バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

試想考労という手順

最近、日清・日露戦争について

気になっている「Rigo」です。

 

この戦争ってほとんど漫画にも

なっていないし

明治維新とかと比べて

よく分からない。

 

私がひっかかる点は

この戦争で死んだ人やその遺族。

あるいはこの戦争下で人を殺した人達。

 

こういう人たちについての情報が

図書館を頼りにしただけだと出てこん。

 

当たり前といえば当たり前なのかもしれないけど

関ヶ原戊辰戦争新撰組などの

「負け組」の話は出てくるのに

この二つの戦争で「負けた」(死んだ)人たちは

タブーなのか、触れられたくないのか、謎だ。

 

それとは関係ないけど

今日、図書館で読んだ「笑う免疫学」は

面白かった。

(最近、読書猿さんを真似して図書館の

返却棚にある本をチェックするようにしたら

めっけたw)

 

「体の免疫力で大事なのは腸が七割。

心が三割」という話だったけど

その中では、細菌の重要性についても

説明されていて、あらためて

「菌って凄いわな~(´Д⊂ヽ」と感じた。

 

そしてその情報から派生して

「土を食べる」情報も仕入れといた。

 

さて、今回のタイトルだけど

「試想考労」とはなんぞや。

 

簡単に説明すると

人生における対人関係のプロセスを指す。

 

まず「試し」

その次に「想い」

(感情を味わい)

次に「考え」

最後に「労わる」。

 

その間、間の若干のプロセスを省略すれば

こんな感じ。

 

で、ほとんどの人はまず「試せない」。

 

人間関係において、コミュニケーションを

「試そう」とすることができない。

 

イイトコサガシ代表の冠地情さんは

長年ワークショップをやった結果

生き辛さ界隈の人たちは

そのハードルも難しいと理解し

最近では「目指した時点」と変えている場合もある。

 

「目指そう」については説明しないけど

たしかに「試す」の前に

「目指そう」が前提にあるのも確か。

 

「~こういう風にコミュニケーションとれたらいいな」

という「目指そう」がなければ

人はコミュニケーションを「試そう」ともしないからだ。

 

二段構え。

 

そしてただ「試しても」経験値にはなりづらい。

 

たとえば、AさんとBさんは、お互いに

コミュニケーションに乗り出しているのだけど

噛み合っていない場合。

 

あるいは、噛み合っているのだけど

ただ自分の持っている考えを

「焼き直している」だけの場合。

(例・「この病気って辛いよね~」「そだね~( ;∀;))

 

こういうことを続けていても

正直、成長は見込めない。

経験値もないに等しい。

 

私が把握した限りでは

「試す」には二種類ある。

 

一つが、人間関係がないに等しい状態での

「試し」。

 

これは、自分の知っている知識の範囲で

コミュニケーションする場合。

 

もう一つが、人間関係が少し深まった状態での

「試し」。

 

こちらは、自分の知っている知識よりも

体験談などを交えてする「試し」。

 

どちらが負荷がかかるかは言うまでもない。

 

たとえば、前者はただツッコんだり

ただ相手の言葉に応じて

「単語」を言えばいいだけなのに対して

後者はボケたり「文章」として話す。

 

ここらへん、私は行ったり来たり

右往左往しているので分かるだけど

ほんまに、家でひきこもりという

コンフォートゾーン&ホメオスタシスが働くと

退化硬直(冠地さんの言葉)が起こるで。

(今も、またそれが自分に起こっていることに

気づき、リカバリーカレッジにいこうと

考えている)

 

長くなったので、次にいこう。

「想う」は、心がくっついているように

「感情」を使って感じ取る作業。

 

慣れるまで大変だし

未だにこの相手の「想い」を

受け止められているか分からないけど

以前と比べて意識的になったのは事実。

 

相手の言った言葉を流さない。

流すにしても

受け止め、味わってから、流す。

 

「疲れるだろ。めんどくさくね?無視でよくね?」

と私も町田のワークショップに出た時思ったけど

家に帰ってから試してみると

そんなに手間暇かかるわけではないことが

分かったし、本当に疲れていたら

休めばいいだけの話。

 

その次の手順が「考える」ということ。

 

これが未だによく分からない。

 

以前にも話したけど

「もやもや」の言語化作業だ。

 

なので、飛ばす。(笑)

 

最後に「労わる」。

 

これがないと、「試す」作業は

辛く苦しく、大変なものになる。

 

つまり「試したんだから」

自分にご褒美をあげるということ。

 

温泉でも、飯でも、アロマでも

なんでもいい。

 

この「試想考労」というのは

お気づきの方もいるかもしれないけど

歯槽膿漏」からとったものである。

 

日本語には「同音異義語」があり

こういう言葉は「造語」作りのヒントになる。

 

四字熟語だし、自分で作ったこともあり

「よく考えたな。自分」と自分で自分を褒めている。

 

この手順を踏まずして、成長はない。

 

つまづいたら、森山直太朗

「生きてることが辛いなら」を聴いて

立ち上がろう。

 

生き辛さ界隈の人に特効薬はないのだ。

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