今朝、30分以上
「からだとの対話」を
やっていた「Rigo」です。
私は、からだとの対話というのは
人間同士の対話と同じようなものだと
思ったので、まず挨拶からした。
R「おはようございます。
Rigoといいます。
よろしくお願いします。」
なにせ、数十年、からだの声を無視し続けたのだ。
そういう相手に対してかける言葉があるとすれば
それは日本で言えば「礼儀」のようなものだと思った。
今回のは私の脳内の会話なので
からだとの関係は実は「深まってません」。
最初は「eye」さんから。(目)
R「最近、eyeさんお疲れじゃないですか?」
e「・・・」
R「あれ?・・なんか変なこと聞いちゃいました?」
e「いや、な。お前が私を酷使しているのに
なぜ、そんな言い方をするのかよく分からないんだよ」
R「本当に申し訳ないと思っています。アタマでっかち
理屈固めて、アタマでこねこねした結果
eyeさんを使うはめになって・・・」
e「言い訳は聞きたくない。最終的に
私を酷使したのはお前の判断だ。
今日はもういいな?
こっちは疲れているんだ」
R「すいません。( ;∀;)また伺ってもいいですか・・?」
e「私に関心があるなら、私の反応がなくとも
伺うだろう。お前の問いかけがいつまで
続くか見物だな」
R「eyeさん、ありがとうございました!」
第二部。「arm」さん。(腕)
こちらはちょっと対話できた。
R「armさん、今日の調子はどうですか?」
a「・・・」
R「(またか・・・やっぱりからだの声って
聞けないのかな・・まぁでも話しかけるしかない!)
最近、自分が疲れが溜まっていて・・・
armさんは、疲れていないですか?」
a「疲れてるよ。嗚呼!」
R「面目ない。申し訳ない。これも私の「せい」ですよね?」
a「当たり前だろ?お前の疲れは全部
こっちは把握ずみ。こっちは何度もサインだしてるわ!」
R「がーん(´Д⊂ヽごめんなさい。」
a「試しに、今その証拠を見せてやる」
(数秒後)
R「う、腕がずしーんと重い・・・。
なんだこりゃ・・・」
a「だから、お前の腕は重くなってるんだよ。
その腕の疲れにさえ気づけないお前はバカだ」
R「・・・ごめん」
a「分かればよろしい」
(感じきると30秒後、腕の重みが消える)
とまぁ、こんな感じで、30分ぐらい
からだと対話していました。
といっても終始、私の中の会話になってしまった。
膝との対話もやって
「支えてくれて、ありがとう」という言葉を
膝さんにかけた。
(膝がよく、ぱきぱき鳴るので)
前回言ったように、私は「野口体操」を
やったことがある。
(ゆるゆる体操の瀬戸嶋充先生からちょっと教わった)
戦後黎明期の時代。
野口三千三さんという方が考案した体操だ。
彼は、本の中で「からだ」との「対話」ではなく
「体操とは占いである」と言っている。
だから今私がやっている「からだ」との「対話」も
いずれ、撤回することになるのかもしれない。
まぁ、それはいい。今日は「腕」の「重さ」を
感じ取れただけでもよかった。
ちなみに、私は胸鎖乳突筋の過緊張が目立つため
「首回し」などのストレッチがとてもしづらい。
そこで、私が考案したのが
「肩」を上げて「首」を横にするという方法。
これだと、片側の首はある程度「ゆるんで」くれる。
これは、寝る時の体勢で偶然見つけた。
こういう風にして自分にとって「気持ちのいい」動きを
見つけるのも体操のあり方だとこの本を読んで思っている。

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