バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

人の体臭のする電車内で「読書」ができる人は稀有だ。「電車内で読書しない人」批判を批判する

多摩川で「ボート」漕ぎをしている人を

見た「Rigo」です。

 

落ちて溺れないか気になりましたね。

 

「落ちる」でいうと

早朝の電車内って、けっこう「カオス」じゃないですか。

 

首(こうべ)を垂れている人もいれば

イヤホンから、シャカシャカ音が鳴っている人もいる。

 

で、話は出版業界の衰退の話になるんですけど

よく「電車内で本を読まなくなった」とか言うじゃないですか。

 

あれって、私からすると「ナンセンス」だと思う。

 

たとえば、貴方は人の体臭が「入り混じった」ところで

「読書したいと思う?」

 

しないよね。

 

普通は、しずかーな部屋でひとり

「本の世界」に入る。

 

もちろん、カフェ読書派の人もいるだろう。

 

しかし、周辺に「朝、会社に行きたくない人達が

放っている見えない体臭」を感じ取れるようなカフェなら

あなたはそこで読書ができないはず。

 

ここで言っている「体臭」というのは

その人自身の体の臭いだけを意味しない。

 

いらついているな~、とか

絶望しているな~、とか

苦しんでいるな~、とか

そういう目で見ただけでも分かる「臭い」も入る。

 

「観音」という言葉がある。

 

「観る」「音」ということだ。

 

これと同じく「嗅景」という言葉もある。

 

「景色」を「嗅ぐ」ということだ。

 

人間は無意識に「景色」を「嗅いでる」。

 

本来であれば、お近づきになりたくない人

の「隣」には行きたくない。

 

ところが「労働」「就労」という世界観が

未だに日本に根強いため

使いたくない電車を使って「仕事場」に

行かなければいけない人もいる。

 

私たち、病人も同様だ。

 

私たち、病人も「地方」に住むという決断が

できないこともあり

結局、地元と病院、人によっては

それに「作業所」の往復になる。

 

地元が空気もよく

歩行者にも歩きやすく

居場所もあればいいのだけど

私のゲーム設定はそうなっていない。

 

そのため、電車や自転車を利用し

「移動」しなければいけない。

 

それはそれで「運動」にはなるからいいのだけど

「不快」な「他人」と顔を突き合わせなければいけない。

 

ここまで自分を追い込んでしまったのは

自分のせいでもあるわけだけど

なかなか、辛いものがあるわな。

 

でも逆に考えると

「地元」で「完結」してしまう人生も怖い訳で

「地元の居心地の良さ」は、自己完結世界を

作ってしまう可能性さえある。

 

話はずれたけど「読書」は、電車内ではしづらいのだ。

 

本来「電車内で、読書する世界」を作りたいのであれば

「満員電車」を減らす取り組みを「東京」で

しなければ意味がない。

 

また話はずれるけど私は、生き辛さの要因が

「責任感の強さ=真面目すぎる点」であり

「大人であること=感情発露を抑える点」であると

思っている。

 

それこそ、読書というのは「黙読」だけではないのだから

電車内で複数人で「音読する」ところから

始めてみたらどうだろうか。

 

感情発露をしつつ、真面目さも吹っ飛び

なおかつ「読書」もできる。

 

一石三鳥。

 

私もこれから「声に出して読みたい哲学書」の音読動画を

毎日アップするつもりである。