ターマーエッセイ

一切が無関係

滑舌があまりに悪すぎる年上に「ゆっくり喋らないと何言ってるのか分からないです」と言いにくいこと。自己完結世界の恐ろしさ

電車内で、歌詞カードの歌詞を

目で追っている「Rigo」です。

(なんか、前も言ったようなw)

 

コミュニケーションについて

ちょっとした「気づき」があるので話すね。

 

滑舌の悪い女の子を見たことはないけど

(今、ようつべで見たら、フェフ姉という人が

いるようだけど)

滑舌の悪い男性は、よくいるよね。

 

私自身、滑舌がいい方ではないので

少し滑舌が悪い人ぐらいなら気にしない。

 

しかし、滑舌がめちゃくちゃ悪いと

聞いている方は困る。

 

今日も、精神疾患の人が集まる当事者の会に出たのだけど

ある一人の男性(たぶん40代ぐらい)が

よくしゃべる。

 

しかし、ほとんど何を言っているのか分からない。

 

こういうおじさんはデイケアでもあったことがあるので

今は、そんなにびっくりしないのだけど

「またか~w」と、苦笑して困ってしまう。

 

私にとって、この人達と喋る時、何が問題かといえば

「ゆっくり喋らないと何言っているのか分からないです」

と言いづらいということだ。

 

同世代なら、「え、なんていうた?」

と聞き返せるのだけど

年上で、自分より「傷ついてそうな」人が

滑舌が悪いと「滑舌の悪さを指摘してあとで、喧嘩になったらどうしよう?」

と考えてしまうのだ。

 

そうすると、言えない。

 

おそらく、ほとんどの人が言えないと思う。

 

本人はおそらく、喋りたいことが山ほどあるのだ。

 

しかし、言語不明瞭。意味としてこちらに届かない。

 

たとえば、その人が話している時に

頑張って「尾崎豊」とかそういう単語を拾うことはできるにしても

その単語を拾って「尾崎豊ですか?」と聞き返すと

次にはもう違う意味内容の話になっていて

もう何を言っているのか分からない。

 

「ワンマンショー」という言葉がその人を形容する言葉として

今日は使われていた。(といっても今日はまだいいほうらしい)

 

まさに、オンステージ。

 

おそらく、彼の周りには「異質な」人というのがいなくて

彼の思考がひとりでに「完結」してしまっている。

 

決して、悪い人には見えない。

エネルギーもある。

 

しかしながら、論理的に話すことが得意ではない。

 

だから、聞いている方はしらけてしまうし

下を向いて、耳を閉じてしまう。

 

今ふと思ったのが、もしかしたら

この人達は「速く」しゃべることが

「アタマ」のよさを意味していると思っている可能性もある。

 

私自身は誰それが「速く」喋っても

何言っているのか分からなければ

「アタマ」のよさを感じないし

もっというと、意味が通っていても

「なんか、違和感あるなあ」と思うことさえある。

 

喋るスピードが速い=「アタマ」がいいという図式が

あることは知っている。

 

しかし、残念なことにあくまで

「自分」はだが、そこに「アタマ」のよさは感じない。

 

私が感じる「アタマ」のよさの一つは

「意味」ある内容を伝え、届け

「話」が膨らむよう「広げる」力のこと。

 

「いいことを言う」とか

自分の考えを押し付けるために

会話を閉じる方向にもっていくのは

私としては「ナンセンス」。

 

ほんとのことを言わせてもらうと

「滑舌」が悪すぎるから

その人を嫌いになるわけではない。

 

それよりも、周りの空気を「読まなさ過ぎることが」

「個性」だと勘違いしているのではないか

という疑いや疑念が出てきてしまい

そのことがやはりひっかかってしまう。

 

「空気」を読めない人は基本的にいない、と私は思っていて

「空気を読もうとしていない」人がいるだけなのだと思っている。

 

それが「発達障害」=「個性」

自閉症」=「個性」みたいな風潮があるので

(両方とも、自分の世界で「完結」してしまう傾向がある)

別に空気なんて「読めなくてもいいんだよ」と

意固地になっている感がある。

 

「個性」というのは、ひとりで分かるものではない。

まして、人前で「披露」するものでもない。

 

岡田先生の言葉を使うなら「臭う」ものであって

その人が今まで生きてきた経験からくる雰囲気で

立ち昇ってくる「煙」のようなものだ。

 

「あれ、あそこに煙が出てんなw」

ぐらいの感じがないと。

 

最近ようやく「能ある鷹は爪隠す」

という言葉の意味が分かってきて

本当に話すことに長けた人は

当たり前だけど「空気が読める」し

「空気」を読むことを大事にしている。

 

他の言葉でいうなら「文脈」を意識している。

 

「文脈」のないところに

「共感」は生まれないし

「思想」も込められない。

 

そして、話すことに長けた人は

「この人はそっとしておこう」とか

「これ以上言っても、たぶん

聞き耳を持たないな」と思うと

それ以上の力を見せない。

 

だって、エネルギーロスだから。

 

その人のためにエネルギー使うより

「変わりたい」とか「人生の幸せについて考えてます」

というような人の方が、関わりたいでしょ?

 

そういうこと。

 

でも一方でこういう人達を見て思うのは

「年をとるってことは、

良くも悪くも頑固になっていくプロセス」でもあると。

 

そしてそうなっていく間で

変なスピリチュアルを学ぶと最悪である。

 

自分が安全地帯やコンフォートゾーンから出ないことを

「肯定」してしまう。

 

今日の男性からは「あなたもこのまま自己完結世界に入ると

こうなるよ」ということを教えてもらった気がする。

 

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