バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

6月の記憶が曖昧だった日に、地下新宿の柱の下で座り込んで泣いていた女の子について

これは最近の話ではない。

 

かなり前の話。

 

私が大学生だった頃の話だ。

 

六月頃だったのは

覚えている。

 

私は電車に乗って

家へ帰る途中だった。

 

途中、車内に忘れ物をしたことに

気づき新宿へと引きかえした。

 

新宿の地下はごった返しており

人が色んな場所へと移動していた。

 

私は駅員の人に忘れ物がないか

聞いたところ、あると言われた。

 

私がその通路の前で待っていると

その地下のある柱の下にもたれかかって

へたっと座り込んでいる女の子を

発見した。

 

いつもなら目についても

「なんかあったのかもな」ぐらいで

スルーしていた。

 

しかしその日に限って

というかその子は気になった。

 

なにしろ30分以上

座っているのだ。

 

そして、ただ座っているだけでなく

泣いていたのだから。

 

私は放っておけなくて

声をかけた。

(声をかけるまでに

すごい時間がかかった。

おそらく隣に座りこんで

20分は経っていたはずだ)

 

するとその女の子は

先ほどまでしていたイヤフォンを外し

(音楽を聴きながら泣いていた

ということになる)

はじめにこう質問してきた。

 

「心理系の人・・?(涙ぐみながら)」

 

私は苦笑いでこう答えた。

 

政治学科w」

 

その後も4・5回

会話のキャッチボールを続けたが

もう覚えていない。

 

その女の子も話して

少し気が楽になったのか

立てるようになったので

「お茶でもしませんか?」

と聞いたところ

肯いてくれた。

 

そして、地下新宿某所で

お茶をしたのだけど

一番気になった話が

「足が動かないの」だった。

 

その時「そんなことあるのか?」

と思っていた。

 

最近になってネットなどで調べたところ

たしかに「足が動かない」

という症状があることを知ったので

ウソではないんだろうと思っている。

 

ただその時の私には

「一期一会」の価値が分かっていなかったので

その出会いを「捨てた」。

 

「またどこかで会えたら♪」

という言葉を残し。

 

おそらく、もう二度と会えないことは

分かっていながら。

 

なんでこんな話をしたかといえば

昨日の夜から

村上春樹の「4月のある晴れた朝に

100%の女の子に出会うことについて」

という短編を読んでいたところ

ふとこの思い出の記憶が甦ってきたからだ。

 

この話の筋は単純。

 

若い頃にお互いに100%だと

思う異性に出会う。

 

ところがお互いに100%同士なら

今別れてもまた出会えると信じて

折角出会ったのに別れてしまう。

 

そのあと、悪性のインフルエンザにかかり

記憶をなくしてしまう。

 

お互いにお互いを忘れ

約束したことも忘れ。

 

そのあと、この短編では

主人公とヒロインは

原宿の裏通りですれ違っている。

 

しかし年齢が30代を過ぎたこともあり

もう二人はお互いの存在に気づけない。

 

人とのつながりは「その時に」

大切にしないともうそういう出会いは

ないかもしれない

という風に読める作品。

 

一回目読んだときは

「話が短くて特に展開の面白さはないな」

と読んですぐ投げたのだけど

読み直して場面場面を

イメージしてみると

時間が過ぎ去っていくことの

悲しさのようなものを感じて

印象が変わった。

 

「ああ、あの時、連絡先だけでも

交換しておけばよかったな」と。

 

と、いくら嘆いても

もうあの子とは出会えないわけで。

 

何が二人を引き寄せたのかは

分からない。

 

おそらくお互いに100%の異性

というわけでもない。

 

ただなんでだろう。

 

またどこかで会う気がしなくもない。

 

どういう形で会うことになるのかは

分からないんだけど。

 

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