ターマーエッセイ

ちょっと、エッセイのコツが分かったかも。

考えるヒントという「言葉」に気づかず早何年?

 ある時期まで

私は読書に関して罠にはまっていた。

 

それは、読書というのは

「人生の答え」を探すために

行うものだ、という誤った考えだ。

 

この罠にはまってしまったのは

おそらく、私自身だけの責任ではない。

 

世の中の風潮として「名言」が

もてはやされていた。

(名言本はたくさんあったし

ネットにもそういうものがあった)

 

それにのせられてか、読書というのは

その「名言」を見つけるために行うものだ、

と考えていた。

(先ほど言ったように本には

「人生の答えがある」と思っていた。)

 

その読書を続けて、自分の人生が

変わらないと気づいた時

ふと「これって、間違ってね?」

と感じた。

 

そこから読書の軌道修正を行おうと

したのだけど、うまくいかない。

 

どうしても、どこかに人生の答えがある、

と思ってしまう。

 

そこで発想を転換した。

 

読書が出来ている人からしたら

当たり前なのだけど

読書とは「考えるヒント」なのだと

見方を変えたのだ。

 

パスカルがいうように

「人間は考える葦である」。

 

そしてその考える人間が

考える「幅」を広げさせてくれるのが

読書という行為だ。

 

今までは、あるテーマに関して

「一行」しか話せなかったのが

それ以上のことが話せるようになるのが

読書の美点。

 

それは「思考」の「プロセス」が

以前と比べ「複雑」になったということ。

 

テニスの王子様について語るにしても

アイシールド21と重ねて語るのか

ヒカルの碁と比べて語るのかでは

だいぶ、その話の広がりが違う。

 

いずれにしろ、読書とは

その人の思考に「幅」や「深み」

を与えるもの。

 

以前の私は孤独に本と読書していれば

コミュニケーションになっていると思ったのだけど

今は考え方を改めている。

 

やはり、対ヒトとの

コミュニケーションは必要だ。

 

孤独な読書「だけ」だと人は

自分だけに分かる世界を作り上げてしまう。

 

私は記事によっては

分からない人にも分かるように

書いているけど

時々、メンドクサイので

分かっている人だけの文章になったりする。

 

 人と話すと面白い。

 

「こんなこと考えているのかw」

と気づかされることがある。

 

たとえば、ある人にワンピースの話をしたら

「ナミは昔の方がよかったです。

ぼくは貧乳が好きなんです。」

と言われた。

 

またある人にワンピースの話をしたら

「今のルフィって、『ゴム感』がないですよね」

と言われた。

 

言われてみれば「その通り!w」なのだけど

人と話すまで、そのことは意識化されていなかった。

 

というか他の人は「そこに」

注目しているとは思ってなかった。

 

私自身は、ワンピースの

エポックメーキング(画期的)なところに

注目していたのだけど

(自分たちの時代は

「仲間がいなければ生き延びれない」

という痛烈なメッセージ性など)

他の読者からすれば

それよりも、漫画の進展状況による

「細かな」部分に注目していた。

 

そこが驚きだった。

 

「はぁ。そこにひっかかるのね」

 

その時は「へぇ~」と思ってそれで

終わりだったのでそれ以上掘り下げなかったけど

「貧乳について」は「貧乳のキャラが好きなんですか?」

と質問できるし

「ゴム感について」は「ゴム感があった頃で印象に

残っているシーンはありますか?」

と質問できる。

 

その話をしたことで

私には、一つの仮説が思い浮かんだ。

 

それは、「同じ本を読んでも

みんな違う箇所を見ている」

ということ。

 

もちろん、この人とこの人は

似たようなことを考えている、

という見方はできるだろう。

 

しかし、根本的には、自分が思っている以上に

人は見ているものが違う。

 

しかも、他人は自分の鏡だ、

という考えでいくなら

その人の考えというのは

自分も少なからず考えていたこと

だということになる。

 

これは、対ヒトとのコミュニケーションを

避けていた自分からすれば

「超発見」だった。

 

同じ本を読んで「見ている箇所」が違うなんて!

 

どういう考えをしていると

そういうところに目がいくんだ?

 

と、人に対して俄然興味が

沸くようになってくる。

 

 ある意味、どうでもよさそうに見える質問も

恥を忍んで聞いてみると

その質問が不発だった場合は別として

自分の中に残るもの。

 

自分の関心領域からかなり外れたものだと

記憶にも残りづらいけど

そうではない場合は

意外と自分の中に残っている。

 

「ああ、あの時もっと話をしとけばよかった!」

という後悔は、たぶん多くの人に

共通の後悔なのではないだろうか。

 

少なくとも、私は後悔した。

f:id:remone-dox:20170815173543j:plain