ターマーエッセイ

ちょっと、エッセイのコツが分かったかも。

プルーストと記憶の部屋

三日に一遍ぐらいは

更新したいと思っている

たわし、でございますが

今月は10記事も

いかなかったのね。(笑)

 

まぁ、今の生活では

これぐらいでも

充分いいと思っている。

 

中には、一日一記事書いちゃう

ツワモノも(もっと書く人も)

いるんだけど

人は人。たわしはたわし。

ペースはいたずらに崩すものではない。

 

 ペースで思ったんだけど

人って、自分のペースが崩れると

何かしら、体調に変化がでる。

 

そして、ネガティブなこと

悪いことばっかり考えちゃう。

 

その時の「記憶」が鮮明であればあるほど

そこから抜け出せなくなる。

 

しかし、どうだろうか。

 

記憶というのは、そういった

暗い、トラウマのようなものだけが

自分を縛るのだろうか。

 

私はそうは思わない。

 

反対に、明るかった時の思い出

楽しかった日々の思い出も

また同様に、自分を縛る。

 

「あの時は楽しかったのに」

と小学生の頃を振り返る中学生は

現実に、いる。

 

そういう意味では、トラウマのような

ものであっても、思い出のようなものであっても

実は、どちらも「善悪」がないという点でいうと

同じものだと言える。(まだ腑に落ちていないけどw)

 

たしかに、トラウマも思い出も

現在、自分を縛っているのだとしたら

それは、同種のものだと言わざるをえないだろう。

 

 ところで、今説明にでてきた「記憶」。

 

実は、プルーストという作家が

「無意識的記憶」という言葉を言っている。

 

たとえば

食卓に出た

ある食べ物を食べた瞬間

昔の記憶を思い出すという仕組みのこと。

(自分の場合なら、卵豆腐を食べると

中学時代、ハンドボールの練習で

くったくたに疲れて、帰ってきた後に

食べた茶碗蒸しのことを思い出すw)

 

あるいは、村上春樹ノルウェイの森でも

印象的なシーンとして描かれているけど

飛行機に乗っている際に

ビートルズの曲が流れ

若かりし頃の記憶を思い出して

動揺して取り乱す場面がある。

 

で、ここからが本題というか

仮説なのだけど

こうやって、何かを思い出している時

実は、それが「意識」にのぼらないだけで

本当は、自分の中では様々な記憶が

呼び起されているのではないだろうか。

 

たとえば「雨」。

 

私たちは、雨が降っている時

「雨が降ってるな」ぐらいしか

思ってないし、考えていない。

 

だけど、実は、記憶の中では

今まで経験した雨×???日の

ストックがあって

それが、無意識の中では

うごめいているのではないのか。

 

あるいは「晴れ」の日の記憶も

同時に思い出している。

 

「そんなわけあるか。

現に、自分は、一昨日の天気でさえ

覚えているか怪しいんだぞ」

という人もいるだろう。

 

しかし、私から言わせれば

記憶というのは

「覚えている」とかそういうことではない。

 

記憶とは「感じ」なのである。

 

だから、細部が分からないから

「記憶していない」と決めつけるのは

早計だろう。

 

「感じ」さえ分かればそれでいいのだ。

 

「一昨日は、晴れていたと思うよ。たぶん」で。

 

 おそらくだけど、人生を楽しく生きている人たちは

多くがこういう発想で生きているような気がする。

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