ターマーエッセイ

一切が無関係

ひろゆきの発言から見る論理「コンテンツ」の限界

ぼーっとしているし

時間も時間なので

何かくか分からんけど

許してねw

 

これは、あくまで

元2chねる管理人である

西村博之」さんに対する感情論である。

 

彼の「発言」はネットに出回っている。

 

2chねるやニコニコ動画を知っている者なら

ひろゆきの「発言」の論理展開に

驚いたことがあるだろう。

 

何を隠そう、私もそうだった。

 

一時期、ニコニコ動画にはまっていた時期は

ホリエモンと並び、優秀な脳みその持ち主なのだろうと

思っていたし、今も思っている。

 

ただ、最近、彼の発言に対して違和感を

感じるようになった。

 

これから話す内容は

取り留めもなくなるかもしれないけど

いちおう話してみる。

 

彼は、芸能人の「有吉」に似て

「毒舌」なところがあるけど

「いいひと」オーラもにじみ出ている。

 

愛嬌もあって、彼のコミュニケーションは

とても人に好感を与えているように思える。

 

何が違和感があるのか。

 

それは、論理ではなく

ポジショントーク的なものに対する違和感である。

 

ひろゆきは、たしかに「人から嫌われそうな」ことでも

論理展開し、言えるだけの話術を持っている。

 

ただ、それはひろゆきを知っている人からすると

予定調和を免れない。

 

たしかに、彼は手を変え品を変え

発言している節もある。

 

しかし、あくまで彼はネット業界の風雲児的な存在であり

ある種、既存の言論空間から出てきてない。

(自分が知る限りだけど)

 

だから、彼しか言えないこともあって

それを言う事が彼の強みであるのだけど

彼の発言を聞いていても

「ナゾ」めいた違和感が正直起こらない。

 

私はある意味、ニコ動には染まらなかった人間なので

分かるのだけど、世の中には

自分にとって「魅力的な」人たちはたくさんいる。

 

ところが、ひろゆきの発言に感化されている人達というのは

自分の考えや信念を強化しているだけであり

より自分を生き辛くしている可能性がある。

 

彼は、至極当たり前そうなことを

論理展開するのが非常に上手いのだけど

発言内容が「シンプル」であるがゆえに

(それが論理的思考といえばその通りだけどw)

「人間として深み」があまり感じられない。

 

話は変わるけど、ネットビジネス業界のある人は

人間としての「本物」論について

語っていたことがある。

 

私はそれを読んで、もしかすると

ひろゆきは「金メッキが剥がれていくのではないか?」

と思うようになった。

 

つまり、本物の逆。

 

「偽物」的な存在。

 

自分は彼を長年ウォッチした結果

(間間で、ウォッチをやめた時期もあるけど)

「この人の発言を追うのはやめよう」と

思うようになった。

 

それは彼に対する「見限り」である。

 

それは、一人の目を失うことである。

(詩人か?w)

 

彼は、今後もおそらく隙のない論理展開で

YouTubeで活躍するだろう。

 

彼には「知性」があるから、新しく惹きつけられる人も

いるはずだ。

 

だが、彼の発言と言うのは

一億二千万人という人口の中での

あまたいる人の中での「ひとつ」でしかないのだ。

 

その発言を「絶対的」に据えるのが

なかなか危ないことであることを知るためには

まだ彼らには経験が足りないのであろう。

 

彼の論理「コンテンツ」の限界を

それをまざまざと感じたのがこちらの動画。

 

www.youtube.com

 

これを見た時「よく調べたなあw」

と思ったのと同時に

時代は、やはり「いいかげん」(いい意味での)

や「ゆとり」ある動画を求めていると

感じた。

 

これはユーチューバーの出現からし

明らかだったのかもしれないけど

私は、人が出てくるコンテンツが

鬱陶しかったので

その時はあまり感じなかった。

 

でもこれを見ていて思う。

 

「調べ学習」もきちんとした

パッケージ(動画&編集)にのせればあなどれない。

 

調べた量で、その動画に対する

「熱い思い入れ」が伝わってくると。

 

ひろゆきのように、論理展開をしなくても

自分の好きなものについての思いが

人を動かすと。

 

そういう意味では、私はあまり得意ではないけど

今後、毎度おなじみのごとく

アート(直感・感情)という存在が再び

注目されるのだろうな。

 

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