ターマーエッセイ

一切が無関係

「し」に始まり「し」に終わる

言霊について

学んでいる「Rigo」です。

 

何を隠そう

私が気にしている50音の一つに

「し」のひらがながある。

 

私のハンドルネームである

「Shu-Zan」も「し」が

使われていて

この字は謎めいている。

 

以前の記事でも「し」について

ちょこっと触れたけど

今回はもう少しまともに

書いていく。

 

私が気づいた一つの気づきは

「始まる」という字も読み方は「し」だし

「終わる」という字も読み方が「し」の点。

 

「それに気づくと何かあるの?」

と思う人もいると思うので

順に説明していく。

 

私たちにとって、一番の願いは何だろうか?

 

「そりゃ、幸せになることでしょ?」

 

そうだ。

 

幸せになること、これが一番の願いだ。

 

ところで、この「幸せ」という感じにも

「し」が使われている。

 

なんでだろう。

 

ここでは深く突っ込まないけど

私たちはいたるところで

この「幸せ」の予兆である「し」を感じているのに

「合わせ」ることができない。

 

むしろ、感情が「死に絶え」

「幸せ」の感度が鈍ってしまうことさえある。

 

恐ろしいことに

この「幸せ」の「し」も

「死ぬ」の「し」も同じ「し」なのだ。

(「し」ばっか見てゲシュタルト崩壊すんなよw)

 

そういう意味では、この「し」の言葉は

多義的であることを凌駕して

ほとんど、四(これも「し」だ)方八方的だ。

 

つまり、色々なイメージが出てくる。

 

今思いついたけど「人生」も

「し」に強調の「濁点」がついている。

 

「時間」もそうだ。

 

とにかく、「し」という文字から

出るイメージは無限大と言ってもいい。

 

そこで話は戻り

始まりと終わりになる。

 

私たちはこの世界で事実として「生まれ」

事実として「死ぬ」。

 

これは疑いようもないことだ。

 

仏教でも「生老病死」は当たり前の事実として

受け止められている。

 

だが、ここで気になるのは

その「始まり」も「し」であり

「終わり」も「し」なのはどういうことか。

 

生まれることはこの世に誕生することであり

死ぬことはこの世から消滅することである。

 

であるなら、意味が違うのだから

使う文字が違ってもいいはず。

 

しかし違わない。

 

ということは、漢字を輸入してくれた

昔の中国の人は

「始まる」も「終わる」も

「同一」「同じこと」であると考えていたのではないか。

 

一つの言葉で二つの意味を表す。

 

それが「し」。

 

だとすれば、何も死を過度に

恐れることはない。

 

だって「終わるのも」

「始まり」なのだから。

 

ウロボロス的にお互いが

お互いの「尾」を食い合っている状態。

 

スピリチュアルの力を借りるまでもなく

私たちはそうやって

何度も何度も生まれ変わっていく。

 

そういう意味では人は「死なない」。

 

だけど、今世の人生で

一回の人生しか歩めない点では

人は「死ぬ」。

 

「死」について二つの意見があるのも

結局はそういうことだと思う。

 

私の現状に当てはめた時

自分の人生において

実は自分が「死なない」と思い込む方が

人生を生きる上で楽しく過ごせる

こともあるのではないか。

(「自堕落に過ごす」ということではなく)

 

そういうことを考えながら

「し」のイメージを膨らませている。

 

貴方は「し」にどんなイメージがあるだろうか。

 

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