バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

あえて、日大アメフトの監督やコーチの立場に立ってみる。ifの視点。本当に20歳の「本人」の力であのタックルは防げなかったのか?

日大叩きにちょっと違和感を

感じてきた「Rigo」です。

 

この間、日大のアメフトの件のニュースは

動画でもテレビでも見てきた。

 

日大監督も、井上コーチも

怪我を負わせてしまった学生も

あの、ひどさ万点の司会者も

そして、日大の大学の対応も

常識的な目で見れば悪いことはたしかだ。

 

ただ、そうやって、

いたぶり、なじり、やり玉にあげれば

それで済む問題なのかといえば

そういうことではないと思う。

 

後手後手に回ったことについても同様だ。

 

人生において「後手」に回ることはよくある。

 

にもかかわらず、こういう時だけ

他人批判をしても自分の人生はよくなっていかない。

 

というか、もうわかってるはずだ。

 

こういう問題に対してただ言っても

解決の方向へと行かないし、自分の人生も

よくならないと。

 

今回のケースでは、監督の「絶対王政」ぶり

「恐怖政治」ぶりが、クローズアップされた。

 

まぁ、そういう面もあるのだろう。

 

しかし、あえて、日大アメフトの監督やコーチの立場に立つと

その「絶対王政」や「恐怖政治」を支持した学生たちにも

非はあるだろう。

 

「監督には何も言えない」という構造があったらしいけど

それに関して、手をこまねいていたのは

そこで練習をし続けた「学生」たちである。

(実際に練習についていけず

やめた学生もいるわけだ)

 

「また、アメフトをやらせてほしい」

という学生の声をきいた時、私は違和感があった。

 

「そういうことを言う前に

どうしてこんなことが起こったのか

考えないの?」と。

 

私自身は、タックル学生の「記者会見」が

「勇気」ある行動だったかは、未だによく分からない。

 

たとえ、恐怖政治であっても

絶対王政であっても、やったのは「本人」。

 

最終的な決断をしたのは「本人」なのだ。

 

監督やコーチがタックル学生に対して

「周りが見えなくなっていた」というのは

お門違いだと思うけど

そういう風に考えられなくもない。

 

「私が同じ立場ならやっていたかも」と

同じアメフト部の学生は言っているけど

私はこの件について

村上春樹」の「海辺のカフカ」の

アイヒマンの話を思い出した。

 

「教祖であれ思想であれ父であれ

その命令に盲目的に従うのであれば

その服従自体に悪が発生し責任を負わなければいけません」

 

考えてみよう。

 

もし、あなたが目の前にいる他者(教祖や父)から

「目の前にいる人を潰してこい」と言われ

それをしないと「試合」に出さないぞ、と脅されたら

あなたは、そうするのか?

 

当然ながら、20歳を越えれば

「大人」扱いされる。

(これ以上は、今回ツッコまない)

 

ということは、今回のケースでは

本人が自分の判断で防げた「可能性」もあるわけだ。

(日大アメフト部をやめる。試合に出るのを諦める。)

 

だって、誰が見ても分かる、あのひどいタックルをすれば

自分の「人生」さえも詰む可能性があることは

分かるはずだから。

 

でも、現実としてやってしまった。

 

アイヒマンの言い方を借りれば

試合で勝つ力や、自分を高める力だけを育て

「相手」を「想像する」力「思考する」力を

「あまり」育ててこなかったのも

今回の事件が起きた一つの「要因」である。

 

こう言うと

「お前さんは、宮川選手を一方的に

批判している。あのタックルは仕方なかったんだ」

と言われるかもしれない。

 

しかし、どうだろうか。

 

今述べたように、どんな政治体制であろうと

服従」してしまったのは「事実」である。

 

「アメフトだけで、生きてきた」彼にとって

「アメフトが楽しくなくなっていった」という

経験は辛いものがあるだろう。

 

でも彼は「アメフト」というスポーツに

こだわり続けた。

 

それはよくも悪くも「執着」。

 

野球選手であれ

サッカー選手であれ

現役としてそのスポーツをやり続けるのは

ほぼ不可能だ。

 

だから、本当に「スポーツ」を続ける人は

「短期的な目標」と「長期的な視野」を

持っている必要がある。

 

それこそ、「今」、内田監督や井上コーチに

ー言葉は悪いけどー「服従」することが

今後の自分の人生にとっていいことなのかは、

20歳ぐらいなら

「判断」がつくはずなのだ。

 

「それができないのが、スポーツという世界の

闇の深さなんだよ」と言えば、それで済まされるのか。

 

こういう問題が出るたびに「日本のスポーツ」の

「縦社会」&「子分親分世界」&「服従構造」の話が

出てきて、むしろここから先が大事なのに

ここで思考をやめてしまう人が多くて残念。

 

たとえば、ニュースでもやっていた

こういう闇をチェックする「第三者機関」を作るとか

利益やしがらみが極力少ない

「サードプレイス」を作って

この問題を「じか」に直接共有して

この問題のおかしさを「デモ」るとか

方法はあるはずなのだ。

 

しかし、それをやらない。

 

もし、絶対王政や恐怖政治が「嫌」なら

それについて、顔を見せ声を出さないと駄目である。

 

今回のケースのように、アメフト部や日大の学生が

「顔」を隠して「発言」するのは

(一部、顔出して発言している日大学生がいて

こっちの人達の方が、勇気があると「私は」思った)

それは、一面的な見方であることを許してもらえば

「卑怯」である。

 

自分だけが「安全地帯」にいて

そこから意見を言うというのは

ネットの世界ではあることだけど

何か特別な事情、いじめにあったとか

そういうことでないのだから

「就職活動がヤバい・・・」とか考えずに

このことをチャンスに変え

大学のあり方に「異議」を申しつけた方がいい。

 

私がもし大学でこういうことが起こっていたら

仮に、晒され周りから疎まれ、嫌悪感をもたれても

「言う」し「顔」を出すから

こういうことを言っているのである。

 

あえて、過激なことを言わせてもらうと

「大学なんて、就職前にいく場所」ぐらいの発想で

行っているから、ダメなのだ。

(大学のあり方に疑問を呈すぐらいが「理想」。

それならそこに入るな、とも言われそうだけどw)

 

今回のケースこそ「文武両道」ではなく

「武部一道」になっていたことを証明するものだ。

 

これを機に、日大の学生や先生たちのやりとりが

増えたり、密になることを望む。

 

まぁ、少人数教育でない日大にそれを

求めるのは、ムズカシイのかもしれないが。

 

f:id:remone-dox:20180526121600j:plain