ターマーエッセイ

一切が無関係

相性・タイプ・コミュニケーション

 「ポケットの中の野生」という本があるのを

ご存じだろうか。

これは「ポケモン」というゲームについて

中沢新一という著者が分析したものだ。

 

私は、以前からこの著者の本を拾い読みしていたので

(「東京アースダイバー」は良作だと思う。

いつだったか居場所がなくて

途方に暮れている時、ネットで

下北沢にある「気流舎」の存在を知り

その場所がこの本に影響を受けていることを知る)

この本にもある程度期待はしていた。

 

しかし、悪い意味で予想は裏切られた。

中沢の本は、一般読者に読みやすく書かれている割には

「専門用語」や「造語」がある。

それを読むと、何だかいたたまれない気になってくる。

「あー、この言葉は受ける人には受けるんだろうけど

逆効果だなあ」と。

 

彼の知識量は認めるし、一般的な専門家より

読みやすいのは確かだ。

ただ、私は「ポケットの中の野生」の説明では

共感しなかった。

 

こういう時は「どこが納得しなかったか」と

ラインマーカーでもひけばいいのだけど

私はこの本自体を否定している。

ポケモンが好きでもない人が

その流行分析のために、本書くなよ。」と思ったので

それに対して何か文章を書きたいとも考えない。

 

彼の素養には、文化人類学や、日本の民俗学

はたまた、科学系の知識があることはたしかだ。

その色眼鏡を通して「ポケモン」を見たくなる気持ちも

分からなくはない。

 

問題は、ゲームをプレイした当人は

そんなことを一切考えていない、ということである。

「お門違い」という言葉があるが

今から書く私が考えているポケモン論の一部は

中沢の「土俵」にのっかっていない。

仮に、中沢の著作しかポケモンを分析した本がないとしても

私は、この本と議論する気はない。

 

 今私が気分転換にやっている

ポケットモンスター サン」では

こういうようなセリフがある。

(微妙に間違っているw)

ポケモンの全てが人生である」

これは、ポケモンをやったことのある人でさえ

分からない話だと思う。

私も、このセリフを読んだとき

「ついに、ポケモン

人生まで語り出したか」と苦笑いだった。

 

ところが、数日後それは思い違いだということに気づいた。

(これも思い違いかもしれないw)

ポケモンの世界の何が画期的だったかといえば

おそらく、この三つの要素に絞られると思う。

 

①相性

 

②タイプ

 

③コミュニケーション

 

順を追って説明していこう。

 

まず「相性」だけど、ポケモンにはじゃんけんのように

相性があって、「ほのお」は「みず」に弱く

「みず」は「くさ」に弱く

「くさ」は「ほのお」に弱いとなっている。

 

人間、生きていれば分かることだが

「この人と相性悪いな」とか

「この人とは相性いいな」とかあるものだ。

 

相性がいい人には自分から攻められるが

相性が悪い人には逆に上手を取られる。

そういう意味で、この「相性」という設定は

ファイアーエムブレムなどのゲーム作品の

「三すくみ」に通底するようなものが入っていて

人間の対人関係を表しているようで

興味深い。

 

ある住職の話では「人生はじゃんけん」だとも

言われており、ここらへんの「感覚」にポケモン

仏教臭」が臭う所は、少し勘ぐりすぎかもしれない。

 

次に「タイプ」。

人間、色んな人がいる。

それこそ、ポケモンを知っている人もいれば

ポケモンなんて全然無縁な人もいる。

 

人間には、ポケモンでいえば、多種多様なタイプが

存在している。

ラッキーを代表する「ノーマル」タイプのように

「ノーマルだな」と思う人もいれば

カイリューを代表する「ドラゴン」「ひこう」タイプのように

「ちょっと、この人神がかっている」

と思う人もいる。

いいわるいの話ではない。

 

とにかく「人間は一種類しかいない」

という考えがありえない(当たり前だけど)

ということをポケモンの「タイプ」という設定は

教えてくれる。

 

みなそれぞれのタイプがあるのだ。

 

最後に「コミュニケーション」。

これは誤解を生むかもしれないけど

ここで言う「コミュニケーション」というのは

「無意味」「無内容」な、と形容詞をつけた方がいい。

 

 ポケモンには「技」がある。

 

その技は、相性とタイプを前提にして

使われる。

たとえば、「みず」タイプのポケモン

ゼニガメでも、ワニノコでも、ミズゴロウでも

ポッチャマでも、何か思い出しづらいその後の

ポケモンでもいいのだけど

そのポケモンに「ほのお」技である「ひのこ」を

放つ奴がいたら、どうだろうか?

 

「お前、ばっかじゃねぇーの?

みずタイプにほのお技使っても効果はいまひとつだよ」

と、バカにされて終わりである。(泣w)

 

本人たちは気づいていないけれど

本人たちの中では、今述べた

「相性」「タイプ」を「前提」に

「技」を繰り出している。

 

これがコミュニケーションでなくて

なんなんだろうか?

(無意味であり、無内容だとしても)

ポケモンなら、ある程度、姿かたちを見て

「このイワンコというポケモン

名前と色からしてイワタイプやな。

だったらこの技が効くんじゃないか」と類推できる。

一方、人間同士のコミュニケーションになると

てんでだめになる。

 

面白いよね~w

 

ほとんどの人は、このポケモンのタイプ理論からなる

コミュニケーションを無視している。

この世代にはこの話、こっちの世代にはこの話

と定番が決まっている、と思い込んでいる。

 

しかしそうとも言えないのだ。

あなたが目の前にしている「人」は

新種のポケモン(失礼w)かもしれない。

その時、あなたはあなたのいつもやっている

コミュニケーションが通じない。

定番の話題がこの人にとっては

定番じゃないのだ。

 

その時、話の修正を余儀なくされる。

しかしそれはポケモンでいえば

「相手が、ひこうタイプだと思っていたら

でんきタイプだしてきたから地面技で攻めるぞ」

と考えればいいだけの話。

 

その思考をコミュニケーションでできないのは

単純にコミュニケーションの経験値が少ないから。

 

 それは何を隠そう、自分のことでもある。

 

 自分に合った精神科医が、自分にとってイイ質問を

投げかけてくれるとその質問に答えられるように

自分が投げたボールが、相手のミットにおさまれば

相手とのコミュニケーションは続くのである。

 

その営みを放棄した人に運や出会いは

めぐってこない。(経験則)

どだい「幸せ」になるなんて無理である。

ポケモンは、そのことを教えてくれる

愛すべきゲームである。

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