バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

学びをやめて、始める学び

春は塩。

 

夏は醤油。

 

秋は豚骨。

 

冬は味噌。

 

とまぁ「枕草子」の一節を

使った話をマクラにして

(ラーメンネタっすw)

今日は「学び」について。

 

私は今までの人生で「学び」について

深く考えてこなかった。

 

英国数理社、それ以外と

ただ単にお行儀よく

机に座って真面目に授業を受けてきた。

 

「それはいずれ何かの役に立つのだろう」

とぼんやりと考えて来る日も来る日も

授業に出ることを大事にしていた。

 

だから、授業を休むことは

異常に恐れていた。

 

というのも休むと基本的には

授業についていけなくなるからだ。

 

そのせいか、調子を崩して

寝込むようになると

「休んでいること」に罪悪感や引け目を感じた。

 

おそらくこれはそこそこ学業では

優等生だった自分の「休んではいけない」

という価値観からくるものだったのだろう。

 

今でも実を言うと休むと

「時間を無駄」に使った感覚に

苛まれる時がある。

 

よくよく考えれば、当時もっと

休むことを覚えとけばよかったのだ。

 

が、実は心の底で勉強しないと

人生で躓くだろうと思っていた自分は

休むことが出来なかった。

 

もちろん休養がてらに、漫画を読んだり

モバゲーの恋愛小説を読んだり

マスターベーションしたりしていたわけで

「少しの間」の休息はあった。

 

しかし、学校に行くこと・行かねばならない

という風にしていた自分にとって

果たしてその休息に意義を感じていたか

というと怪しい。

 

なぜなら、結局体調を崩したアルバイトも

「行かねばならない」という価値観になり

ついには息抜きを忘れたからだ。

 

今思えば(この言い回し多いけど)

あの時、もう少し「自分探し」なり

「自分創り」に精を出していればよかった

ような気がする。

 

当時、mixiなどのネットの

コミュニティサイトに入ることもできず

はたまたリアルの居場所なり、~会に入ることも

できずじまいだった自分にとって

「居場所」と呼べる所は存在しなかった。

 

唯一、気楽になれるのが「家」ぐらいなもので

ここら辺は「引きこもり」の皆さんと

同じかと思っている。

 

一時期は家もダメになり

(家にいても安心できなくて)

「どうしよう・・・」

と思っていたけど

最近は家にいてもそんなに

苦しくなくなった。

 

それでも、ピンポンとかがあると

びっくりΣ(゚Д゚)して出ないんだけど。

 

話が居場所の存在の有無

みたいな話になってきたけど

自分が言いたかったのはこっちではない。

 

そうではなくて自分の嫌いな勉強

苦手な学びを「やめる」力というのが

当時の自分にとって必要だったということ。

(人からどう思われようとも)

 

そしてその代わり、ただやめるのではなく

自分が興味を持ったこと

あるいは興味がありそうなこと

たとえば、音楽でいうところの「楽曲づくり」とか

最近で言えば、野鳥について調べるとか

ポケモン・五七五を詠むとか

(これについては別記事で書くつもり)

そういうことに時間を費やすことで

自分の経験を増やすことが必要だった。

 

折角インターネットというものがありながら

私はそれさえもしてこなかった。

 

それは後悔している。

 

ただひたすら、人生が「ツム」方へと

歩いていたわけだ。

 

ただ人生がツンだおかげで

今までの学びをやめることになり

(やりたくないこと)

始める学びもある逆説もしれた。

(本当はやりたかったこと)

 

こういうことは、本来大学生の時に

気づいた方がよかったのだけど

まぁ、渦中にいる時は気づかないだ、これ。

(木の葉丸風)

 

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(タイのサンディビーチという場所。象、脱力しすぎわろたw)