ターマーエッセイ

ちょっと、エッセイのコツが分かったかも。

カレーと炒飯、毎日食っていたら飽きるでしょ?

この話は引きこもりネタだ。

 

先に結論だけ言うと

「単調な生活で

つまらなくないですか?」

ということだ。

 

ひきこもり批判ではなく

「情報を一つのルートだけで

受け取っていませんか?」

という問題提起だ。

 

私の場合、生身の人から得る情報が

圧倒的に少なかった。

 

本やネット、TVといったものからしか

情報を得ていなかった。

 

「それでも、充分じゃないか」

と思う人もいるかもしれない。

 

あなたが充分だと思うなら

それで充分なんだけど

私はそうは思えなかった。

 

なにしろ、きちんと人と関わるまで

相対的、客観的、多角的、多面的などの

言葉を知らなかったし

知っても意味が分からなかった。

 

「なんだ、それ。食えるのか?」

ととぼけた表情で考えていたものだ。

 

そんな私だから、病で伏せるまで

その言葉の意味も分からなかったし

生身の人から得られる情報にも

価値があるなんてことは

考えもしなかった。

(本当はどこかで分かっていたけど

腹の底では抵抗があったのかもしれない)

 

でも、今は思う。

「相対的ってこういうことか・・!」と。

 

ところで

昔は楽しかった少年時代を

送ったことがある自分。

 

その時は、色々辛いこともあっただろうけど

小学生の時が楽しかったと思っている。

 

しかし、その後の人生を見ると

「なんだか、ぱっとしない」

人生を送っている。

 

「この違いはなんだ?」と考えた時に

答えは自分の経験でいえば

一つしかなくて

「生身の人に対する興味」が

なくなっているということに

気づくのだ。

(これは今書いていて

そう思った)

 

今思えば、あの頃から病んでいたのだ。(笑)

 

そのことについて考えると

「人と深く関われない」ことが

自分にとって、大きな課題に

なっていることに気づく。

 

こういうと誤解がありそうだから

付け加えておくと「深く関われない」

というのは人と「べったり」できない

ということではなく

お互いの「価値観」を「混じり合わせる」

ことができないということだ。

 

だから「人と深く関われなくても

別に問題ないでしょ?」

という人は、この話は意味がない。

 

話を戻すけど

自分にとっては「人と深く関わる」

ということが大きな課題だと

思っている。

 

まだ「傷跡」がいくつかあるし

それは、癒えているわけではない。

 

こういう人って、けっこういるんじゃないだろうか。

 

で、そういう人達って

その傷を必死で隠すために

「浅いつながり」で何とか

自分をごまかしているのではないだろうか。

 

そういう意味では、ツイッター

傷を負った人達の集合場所

みたいなものなのかもしれない。

 

その場所にいることは否定しないけど

その場所だけにいて、外に出ないというのは

いかがなものだろうか?

 

たとえば、昼飯にカレー。

夜に炒飯。

 

これが今日のメニューだとする。

美味しく食べる。

 

しかし、その次の日も

昼飯にカレー。

夜に炒飯。

 

その次の日も。その次の日も。

 

これは地獄じゃないだろうか。

(これを「カレー炒飯地獄」と呼ぶ)

 

どんなに美味しいものも

どんなに嬉しい・楽しい情報も

毎日、食っていたら飽きる。

 

だから、たまには外へ出て

外の空気吸って

大きな声出して

カラダくたくたにして

人と関わって

そういう時間を作ることで

少しずつ、少年期にあった

「人への好奇心」が回復していき

人生もより楽しくなるんじゃないかと

想像している。

 

そういえば、精神界隈では

「人への好奇心」っていうキーワードは

若干、避けられてる気がするけど

なんでなんでしょうかね?

(友達ができたらそれでよし、みたいな風潮)

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