バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

ドストエフスキーの罪と罰の主人公の思考を音読してると・・・が乗りうつり、気分が高揚する!

正気なのか・・・

本当に病気の中

書いているのか分からない・・・

罪と罰」を読んでいる「Rigo」です・・・

 

こうやって書いていると・・・

罪と罰」の主人公の思考が・・・

自分にも入ってくるようでおそロシア・・・

 

前回読み直そうと思った時は・・・

「暗いわな~。今の状況で

これ読んでも楽しくならない」

と感じて、段ボール箱にしまい込んでいたのだけど・・・

 

3・11を間近にした今日・・・

久しぶりに読んで・・・

主人公のラスコーリニコフに馴染んでいると・・・

この「・・・」の間が何とも言えず

コミカルな感じを与えてくる・・・

 

自分とは「異質」な人の考え方・感じ方に同化し

その世界を体験するには自分の「想像力」がいる・・・

 

そのための「テキスト」としては

この「罪と罰」は非常に私と相性がいい・・・

 

今読むと、大学時代とはまた別の視界から

読めるのだよ・・・

 

初めて読んだときは・・・

どちらかというと

この小説のスリル・ショック・サスペンスに

惹かれていて・・・

ポルフィーリィの「追い詰め方」に

注目していた・・・

 

しかし、これはあくまで自分が感じたところ「だけ」に

焦点を当てた読み方であり・・・

それ以外の「95」%は

読み飛ばしていた・・・

 

二回目読んだ時もそれは変わらず

「登場人物」の動きは追うものの・・・

自分が本当に読まなければならない

「90」%の部分は読んでいても

想像力を使っていなかった・・・

 

今回は、三回目なわけだけど・・・

どうも、印象が違う・・・

 

細部がとても詳細・・・

 

たとえば、主人公のラスコーリニコフ

美青年でありながら・・・

「汚らしい」部屋に住み

「汚らしい」服装をして

「汚らしい」場所で暮らしている・・・

 

今読んでいる「第一部」の2の箇所では

「汚らしい」居酒屋に入り

ひとり頭で思考している。

 

そこで読む「主人公」は「共感」しづらい・・・

 

「なんで、美青年なのにこんな部屋に住み

こんな服装をして、こんな場所に住んでいるんだ?」

 

「わからない・・・ここは読み飛ばそう」となるのが普通・・・

 

しかしここで「想像力」を使って

主人公の中に入り込むのである・・・

 

そうすると、少なくとも

「汚らしい」居酒屋に入ったのは

ひと月にわたって思いつめた結果

へとへとに疲れ果てて

せめてひとときでも

「どんなところでも構わないから」

ほかの世界でひと息つきたい、という

主人公の「気持ち」があることが分かる・・・

 

こういうのを読むと、私は

これは別に19世紀のロシアに限らず

現代的な話とも受け取れる・・・

 

たとえば、ネットカフェに滞在している人なんかは

そうかもしれない・・・

 

あるいは、汚らしい店に

入り浸っている人もそうかもしれない・・・

 

その人たちにとって・・・

世間一般の人達が言うような「清潔感」は

もはやどうでもいい・・・

 

そういう価値観があることを知らないわけではないけど

もはやという言葉が言い表すように

ある一部の「犯罪一歩手前」の人たちは

おそらく、この「もはや」感があり

自分の人生を立て直すことを考えない・・・

 

「不幸は勘違いから始まる」

と言った人がいるけど・・・

「もはや」感がある人たちの多くは

「精神」を心やすらかにすることを考えない・・・

 

その人たちは「犯罪」を犯さないと

自分の人生を顧みることはないのか・・・

 

そうではなく「犯罪」を犯す前に

誰かが止めることはできないのだろうか・・・

 

とも考えたりすることもできる・・・

 

今現在「早期発見・早期治療」が医療の現場では

言われている・・・

 

この対策により、どれだけの人が

救われるかは分からないけど

私自身、もし自分で病院に行かず

早期治療していなかったら

今どうなっていたかは分からない・・・

 

今も怪しいけど・・・w

 

まぁそれにしても

この主人公、緊張しいやな・・・

 

読む方も、震えてくるさかい・・・