バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

この年代でメールをやらなければ、人生ツムんだろうか?金正恩とムンジェインの二人での散歩対話を見て、心震えたワケ

前回は、えっちな記事を読んで

それについて一意見を書いた「Rigo」です。

 

最初に導入の説明があればよかったかな。

(あとで編集はできるけどw)

 

前回終わりの方に「出会い系」を

使ってないという話をしたけど

ネット上には「pairs」というサイトを使って

たくさんの美女を彼女にしている

「神崎さん」とかいう人もいて

「童貞卒業キャンプ」の記事は

けっこう面白かったりする。

(世代受けはあるけど)

 

こういうのを見ると「Facebook退会は

もったいなかったかあw」と考えてしまうこともある。

 

でもまず、自分自身が「メール」でさえ

「めんどくさくて」やる気になってないので

それ以前の問題だと思う。(笑)

 

美女関連のサイトでいうと

以前にも紹介した「西園寺貴文」さんも面白い。

 

ただ神崎さんにしろ西園寺さんにしろ見ても

結局、私の行動が変わっていない点で言うと

私には、どんなに凄くても

ネット上の人物に教えを乞う力は

ないのかもしれない。

 

というわけで、今日は

メールについて話そう。

(知恵袋コンテンツは今日はなし)

 

私にとって、メールは欠かせない物ではない。

 

むしろ、メンドクサイものであり

極論、邪魔なものだ。

 

自分にとって、メールで連絡とって

「よかったな~」と思う経験が正直ないので

メールに対する評価は低い。

 

メル友が異常に少ないせいもあるけど

最近では「メールは一週間に一回ぐらい

チェックすればいいかもな」とさえ

思い始めている。

 

それぐらい「メールをチェックする」

という習慣にうんざりしているのだ。

 

以前にも書いたけど「メール」や

「ライン」という言葉が

日常会話で「当たり前」になって蔓延すると

それをしてない人からすると

「うんざり」するのだ。

 

「もうメールやラインの話はいいわっ!w」と。

 

私にとって、メールやラインの存在は

「悪」とまでは言わないけど

「つまらねぇ奴がやるもの」ぐらいにしか

思っていない。

 

これは、入不二基義さんの

「無関係という関係」を読むと分かるけど

「酒飲める派」から言われる

「酒飲めない派」への質問ほど

意地悪いものはない。

 

こういう構造を作り上げているのが

「酒飲める派」側からでしかないことを

本人は知らないのだ。

 

その「無知」さに、腹が立つ!

 

なんて、ウソぴょーんw

 

私は単にメールやラインでのやりとりが

「好きではない」だけである。

 

これはひとえに「好み」の問題で

私はそれゆえに、メールをチェックしないのである。

 

こだわりが強いと言われればその通りかもしれない。

 

「それじゃあ恋愛対象にならんだろ?」

と言われればその通りかもしれない。

 

ただ、以前「ググらない生き方」でも書いたように

時代というのは、一周回ることもありえるので

「メール」も「ライン」も「うんざりやわ」

という時代がくる可能性は高い。

 

というか、もう既に東京ではその風潮が出始めている。

 

元気な人と、病んでいる人、そのボーダーにいる人の

三極化がはっきりと見て取れる。

 

若い人たちは、まだ病気を経験してない分

「ボーダー」にいる。

 

だから、スマホを使いこなして

元気な人に入る可能性が高い。

 

しかし、そっちに行かないで「病みゾーン」に入ると

そういう「スマホ万能主義」に対しての

違和感が出てくる。

 

スマホって便利だけど、実はこれによって

失ったものがあるんじゃないか?」とかねw

 

そういう考えを持つようになった人たちは

スマホと距離を置くことを考えるだろう。

 

どのご時世も、そういう人は一定層いるものだ。

 

これが年上の人たちがする場合は

老害」とか揶揄される場合が多いけど

若い人達がそうすると「え?なんで?なんで?」

となる。

 

ただ、だからといって私自身

「対面でのコミュニケーションは素晴らしい」

と言うつもりはない。

 

私にとってはあくまで

「対面でのコミュニケーションを大事にしている」

というだけなのだ。

 

私が自分を内省した結果、出てきたひとつの考えが

「対面でのコミュニケーションを大事にする」

ということであった。

 

ここで、勘違いしてほしくないのは

「メール」や「ライン」をしている人たちを

否定しているわけではない、ということ。

 

「自分は」あくまで、それを「あなたたちのように

頻繁にはやりませんよ」と言っているだけ。

 

結局、こだわるのもこだわらないのも

最終的には「自分」の「責任」。

 

私は、昨日金正恩総書記とムンジェインの

二人で、椅子に座って30分ほど

会話をしているのを見て

「対面コミュニケーションの時代がキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」

と感じた人のひとりである。

 

ラインライン言っている若い諸君。

 

誰も君たちのライン話に興味などない。

 

私が興味があるのは、君の肉声だけ。

 

それを伝えるためにも、表へ出てこいや!。

 

裏化する社会(悪い物には蓋をするなど)の一方で、

表化する人達も(自分を世の中に晒すなど)

いることをこのブログでは伝えたい。

 

書いていて「裏」と「表」のアイデア

出てきてすごく嬉しい(*'ω'*)

 

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