ターマーエッセイ

一切が無関係

「この先どうしたらいいか分からない」と顔に書いてある人

いる。

 

こういう人達が。

 

中にはもう既に「悟ってます」みたいな顔で

悪い意味で自分の人生を

諦めている人も多いけど

一方で

「この先どうしたらいいか

分からない」と顔に書いてある人達もいる。

 

割合としてはどうなんだろう。

 

前者が6で後者が3?

(残りの1割は人生を謳歌している人達)

 

いやよく分からない。

 

とにかく、どちらの人にせよ

見ていても興味がもてない。

 

病院の患者の人の言葉で

「あとは死ぬだけだよ」

というブラックユーモアを

遠くから聞いてつい笑ってしまったことがあるけど

おそらく

自分が見かける人たちも

内心ではこんなこと考えているのかもな。

 

自分が調子を崩した時は

こういうことを思考していたから

というのもあるけど。

 

「笑顔は遠くから見ても認知できる」

という妻夫木聡さんのCMにもあったように

なかなか調子がよくないと

「笑顔」って作れない。

 

反対に「この先どうしたらいいか分からない」

という表情は調子が悪ければ

自動的に作られる。(笑)

 

つまり、私が見ている

「この先どうしたらいいか分からない」

という人達は「体調不良」という説が

仮説できる。

 

現代人の多くは「病気だ」という人達もいるけど

もしかするとそれよりも

「体調不良」説の方が

「病気」とレッテルを貼るより

いいのかもしれない。

 

「この先どうしたらいいか分からない」

という体調不良。

 

これが悪化すると

「この先どうにもならない」

という病気になる。

 

ということは、現代人の多くは

「病気」の一歩手前の「体調不良」で

苦しんでいるということになる。

 

ところで、一体彼らは何が

「わからないのか」。

 

おそらく本人の中では

明確になっていない。

 

もっというと

「どうしたら?」という

心理学でいう所の

「Doing・Being」の

「Doing」に焦点を

当てている時点で

その問いかけでは

うまくいかないと思う。

 

だから、イメージとしては

掴みづらいかもしれないけど

本当は

「この先どうしたらいいか分からない」

ではなく

「この先どうあればいいか分からない」

という問いかけに持っていく必要がある。

 

多くの努力信仰者はこの問いかけが

できないから努力をやめることができない。

 

この問いかけは心理学でいうところの

「being」。

 

自分が感じたこと・思考など

観ていくこと。

 

あるいは自分の「幸せ」を追求すること。

 

こういうことを置き去りにして

やれ、学校のための勉強だとか

やれ、仕事のための資格勉強だとか

やれ、コミュニケーションのためのセミナーだとか

に行っても

悩みは変わらない。(たぶんw)

 

私自身は

自分自身を「観る」ワークをやるようになってから

1年が経過した。

 

この間効果が出ないと嘆き

疑念・疑問を感じたことも

多々あったけど

最近はそこを脱している。

 

着実に、確実に「観る」という

ワークをしている。

 

そうしている内に

「この先どうにもならない」

あるいは

「この先どうしたらいいか分からない」

が自分の「思考」だと分かり

それで悩むことがなくなった。

 

「観る」ワークをやることで

そういう状態から抜け出せるようになった。

 

私はまだ「観る」ワークをして

1年弱なので

これからまだ知らない世界を

観ることになるのかもしれない。

 

期待せず、愚直に歩いて。

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