バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

家族といえども「他人」。ではない。家族は本質的には「他者」である。

「惜しい人をなくした

お通夜のような京王線」に乗ると

「不快感」を催す「Rigo」です。

 

怠さが出ていたので

リフレッシュがてら「図書館」へ。

 

私は「怠い」時はからだを動かし

「疲れた」時は、睡眠をとり休むようにしている。

 

以前行った時はドミニクノゲーズの本に出会ったけど

今日も、久々の良書を見つけた。

 

劇作家の「鴻上尚史」さんの

「孤独と不安のレッスン」という本だ。

 

孤独と不安のレッスン

孤独と不安のレッスン

 

この人は、演劇の出ということもあって

「からだ」について絡めた文章がある。

 

今回の本でも「からだ」について書いてあったけど

私が目からうろこぽろりだったのは

「他人」と「他者」の違いである。

 

この本の著者いわく

「他者というのは、喜びも苦しみも

ポジティブもネガティブも感じさせてくれる人」のことであり

「他人」のように、道ゆく通りをただ通過するだけの人とは違う。

(私が本を読んで言っていたことをイメージで書いてますw)

 

その典型が家族や兄弟で

「愛しているけど、憎んでいる」

「憎んでいるけど、愛している」

といった一見すると、矛盾しているような関係性が

「他者」の「他者性」を表している。

 

よくうちの母親が「家族といっても他人」と言うんだけど

これは本質的に、厳密的には間違っていて

「家族」は「好きだけど嫌い」「嫌いだけど好き」という

両義性を含んだ「他者」という存在なのである。

 

人によっては「嫌いなもんは嫌いだろう。」

と意固地になる人もいるだろう。

 

しかし、私が言っているのはそういうことではない。

 

たとえば、そうだな。

 

「服」の例でいえば、制服は好きだけど

この付いている「校章」が好きではない時

あなたは、それを「脱いで私服の学校に通いますか?」という話。

 

そういう人もいるかもしれない。

 

しかし、人間である以上、私が誤解している可能性のある

スピリチュアルでいう「~ソウルメイト」みたいな人は

現実には存在しない。

 

「嫌いな一面」も含め、その服が「好き」なのである。

 

今は、制服を例に取ったけど

自分の身体で考えてみれば、さらによく分かる。

 

あなたは生まれ持った「からだ」に嫌いなパーツや

マークがあるかもしれない。

 

しかし、それ「ゆえに」自分を「嫌いますか?」

「付き合うのをやめますか?」という問題。

 

私なんかは「肌荒れ」もあるし

まぁこの通り、持病と呼べるものが

「四つ」あるし、正直人生「ハードモード」だと「も」思う。

 

しかし、ハードモードだから

人生やめるかといえば、そんなことはない。

そういうあなただって

こうやって、人のブログを見に来ているではないか。

 

それはあなたが本当は「他者」に興味があるからだ。

 

「分かり合えない」「他者」と

「分かり合おう」とはしたいと思っているからだ。

 

そうでなければ、私のブログも含め

他のブログも読まれはしない。

 

その人の世界を「覗く」「垣間見」のような

平安時代の世界が現代なのである。

 

それはすこぶる「日本的」である。

 

この「覗き」は、一般的な性の「覗き」とは違う。

 

「分からない」人たちという経験を

した人だけがする「覗き」なのである。

 

そういう意味では、たぶん

ネットの世界でこういうのは私が初めてだと思うけど

「ネットサーフィン」をするというのは

「うわべ的な友達」に対して疑問を感じた者だけが

進める、新しいステージなのだ。

 

理由は説明しない。考えてみて。

 

最後に、もう一度重要だから繰り返しておこう。

 

家族といえども「他人」。ではない。

家族は本質的には「他者」である。