バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

肌荒れを笑いに変えたいけれど・・・この世界に写りたくなかった10代の悩みは現代的

今日は「肌荒れ」と

対話していた「Rigo」です。

 

私はどうやら「すべすべ」の肌に

価値があると思っている。

 

たとえばどうして「おっぱいが小さい」とか

「あそこが小さい」で人は悩むかといえば

「大きければよい」という価値を

信じているからだ。

 

肌荒れで、悩み苦しむ人と同じ構造だ。

 

というか、コンプレックス全般はそうだ。

(誰かから一度「否定」される。)

 

今日、図書館で読んでいた

武田砂鉄さんの「コンプレックス文化論」を

読んでそう思った。

 

コンプレックス文化論

コンプレックス文化論

ハゲであれば、ふさふさに価値あり。

 

実家暮らしであれば、ひとり暮らしに価値あり。

 

つまり「現状」を否定しているのだ。

 

とはいっても、コンプレックスなんだから

そう簡単に受け止めることはできない。

 

たとえ「人はそんなに見てないよ」

というアドバイスを言われたとしても

「見ている人は見ている」という価値観が

手放せない。

 

つまり一般的なアドバイスが通用しない。

 

ならば、ケースバイケース。

 

違うアプローチをとる必要がある。

 

次に多いのは「笑いに変える」ということだろう。

 

これは、芸人をやっている人達は

等しくやっている。

 

だが、以前も書いたけど

「真面目度120%」の人は

「笑い」に変える方法が分からない。

 

最近は、ハッシュドポテト化してきた

私の「顔」。

 

なぜ、「肌荒れ」を起こすと

人に会いたくなくなるかといえば

「否定」されると思っているからだ。

 

「傷つくのが怖いのだ」。

 

これは、コンプレックス全てそうだ。

 

「第一印象が9割」とか

そういうタイトルの本が売れれば

そう思ってしまうのも仕方ない。

 

だが、そういうことは関係なく

お構いなしに付き合ってくれる人もいる。

 

それはいいとして哲学的に問うと

なぜ、肌荒れで苦しんでしまうかといえば

「この世界はこの世界の「表面」に

価値を置いているからである」

 

美人、絶景、創作料理などなど。

 

私たち人間は「視覚情報」を頼りに

世界の情報を手に入れる。

 

ということは「視覚」は頼りにできる

一つの要素なのだ。

 

そして、それゆえ世界の「表面」を

見るのが習慣になっている。

 

しかし、コインには裏表あるように

人間には「二面性」があるように

「表」があるということは

「裏」があることを前提としている。

 

実際「裏」はあるのだ。

しかし「目」でとらえ切れない。

 

「すべすべ=善」

「ぶつぶつ=悪」という図式は

一見すると、分かりやすいけど

そうはいかないよ。

 

世界は、山あり谷あり

凸凹があるから「面白い」。

 

これが全て「すべすべ」であったら

(=この世界が一本道なら)

人は「飽きる」だろう。

 

人の肌の「すべすべ」性と

世界の肌の「すべすべ」性を

同じにするなって?

(なんだ?w「すべすべ」性って)

 

そうはいかない。(二度目)

 

私の見解によると

「ひきこもり」が加速すればするほど

街中に出る人は減る。

 

そうすると、あなたの「すべすべ」の肌を

見る人も減るのだ。

 

そうなれば最終的に「すべすべ=善」

「ぶつぶつ=悪」という図式も消滅する。

 

私に言いたいのは「肌荒れ」だからといって

落ち込まないでほしいということだ。

 

写メや、スマホ写真、カメラ時代だからと言って

落ち込まないでくれ。

 

隠すな。肌荒れを。

 

隠すな。肌荒れを。(なぜ、二回言った?w)

 

肌荒れでもお前の考えている「非常時」のための

「ネットを使わないオルタナティブな生き方」は

作れるから。

 

心配するな。(いつの間にか自分を鼓舞するメッセージにw)

 

毛穴=「黒」で連想して

「僕はオレオ(お菓子)がたくさんあるんだよ。」

 

まてよ・・・アンパンマンみたいな設定でいけば・・・

 

「ぼく、オレオマン。毛穴から生まれたんだ。」とか

「ぼく、クロゴマン。毛穴から生まれたんだ。」とか。

 

と思ったら、やなせたかしさんが

「クロゴマン」というキャラを作っていてΣ(゚Д゚)

 

「オレオマン」は著作権ありそうだしw

 

ちょっと、また考えます。