バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

政治の「ねじれた関ヶ原構造」。数の暴力を使ってふざけている国会の「自民党」議員に対して、怒ったり、呆れたり、無視したりしても相手はやめない。動物のらいおんを用意する?(マジ)それとも。

国会で、カジノがテーマになってるね。

 

ニュース、みたのだが

自民党の議員のあのふざけた行動

山本太郎議員が、自民党議員から紙をとりあげるが

また、下から取り出すシーンを観て)

「ああ、これは、学校の世界なんだ」

と思わずにはいられなかった。

 

たとえば、授業中、ゲームをやる子がいる。

 

先生はそれを批判する。

 

「授業中、ゲームをやるのはやめろ」

 

生徒は無視する。

 

「ゲーム、没収」

 

先生はゲームを取り上げる。

 

生徒、机から二代目のゲームを出す。

 

先生。「???」

 

こういう感じなのだ。

 

学校では、先生が優位的なポジションにいると

思われがちだが、こういう行動に出て

授業を妨害できる点でいえば

決して生徒は「劣勢」のポジションにいるわけではない。

 

だから、先生がその生徒を怒ったり

呆れたり、無視したりしても

効果はない。

 

むしろ、相手は頑なになるだけだ。

 

こういう時に、効果があるのは

こちらも、そういう行動に対して

「暴力」を使う方法である。

 

さっきの国会の例でいえば

ふざけているように思うかもしれんが

本物の「らいおん」を用意して

放つこと。

(野党は外で見学w)

 

「命の危険」があれば

人はそんなことはやらない。

 

結局、国会で「命」のやりとりをしている人が

いないのが現状なのである。

 

命のやりとりというと

不良とか暴力団をイメージする人がいるかもだが

「政治生命」という言葉があるように

「真剣」に政治課題に向き合うことである。

 

これが若い人の多くが

ふざけた人生を生きてるからといって

政治家がふざけたことをやられると困る。

(まぁ、フラクタルではあるがw)

 

本当であれば「この問題のここのテーマが

分かりません。野党さん」

と言える与党の政治家が増えればいいのだが

それができないのが現状である。

 

たぶん、したくないのもあるが

一方で、言わしてもらえない「空気感」を

醸成しているのは「野党」かもしれん。

 

もし、興味がある人は

ナリ心理学のこの「関ヶ原」の記事を読んでみて。

 

k-nali.hatenablog.com

 

まろはこの記事を読んで

「野党」が「石田三成」派であり

「与党」が「徳川家康」派であることに気づいた。

 

で、これははっきり言おう。

政治で言えば

この関ヶ原構造はあくまで

「構造」であり、その人に属人的な性格があるあわけではない。

 

つまり、自民党が野党になれば

自民党は「石田三成」派になるわけであって

これは「構造」である以上とめられないのだ。

 

ただ観てる側からすると

「与党のやっていることは数の暴力だけど

野党にやられている与党を観ると

何か、シンパシー感じちゃうなw」である。

 

つまり、現政権である与党を応援している人は

現政権を支持しているというよりも

与党が野党にやられているところに

共感してしまうのである。

 

これはボクシング漫画でいえば

主人公が敵にやられている姿。

 

ワンピースでいえば

主人公の仲間たちが「ぼこぼこ」にされる姿を観て

「この窮地から反撃!」と思うのと一緒である。

 

人間は、苦しみの極点に達すると

「ふざけんな!俺の言ってること、やっていることの

何が悪いんだ!」と言う人も出てくるだろう。

麻生太郎議員はその典型かw)

 

野党を応援している人からすれば

野党の方が「主人公」なのだが

ひきこもりやニートは「徳川家康」派の人も多いので

野党のあまりの「石田三成」さに

応援しづらいのである。

 

今書いていて気づいたのだが

実は「野党」を応援しづらい「構造」は

関ヶ原」から今につながっているのだ。

(野党、共闘に支持が集まりにくい

根本理由)

 

何度も繰り返しになるが

世の中には「長い物には巻かれろ」の人もいれば

「負けた人」「不遇の人」「不幸な人」に

共感してしまう人もいる。

 

そういう意味では、関ヶ原はまだ終わっていない。

 

この「ねじれた感情」は、「ねじれ国会」よりも

めんどくさい。

 

今一度「関ヶ原」という言葉を

政治の話題に「のせよう」。