バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

「汚れちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる」の私見解釈

まろは、中原中也のこの詩に惚れながらも

意味が分からなかった。

 

「悲しみは、汚れないだろ」と。

 

でも、今日ふと思った。

 

「これって、大人になって

自分が汚れてきたことを悲しんでいるのは?」と。

 

まろは、大人になってもピュアで純粋で

生きていけると思っていた時期がある。

 

世の中の大人たちは

「汚れている」感があって

それを最初感じた時は「こうはなりたくない」

と思っていた。

 

でも、大人になるってことは

「ある面」ではこういうことなんだと思う。

 

社会に迎合する。

組織に染まる。

などなど。

 

で、そういう風にして

汚れていき

「悲しんでいる」自分に対して

小雪」という「自然」の「優しさ」が

降りかかる、ことをこの詩は言いたいのではないか?

 

汚れちまった「私」と

優しい「小雪」の対照性。

(闇と光。陰と陽)

 

そうすると、腑に落ちるのだ。

 

まろは、今日

「孤立無援のブログ」を読んでいて思った。

 

やっぱ、自分で感じている「違和感」&「もやもや」は

言葉にして吐き出しておこうと。

 

たとえそれが個人批判、非難、悪口になるとしても。

 

みなさんも何となく分かった気になって

喉の奥で引っかかっている小骨のような「言葉」は

ありませんか?