バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

「どうでもいいけど」という前置きが、コミュニケーションのジレンマを生む

少し前に流行った

お笑い芸人のギャグで

「どうでもいいで・す・よ」

というものがある。

 

エンタの神様全盛期の時に

だいたひかるという芸人が

作ったギャグだ。

 

個人的には「よく分からなかったし」

暗くて、ジメジメしていて

何とも面白さを感じなかったという話は

さておき。

 

最近この「どうでもいいけど」の精神が

多くの人の生き辛さに

つながっているのではないか

と思うようになった。

 

たとえば、習慣化。

 

~をやって習慣化したい

という思いがあっても

無意識のどこかでは

「どうでもいいか・・・」

という気持ちがある。

 

「何をいまさら、努力する必要があるんだ」

と生き辛さはそのままにして

新しい習慣を作る事はやめてしまう。

 

そして年々生き辛さは余計に悪化する。

 

そういう場合もある。

 

あるいは、コミュニケーション。

 

私自身はこちらの方が問題だと

思っている。

 

コミュニケーションの成長において

「知らない話」を聞いたり

「自分の興味のない話」に興味を持つことは

大事だと思う。

 

しかし、生き辛さを持っている人は、

知らない話=関係ない、であったり

自分の興味のない話=興味持ってどーするの?

という等号式で結んでいる。

 

自分の世界=縦穴は深い人が多いのだけど

それ以外のことはよく知らない人が

今の私の身近には多い。

 

私はどちらかというと

雑食なので、色々な人が

興味を持っているものに

興味を示すのだけど

それはあくまでネットに

落ちているものを見たり

読んだりしているだけであって

実際のリアルの人間に興味を持ったことは

ほとんど今までなかった。

 

今は、意識して目の前にいる人達の

興味を持っているものに興味を持つように

なったのだけど(自分が興味がなくても)

意識できるようになるまでは

難しかった。

 

なんせ、お天気の会話でさえ

「めんどくせー」と思っていた人だ。

 

そういう人が自分の興味のない話に

興味を持つよう話をするというのは

難しい事だろう。

 

どこかで、コミュニケーションに

「どうでもいい・・・」と

感じていたんだと思う。

 

知らない話はどうでもいい。

 

自分の興味のない話はどうでもいい。

 

というかコミュニケーション自体が

どうでもいい。

 

そういう思いが無意識に

あって、一方では自分のしたい

コミュニケーションには飢えている。

 

これは、コミュニケーションのジレンマ

あるいはコミュニケーションの飢餓状態

とも言えるだろう。

 

現代はSNSが発達していることもあり

画面上で、共通の話題の合う人を

見つけるのは難しくない。

 

しかしその先の本当の人間関係になると

生き辛さを持った人は

そこまで行けない。

 

そこもまたジレンマになる。

 

整理しよう。

ジレンマには二つある。

 

①「自分のしたい話」がありながらも

人の興味のない話を聞くつもりはない。

 

②「SNS」では交流ができるけど

実際の対人関係には踏み込むことができない。

 

この二つが、前の自分にはあったので

相当、生き辛かった。

 

今は、①番がある程度緩和されたので

生き辛さは減ってはいるものの

SNSからのリアルな対人関係には

踏み出せないので

ここはもう少し時間がかかることだろう。

 

最後に、私が気になっている言葉を

説明して終わろう。

 

それは「ノイズ」という言葉。

 

SNS、とりわけツイッターのようなものが

流行してから数年。

 

ネットでは「ノイズを見ないため」

SNSと距離を置くという人が出てきた。

 

SNSと距離を置くのはいいのだけど

それを「ノイズ」という表現で

切り取るのは少し問題ではないだろうか。

 

だって、仮にも

そのノイズを打っているのは

人間なわけだし。

 

その当人が

暴走バイクよろしく

騒音をぶち鳴らしているとは

正直思えない。

 

ほとんどの人が

先ほど言った

コミュニケーションのジレンマに

悲鳴を上げているのだと思う。

 

それを「ノイズ」という言葉に

置き換えてしまうと

「悲しんでいる」人たちがいることは

「ない」ものとされてしまう。

(ノイズには悲しみという意味がないため)

 

無視された人たちは

どうするかというと

「正論」をぶち上げたり

「批判」・「皮肉」・「冷笑」と

いったつぶやきを残しやすい。

 

もちろん、社会の多数派の論理は

生き辛さを持っている人達を

圧殺する力があるので

生き辛さを持っている人が

社会の側に訴えかけても

相手は「沈黙」しているのだから

どうしようもない。

 

これが書いていて思ったけど

第三のジレンマ。

 

生き辛さを社会に訴えても

社会が沈黙しているという状況。

 

これら三つが(もっとあるかも)

人生「どうでもいい」の

本質かもしれない。

 

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