ターマーエッセイ

ちょっと、エッセイのコツが分かったかも。

ゲーマーではないゲーム好きの退屈の話

 自分が体調を崩した時

「何もやることがなくて。

ゲームも面白くないんだ」と

ゲーマーの友人に言ったところ

その友人からある言葉を言われた。

「○○(自分の名前ねw)ゲーム好きじゃないんだろ。」

私はこの時「確かに実際にプレイしたゲーム数は少ないし

そうなのかもな」と思った。

 

 ところが、数年後「そうじゃないんじゃないか」

と思うようになったのだ。

だって、そう思わない?

仮に、今までプレイしたゲームが「1」だとしよう。

なんでも、いい。

最近私が見ている「ゲームカタログ」の例でいえば

ゼビウス」でも「ドンキーコングJR」でも

「ポパイ」でも「ロードランナー」でも

デビルワールド」でも「エキサイトバイク」でも

なんだっていい。(古いね)

その中で何かをプレイしたという事実がある。

そしてそれに一度ははまった。

熱中し、喜びと緊張と感動で満たされた。

そういう経験を持ちながら、「今」たまたま

ゲームを楽しめないからといって、その経験を

「ゲーム好きじゃない」と言って切り捨てていいのだろうか。

 

 実はこの友人、私と同じく

少し「思考」に「偏り」があり

以前、音楽の話題を振った時も

「お前が音楽を語るな」的な言い方で

コミュニケーションを拒否されたことがある。

彼の「ゲーム」に関する見解もさほどこれと変わっていないと見る。

どういうことかというと

「音楽をちゃんと聴いている=音楽好き」

「音楽をちゃんと聴いていない=音楽が好きではない」

「ゲームをやっている数が多い=ゲーマー(ゲームが好き)

「ゲームをやっている数が少ない=非ゲーマー(ゲームが好きではない)」

とが、ダブるのだ。同じ構図。

 

 私のやってきたゲームはそんなに多くない。

ポケモン」「牧場物語」「ドラクエキャラバンハート

「漢字ゲーム」「脳トレ」「モンスターハンタークロス」(無職中)

ストリートファイター」「クラッシュバンディクー

サルゲッチュ」「テニスの王子様」「大乱闘スマッシュブラザーズ

あとの同時代のゲームはだいたい、友達の家で見ていただけ。(笑)

この時代に生まれた人なら分かると思うけど

これはゲームを「やっていない」方である。

これ以外のゲームは、TVと同じように

「流して」「見ていた」。

うちの両親は、据え置きのゲーム機を息子に購入させなかったため

必然的に友達の家でゲームを「見る」という選択肢しかなかった。

当時の自分は、楽しそうにゲームしている友人を止めてまで

「やらせて」ということもできず

ただ「見ていた」。(笑)

 

 それで飽きなかったのか?といえば、おそらくは

多少なり、退屈はしていたと思う。

しかし、情報の多くない半田舎のような地域では

「退屈」が当たり前のようにあったので

それが「退屈」のようには感じなかった。

むしろ、積極的に退屈を受け入れていたと思う。

それがある意味、精神的ゆとりになっていたのではないか。

あの時から、10年以上、月日がたったが

あの時の「退屈」は決して悪いものではなかったと感じている。

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