっている。

 ほぼ うごかないのはウッカリ なかみが こぼれないため。」

 

おーい!wそんな諸事情しらんかったぞ。

トロトロの中身ってw

「ウッカリ」すると、中身がこぼれるんかい。

 

012.バタフリー

テキスト1

おおきな めを よく かんさつすると

じつは ちいさな めが 

むすうにあつまって できているのが わかる。」

 

ここら辺は、ちゃんと図鑑ぽい。

「複眼」的思考とか言ったりするけど

中には、生き物から

人生の「見方」を学ぶ人もいる。

あの福沢諭吉も「ふくがん」の

持ち主だった、とも言われている。

 

013.ビードル

テキスト2

どくばりは とても きょうりょく。

 めだつ からだの いろはあいてに けいかいを させるためだ。」

 

ビードルは昔から

好きじゃないのよ。(笑)

リアルな毛虫って感じがするし。

普通に毛虫って呼ぶより

ビードルって呼んだ方が

怖さ倍増だよ。(音的に)

 

014.コクーン

テキスト2

てんてきに みつからないように

はっぱの うらや えだの すきまにかくれて 

しんかの ときを まつ。」

 

自分に必要なのは、こういった「てんてき」に

見つからないような生き方。

時には、このテキストにも書かれているように

「はっぱのうら」や「えだのすきま」に

隠れる技術を持っておくといい気がする。

 

015.スピアー。

テキスト2

りょうてと おしりにある 3ぼんのどくばりで

 あいてを さして さしてさしまくって こうげきする。」

 

どんだけ、刺すんだよw

今度から、ネットで毒吐きまくっている人を

心の中で「スピアーさん」と呼ぼうかしら。

 

016.ポッポ。

テキスト2

たたかいを このまない おとなしいせいかくだが 

へたに てを だすときょうれつに はんげきされるぞ。」

 

どんな生き物も(ポケモンは例外だけどw)

「窮鼠猫を嚙む」力がある。

うーん、強烈!!

 

017.ピジョン

テキスト2

ひろい なわばりを もっており

しんにゅうする じゃまものは

てっていてきに つつかれてしまう。」

 

これ。ネット上で一番怖いやつ。

自分の関心領域のある分野に足を突っ込んでは

新参者を叩く。

とにかく、自分の周りを荒らされたくない。

ピジョン君ほど、扱いにくい存在はない。

そしてそれはかつての私だったりするw

お陀仏。

 

018.ピジョット

テキスト2

うつくしい ハネを ひろげてあいてを いかくする。

 マッハ2で そらを とびまわる。」

 

マッハ2、というのがカッコイイ。

素朴な疑問として、それだけ早く飛べる鳥の

身体の構造が知りたい。

風圧でぺしゃんこにならないのだろうか。

 

019.コラッタ

テキスト1

まえばは しぬまで のびつづけるので

メンテナンスが ひつよう。 

ヤスリをよういしないと はしらを かじられる。」

 

コラッタにとっての前歯が

人間にとっての「からだ」だったりする。

メンテナンスしないと

いつの間にか、錆びついてしまう。

 

020.ラッタ。

テキスト2

エサの あじと せんどに 

こだわるグルメな ポケモン。 

ラッタが すむレストランは アタリと いわれる。」

 

ラッタはグルメポケモンだったのか。

知らなかったw

ラッタみたいに生きている人

ネットではよく見かけるな。

健康志向の人も、ラッタみたいなもんか。

てことは、一億総中流って

ラッタみてぇな人間がたくさんいるってことだな。

 

 話は変わるけど、ポケモンって

やっぱり人生と同じだよな。

 

最初に選んだポケモンで、そののちに

捕まえるポケモンは変わる。

(戦わせるポケモンには相性がある以上)

一見すると「ストーリーはみな同じものを

享受している」と思われがちなんだけど

持っているポケモンでストーリーを

進めていく以上、プレイする側は

みな別々のストーリーを味わっている。

(同じジムでも苦労して突破する人もいれば

楽々倒す人もいるのが、一番いい例か)

 

これは、人生においても同じことが言える。

まず最初に出会った人を大事にして

その人が見ている世界をできる限り共有して

そしてさらに、また新しい友人を作る。

 

その時、似たようなキャラの人を

たくさん、友人にはしない。

相性を見て「この人にはないキャラを

この人は持っている」と判断した結果

友人になる。

 

これはポケモン思考の鉄則だ。

まぁ、出会う人で、この人とこの人は

似ている、というのはあっても

周りのほとんどが似たようなキャラってことは

まずないわけであって、

幸か不幸か、私の周りにいる人は

誰も似ていない。

 

