ターマーエッセイ

一切が無関係

ゲームに飽きた人達がやらないたった一つのこと

 「ゲーム 飽きた」スレを見てきた。

 

どうやら、若い世代の「ゲーム 飽き」が

けっこうあるようだ。

 

色んな対処法が述べられているけど

ほとんどの人が肝心な「本音」の部分に

触れていない。

 

ゲームに飽きてしまった一番の理由は

ゲームが面白くないからではない。

(それは後づけ)

 

ゲームに飽きてしまった一番の理由は

話題をリアルで共有する人が「いない」からである。

 

スレである住人が言っていた。

 

「ゲームの話題を友達としていた時期は

楽しかった気がする」と。

 

これが問題の根本だ。

 

なぜ、これについて確信を持って言えるかというと

私自身、大学時代、小説や哲学書を孤独になって読んでたら

その後、両方とも「飽きた」からだ。

 

これがもし仮に、ひとりでも小説や哲学書について

話せる友人がいたら、おそらく違っただろう。

 

今もだから、この二つに関しては

以前ほど楽しめない。

 

なぜかというと、共有する相手がいないから。(笑)

 

私が病院やフリースペースで

出会った人達から「気づき」を

得たのは、彼らや彼女らに

小説や哲学書について喋って

少し時間がたってから。

 

「ああ、やっぱこれが好きなんだな。」

と話した「後」に気づく。

 

最初は、コミュニケーションが億劫だったり

めんどくさかったりするから

「熱い」気持ちが出てこないこともあるけど

それも「慣れ」。

 

しゃべっている内に、熱い気持ちは

再燃する。

 

人間の体というのは、不思議なもので

「カラダが火照る」という表現があるように

自分が好きなことをしゃべっていると

興奮してくる。

 

それを多くの人は実感していない。

 

人とのコミュニケーションを避けて

逃げているのである。

 

それでも生きていけるから

今はまだいいかもしれない。

 

私が、もしもコミュニティビジネスをするなら

確実に、ゲーセン内にカフェを作る。

(今では、コインランドリーに

カフェがあるんだから、その発想は悪くないと思う)

 

そこでは、ゲームが大好きな人もいれば

ゲームに飽きちゃった人もいる。

 

交流の場として、ゲームの話がしやすいような

環境を作れば、人は何かをしゃべり出すだろう。

 

たぶん、ほとんどの人が「初めて」ゲームをやった時

その最初のゲームの出会いは

「暇をつぶすため」ではなかったはず。

 

ちゃんと「楽しかった」

記憶として思い出があるはずなのだ。

 

「最近のゲームはつまらない」というのは

一度、対人関係でつまづいてしまった人の声としては

分からなくもないけど

自分の思い出について「思う存分」

「リアル」に語らないでいる中では

その声はただ「虚しい」だけ。

 

私自身、大学の先生に

あれだけ口を酸っぱく

「おしゃべり」の重要性を

説かれていたのに

岩牡蠣のように、口を真一文字にして

リアルに人との交流にでなかった。

 

そのつけが今きていて

一番、辛かった時期は

「どうして、自分は大学生の頃

人と交流しなかったんだ」

と嘆いていたこともあった。

 

しかし、「どうして?」「なぜ?」

と考えても答えは出ないのである。

 

それよりも、実際に

今できることを行動に移すこと。

 

最初は、人と会っても

何の話題も話せない自分に

落胆し、さらに人との会話で

疲れて「こんなことやっても意味ねえよ」

と投げ出したくなる。

 

しかし、そこで投げ出しては

ただ「生きている」だけになってしまう。

 

人との関係は、人生を生きる上で

つきものなのだから。

 

私自身、何度も「生きてるだけいっか」

と考えた時期もある。

(対人関係で疲れてw)

 

しかし、そのあとに

「人」のいる「世界」へ

足を伸ばしている。

 

人とのおしゃべりを

「めんどくさい」という理由で

避けるのはもったいない。

 

ひとりの世界に閉じこもったがゆえに

薄れた感受性や想像力も

人と話している内に

取り戻せる。

 

それが、人との交流の真価である。

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