ターマーエッセイ

一切が無関係

「波動は我にあり」の二種類の意味

最近

量子力学の本を

ちらちら読んでいる

という話をした。

 

その本のある個所の中に

「物質は人が見ていないときは

波であり

人が見ているときに

粒子となる」

という話が出ていて

思わずこの説明を読んだ時

唸らずにはいられなかった。

竹内薫さんの

「大きく考えるための

小さな本」という訳本)

 

自分という存在が

「観て」はじめて

物質が物質化する。

 

これにいたる実験は

何だかよく分からなかったし

これを知っても

「だから何?」となるだろう。

 

そういう意味では

まだ自分の中で

この実験を知ることの意味を

言語化できない。

 

ただ、自分の中で一つ

腑に落ちたことがある。

 

それは

『波動の勇者ルカリオ

という2005年公開の

ポケモン映画で使われている

 

「波動は我にあり!!!」

というセリフには

自分が考えていた一つの意味ではなく

あともう一つ

もしかしたらまだ他にもあるのでは?

と思うようになったということだ。

 

一つ目の意味は、よくスピリチュアルで

使われる「波動が高い」

「波動が低い」という奴だ。

 

波動が高いと嫌なことに会いづらい。

 

仮に嫌なことににあっても

笑ってその場をやり過ごせる。

 

逆に波動が低いと

嫌なことによく出くわしてしまう。

 

そして嫌なことがあると

嫌な考えがぐるぐる回り

ネガティブスパイラルに入り

さらに波動が下がる。

 

この波動自体がどういうものだかは

スピリチュアルでは

ほとんど説明されていない。

 

ただ「ある」ということなので

自分もそれにのっかって

説明している。

 

ちなみに波動が高くなる時というのは

自分が楽しんで趣味なり物事に

取り組んでいる時であり

もっというと

波動が常に高い人は

波動が「高い/低い」の話をしないそうで

これは本当にそうだと感じる。

(当時&今の自分を振り返ってみる限り)

 

ここまでが一つ目の意味。

 

二つ目が最初に述べた奴。

 

「物質は人が見ていないときは

波であり

人が見ているときに

粒子となる」

 

「波動は我にあり」の

「我」はいわゆる「私」ということで

説明がムズカシイのだけど

「波動」は自分の中に「ある。」

 

それは、波のような動きをしている。

 

「我にあり」=「我」という存在を

通して「波動」というものがある

ということにすると

一番最初の

「物質は人が見ていないときは

波である」

の説明と矛盾するので

そういうことではない。

 

そうではなく

「人間」というのは

自分で認識するまでもなく

本来「波」のような性質があり

言い換えれば

「エネルギー体」だということだ。

(これは強引に言い換えているw)

 

で、一番目の意味の話とクロスするようだけど

やっぱり、人間はエネルギー体である以上

エネルギーが落ちること

エネルギーが上がること

両方の行動があるわけで

それを意識しないまま

生きていると

調子を崩すのだと思う。

 

たとえば、以前は

アニメを見て

「エネルギー」が補充された人も

年を取ると

そうならなくなってくる人がいるように。

 

「エネルギー」の話も

面白いのでまた機会があれば

記事にしてみようと思う。

(文章化は難しそ~w)

 

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