そういう人に出会えただけでも

私は人生に面白さを感じずにはいられない。

f:id:remone-dox:20170729233029j:plain

ポケモン図鑑に突っ込んでいく~その1

 ポケモン図鑑

突っ込んでいこうと思う。

 

なんで、この記事を書こうと

思ったかというと

多くのポケモンの名前は「そら」で言えるのに

「じゃあ、そのポケモンって

どういうポケモンなの?」

と聞かれると、「うぐぐぐ」と

口ごもってしまうからだ。

 

折角だから、ポケモンについて

更に深く知るうえで

ポケモン図鑑に突っ込んでゆこうと思う。

(下ネタツッコみが多いのでご注意を)

 

 初代から、見ていく。

(テキストは突っ込みやすそうな方を採用)

 

001.フシギダネ

テキスト2

「うまれてから しばらくの あいだは

せなかの タネから えいようをもらって 

おおきく そだつ。」

 

背中のタネから栄養って!

お母さんのお腹の中の子供か?

それとも、お母さんのおっぱいをもらう子供か?

どちらにしろ、性的な説明ダネ。

 

002.フシギソウ

テキスト2

せなかの つぼみが ふくらみだすと

あまい においが ただよいはじめる。 

たいりんの はなが さく まえぶれ。 」

 

大輪って、若い人あんま使わんだろ。

ただよいにしろ、まえぶれにしろ

ポエマー的な説明。

私は、官能小説をかつてよく読んでいたので

「つぼみ」とか「甘い匂い」とか

言われると、性的なイメージが喚起される。

(変態で構わないよ)

 

003.フシギバナ

テキスト2

あめの ふった よくじつは 

せなかのはなの かおりが つよまる。 

かおりにさそわれ ポケモンが あつまる。 」

 

これも、雨=濡れている、

花=女性のアレ、というアナロジー。

花は昔から、花弁という言葉があるように

女性器に置き換えられやすい。

こういうつっこみをしていくと

「脳内が性的なイメージしかないサル男」

と思う人もいるだろうが、それは一向にかまわない。

 

濡れている女を見て

男たちは、盛り上がる。

嫌われるかもしれないが

性的に不感症ということは、多くの男性から

異性として見てもらえないということである。

(話がズレるので、ここでストップ)

 

004.ヒトカゲ

テキスト1

しっぽの ほのおは ヒトカゲ

せいめいりょくの あかし。 

げんきだと さかんに もえさかる。」

 

ヒトカゲの面白いところは

「しっぽ」の「ほのお」。

人間のエネルギーも実は

骨盤の仙骨(尾っぽ)から出ている

という話さえある。

丹田と連動しているのか?

 

005.リザード

テキスト1

しっぽを ふりまわして あいてをなぎたおし

 するどい ツメでズタズタに ひきさいてしまう。」

 

甘えん坊だな。子供は

自分の要求が通らないと泣くか怒るか

だだをこねるかする。

喧嘩ぱやいのも、損だぞ。

リアルの男で、爪で相手を

ズタズタにする人はいないと思うが。(笑)

(あ、リザードってメスの場合もありえるのかw)

 

006.リザードン

テキスト1

くちから しゃくねつの ほのおをはきだすとき

 しっぽの さきはより あかく はげしく もえあがる。」

 

この「口」を、男性器に置き換えてもいいな。

男だったら「ひのこ」レベルの発射じゃなくて

かえんほうしゃ」ぐらい熱いものを出して

相手を「炎の渦」に閉じ込めさせたい。

(快楽の熱さで抜け出せなくなってほしい)

 

とまあ(笑)そういう欲望があるのに、風俗にもソープにも

行くわけでもない。セフレをつくるわけでもない。

なぜなら「そこまでして・・・」という葛藤があるからだ。

 

たぶん、明日が世界の終わりであっても

私は、自分の欲望を抑えて生きるだろう。

それは人間としてはつまらない、嘘をついた生き方になるけど

(本当は、シタイ)

今の私はこの葛藤をすると、必ず理性が勝つ。

私は、それが悪いことだとは思っていない。

いずれ、そういうことをシタイ時に、

ルパン三世のように、ベッドへダイブする日も

くるかもしれない。

それを待つ。(笑)

 

今はこうやって、下ネタを記事にすることで

代償行為をしている。

(自覚アリ)

 

下ネタを頻繁に言う人というのは

下ネタを頻繁に記事にするのと同じで

代償行為、つまり代わりに何かする

という形で、自分の精神を安定させている。

 

それが楽しいうちはいいんじゃないかと思う。

 

飽きてくれば、やめてリアルの関係に

乗り出すでしょう。

 

ということで、今日はこの感じで

記事を書いていくぜ。

 

f:id:remone-dox:20170725112554j:plain