ターマーエッセイ

一切が無関係

孤独に耐える力をつける前に、人と仲良くなる(遊ぶ)ことの方が大事なような気がする

 小さい頃から

大好きで熱中できる

ものがあって

今もなお

はまっている何かがある人は

この話は関係ない。

(たぶん)

 

そうではなく

今、何も熱中できるものがない

という人に向けている話。

 

あるいは、何かに

飽きている、という人に向けて。

 

今回のテーマは「孤独」。

 

どんな人も避けて通れないのが

この「孤独」なんだけど

よくネットで見かけるように

「孤独になる」必要性は

本当にあるのだろうか?

 

それを今回は文章化してみたい。

 

こう考えるようになったのは

自分の人生と対話してみた時に

本当に「孤独」は

自分の経験として

(今の時点で)

何か、学びになったのだろうか

と疑問に思ってしまうからだ。

 

 大学生になった頃

晴れ晴れ「孤独」になって

すごく、自由な感じがしたのは事実。

 

しかし、そうやって

人と会わず、三年ぐらい「孤独」に

なっていると

「孤独」の「辛さ」が身に染みるようになる。

 

お坊さんでさえ、修行する際

師匠がつき一時間半の禅問答をする

と言われているにも関わらず

私は、ときどき

両親としゃべるぐらいで

あとは、本の世界へと

タイムスリップして

ほとんど人と口をきかなかった。

 

なにか、孤独を選んだことによって

自分に学びがあったかといえば

どうも思いつかない。

 

理由は簡単である。

 

当時のわたしは

「孤独」になるちゃんとした

目的意識がなかったから。

 

たとえば、これが「自立」のためとか

「起業する」とかであったら

「孤独」な日常にも

何かしら「学び」はあったかもしれない。

 

しかし、当時の私は

当時のつながりから「逃れたい」一心で

「孤独」を選び、そして本の世界に

「逃げた」だけ。

 

つまり「逃げた」先で

また「逃げた」のだ。

 

人によっては「本の世界に

熱中できるなんてすごいじゃないか。

そんな、逃げ、なんて言わない方がいいよ」

と言ってくれるかもしれない。

 

しかし、自分にとって読書するという行為は

「劣等感」からくるものだった。

 

「今よりもっと賢くなってやる」

と言っておきながら、対人関係には

ほぼ全くと言っていいほど踏み出さないで

本を読んでその世界に浸っているだけ。

 

これが「逃げ」でなく、なんなのだろう。(笑)

 

 このパターン、今書いていて思ったけど

公立ではなく私立高校に行くことを決めた時と似ている。

 

「あいつらを見返してやる」

と言ったものの、当時の自分の中にあったのは

「スポーツで頑張ること」

 

そして「劣等感スポーツマン」は

周りから評価されないことに気づき

「頑張っても報われないのか」

と気づき、その努力を諦める。

 

その時点で「人生の方向転換」が

できればいいのだけど

生憎、往々にして人間は

そういう「修正」ができない。

 

 そして、大学受験に入り

大学に見事合格した私は

違うフレーズで

自分にそれを言い聞かせ

またミスを犯すのだった。

 

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