ターマーエッセイ

一切が無関係

図書館においてある本の9割は「自分にとって」無価値~論文系や説明系の本は読み手を無視している

あくまで私の実感なので

あてにしないでね。

 

大学生になってから活字を読むことが

習慣になっているせいか

時々「図書館」に行きたくなる。

(正確には図書館しか

行き場所がなかったりするw)

 

で、最近なんかは

図書館に行くと

その時の気分によって

本棚の前に立って

ゆらゆらする。

(周りからみたら変な人)

 

たまに面白い本が見つかる。

 

反対に全然面白くない本が

見つかる時もある。

 

自分なりにその違いを考えてみた。

 

まず、私の読書レベルというと

そんなに高くない。

 

論文系の文章は

読めない。

 

ガチガチのフォーマットで

作られた文章は完成度は高いのかもしれないし

今後、読めるようになるのかもしれないけど

今は、全く読めない。

 

f:id:remone-dox:20180109202623j:plain

(こういう分厚い本は手にとって終わり)

 

次に、説明系。

 

これは妖怪の種類とか

縄文時代の歴史についてとか

いわゆる、知識だけひけらかして

特に読んでいる側からすると

「発見」や「気づき」が得られない

文章を指す。

 

残念だけど、こういう本は

反面教師にさえならない。

 

だから、時間とともに

忘れ去られていくだろう。

 

どちらの本も、存在自体を

否定はしていない。

 

本が売られ、その本を買って

まして図書館の本棚に並べられるぐらいだから

本当に「ごみ」みたいな本に比べれば

ましだろう。

 

欲望がそこにはあるわけだ。

 

しかし、ネット時代と呼ばれる時代において

ああいう「論文系」本や「説明系」本は

読まれない。

 

理由は簡単だ。

 

堅苦しいからである。

 

たとえば、友達もいない

家族とも上手くいってない人が

本の世界に逃げたいと思った時

 

「この本は、文明論的なアプローチも

視野に入っているのである」とか

呑気に妖怪の種類の説明をしているだけの本を

読むわけがない。

 

こういう人が、ネットの記事に行くのは

少しでも「現実逃避」したいからである。

 

そこで行われている身近なやりとりが

見たいからである。

 

にもかかわらず、今日も明日も

本屋さんに並ぶ本は堅苦しい本か

説明本だったりする。

 

分かっていないのだ。著者たちは。

 

若者が何を欲望しているのか。

 

それが分かれば、そういう言葉を

本にちりばめるはずなのである。

 

もちろん門外漢で語れば

「知った口ききやがって。

お前がキングダムを語るな。」

と言われてしまうかもしれない。

(たとえばねw)

 

でも、何にも響かない文章を読むよりは

自分の知っている「何か」について

書かれている文章の本が圧倒的に

自分自身に残る。

 

それは経験上言えることだ。

 

たとえば内田樹さんの文章の

章分けには、ちょっと

気になるワードが入っていたりする。

 

特に彼は「漫画」に精通しているので

漫画の名前が出てきたりすると

私としてはそこで読むのが中断できない。

 

ワンピースしかり。

バガボンドしかり。

 

ただし、私は彼の論文系の文章は

読めない。読みたいとさえ思わない。

 

その本の展開は、いわゆる図書館の本棚に

並んである論文系の本と変わらない。

 

私はこういう文章を

じっくり読んで理解したい

という気持ちがまるでないのである。

 

そういう意味では私は読書のアマチュアである。

 

読書に関してはプロになりたいとさえ思わない。

 

そしてそれでいいのだと思う。

 

私にとって大事なのは本から

イデアがもらえることなのだから。

 

f:id:remone-dox:20180109205822j:plain