バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

「贅沢な時間」とか「アタマすっきり」とさえ考えない。「今月何してた?」「何もしてないよ。ぐへへへ。」

無職の人達が

「何もしてないとまずいのでは・・・?」

と急き立てられ

ネットビジネスの世界に入って

自滅していくのを観ると悲しくなる「Rigo」です。

(´;ω;`)ウゥゥ

 

前回の記事にも書いたけど

「何もしない時間」と

「何もしたくない時間」って

積極的と消極的という点で

だいぶ違うと思うんだ。

 

「費用対効果」の点でいくなら

たしかに「何もしない時間」は

文字通り「何もしない時間」なのだから

意味がない。

 

無意味。無駄。役に立たない。価値がない。

蕩尽。無用。無益。

 

しまいには「空しい」&「虚しい」

と感じる人さえいる。

 

坐禅で有名な老師である

「沢木興道」さんも

(ミス。内山興正さんでした)

坐禅の意味と実際」という本だったかは

忘れたけど、とにかく

坐禅をしても、何にもならんよ」と言っている。

 

私はこの言葉の裏に逆説性を感じてしまうので

「何にも【ならない】けど、

何か【ある】のでは?」と言外の意味をとってしまう。

 

じゃなきゃ、禅の教えがここまで

歴史を超えてつながっている理由がない。

 

まぁ、下種の勘繰りかもしれないけど

私は「何もしない時間」を

それこそ、加藤諦三さんの言葉を使うなら

「湧き水をすくうような」

丁寧な時間として使いたい。

 

ネットでも「競争」の世界が蔓延していることを

実は、ネットに詳しくない大人たちは知らない。

 

若い世代が「ビジネス」的な世界に

日夜、放り込まれて「消耗している」ことを

大人たちは知らない。

 

「サードプレイス」という言葉がどうして

今でてきているのか大人たちは知らない。

 

今、もしこの文章を読んでいて

あなたが「競争」や「ビジネス」

というキーワードに引っかかったとしたら

あなたは「疲れている」可能性が高い。

 

私は「なぜ自分は何もしてないのに疲れるのか?」

を考えてみて分かったのだけど

結局、ネットの世界が「競争」の世界になっているからだ。

(自分が何もしてないのも、ウソだった。

ネットを日夜見続けていたのだ。)

 

アクセス数や、月~万稼げる人たちが

グーグルの上位に出てくるため

そこはリアルに映っても仕方がない

「弱肉強食」の世界が見えている。

 

若い世代の「ライン」やスマホ依存が

問題視されているけど

若い世代が「横のつながり」を作って

必死に関係をつなぎとめざるをえない状況下に

追い込んでいるのは

実は「ビジネス大人」と「ネット無関心大人」なのだと

私は思っている。

 

割と就労や企業や会社に勤めないでも

働ける仕組みを作っている人でさえも

「お金を稼ぐ」という点では

「ビジネス大人」なのだと思っている。

 

ここまで言うと

「あなたはビジネスを否定するのか」

と思われるかもしれないけど

私はあながち「YES」である。

 

「マネタイズ」という言葉が流行って久しいけど

結局、そこに「目」が言ってしまうのは

自分の「関心」や「興味」があるからだ。

 

人によっては「人生変わる」とさえ思っている。

 

これは、私からすると半分ウソだと思っている。

(なぜかは言わない。説明すると長くなりそう)

 

とにかく新しく入ってくる

外来の言葉には注意した方がいい。

 

それはたしかに今までの「常識」

(就労や会社勤め)を壊す考えでは

あるのだけど、マネタイズ=新しい時代の価値観ではない。

 

私が「アマゾンアソシエイト」をやらないのも

「腹の足しになればいいな」とさえ思ってないから。

(正直、以前は思っていた)

 

Amazonは実は自分の中で

快く思ってないこと気づいた。

(本当はAmazonが使えなくて悲しいだけw)

 

これは私の自分に対する「憎しみ」の反転なのだけど

いっそのこと、この想いを大事にして(燃料にして)

この想いを「何もしない時間」にぶつけたい。

 

「禅は一種のルサンチマンである」と

永井均さんは『マンガは哲学する』という本の中で

見抜いていたけどそうであったとしても

そこに私は「活路」を見出したい。

 

折角、ニートになったのだから。

わざわざ、座禅会に行かなくてもいい。

家が使える。静かであり閑か。

居心地もイイ。私の場合、家に「畳」があるので

「座って」「何もしない」のには

打ってつけだ。

 

私のそばには一緒に

「何もしない」をする

ルカリオもいる。ジュナイパーもいる。

外で世界を浄化しているスイクンもいる。

(これ、私の妄想の世界ですw)

 

だから「ひとり」でも大丈夫。

 

今の私に必要なのは

「自分の直感」を「信じる」ことではない。

「信じ切る」ことだ。

 

そのために「何もしない時間」を

共有する、想像上のポケモンたちと

「積極的」に「何もしない」。

 

それができるのは「私」だけである。

 

坐禅の意味と実際―生命の実物を生きる

坐禅の意味と実際―生命の実物を生きる