ターマーエッセイ

ちょっと、エッセイのコツが分かったかも。

車、地域事情

 車を使っている人は

世の中には沢山いる。

 

どこもかしこも、車だらけ。

外に出かければ、車を見ない日はない。

 

 ところで車って

自分たちの生活になくてはならないの?

 

というのも、私自身は

車を所持していない。

親が持っていないのもあるけど

そのまた親も持っていない。

 

つまりよく考えると

車とはあまり縁のない

うちということだ。

 

これは、うちの家系が

東京生まれであることも

起因していると思う。

 

東京生まれだから、車を

持たないとも限らないのだけど

車がなくても、東京には

電車があるから、ある程度は不便なく

何とかなってしまう。

 

またその電車があまり得意でなくても

自転車がある。

自転車がダメなら、歩きがある。

 

というように、車を「思想的」に

持たないというより

環境がそうさせている。

 

しかし、先ほど「ある程度は不便なく」

と言ったけど、全く不便なわけではない。

 

私は自動車に対して

感情的に特に何も思ってなかった。

 

しかし、自分が調子を崩す辺りから

自動車の危なさに気づくようになった。

 

一番、自分の地域で気になるのは

「道路の狭さ」。

 

どうして、自動車がきたら

歩行者や自転車の人が横にずれなければ

いけないのだろう?

 

私は今のところ、ゆずったりゆずらなかったり

しているけど、ゆずっている時、

「なんで、ゆずらなければいけないんだ?」

と思っている。

 

最近ではそれが飛躍して

道路法」的には(?)、

車道は車が通るものとされているけど

これって、「ルール」であって

「変更」は可能だよね?

今後、一部の車道を封鎖してそこで

お弁当を食べることも可能だよね?

というように思ったり。(笑)

 

とにかく「なぜ?どうして?なんでなの?」

と考えている。

(「疲れないの?」と言われそうだけど

本人はいたって、穏やかに考えていますw)

 

実際に、以前TVでやっていたけど

どこかの地方の地域で

車道を封鎖し、そこでイベントを開催する

というのが行われていた。

 

ああいうのは良い取り組みだと思う。

 

一か月に一回でもいいし

半年に一回でもいい。

 

道路法にもかかれているように

道路法の目的は

「公共の福祉を増進すること」。

公共とは、社会全体のことであり

個人や私と相互関係にある。

 

 今の世の中、逆になっていないだろうか。

「社会の秩序や平穏という

公共的な価値のために

個人は文句を言ってはいけない

となっていないだろうか。

 

インターネットでは、逆転しているため

それが分かりづらい。

 

インターネットでは、色んな人が

色んな文句を言っているので

一見すると、個々人で文句を言えている

ように見える。

 

しかし、リアルの場でそれが言えない場合

果たして、それは公共の福祉の増進となるのか。

 

何が言いたいかというと

憲法でいう

公共の福祉というのは、人権と人権の衝突を

調整するために規定されたものなわけで

 

面と向かって言わない場合に

果たしてお互いに、自分の「言い分」を

話すことができるのかということ。

 

できるという人もいるだろう。

 

しかし、私自身はその点については

疑問だ。

 

ただ、送りやすいという理由で

市政への提案をしても、心の底では

蟠っている何かがあると思う。

 

ひょっとしたら、その人にとっては

車優先社会より、不満に思っていることが

あるのかもしれない。

 

それが、見えない形で

あたかも、TVでやるような

芸人の顔にパイを投げつけるような形で

市に対してクレームを出すのは

どうかと思う。

 

私の見立てでは、もう多くの人が

そのネットでのやりとりでは

らちが明かないと思っている。

 

市役所に出かけ、仮に

その提案が呑まれなくても

そこに行って、職員の人と話す価値はあると思う。

 

 車優先社会に異を唱えること(脱クルマ)もまた

そんなに、ムズカシイことではないと信じているけど。

f:id:remone-dox:20170813081124p:plain