バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

なぜ、人は学び続けるのか?→深く学びたいから

料理の知識や技術を増やす際

料理人が考えているのは

「料理がもっとうまくなりたいから」。

 

サッカーの練習量を増やす際

サッカー選手が考えているのは

「サッカーがもっとうまくなりたいから」。

 

ところが「学び」になると

「未来を見通すため」とか

「人生に生かすため」とか

「楽しいから」とか、ということになる。

 

どれも間違ってはないのだろうが

もし、料理人やサッカー選手と同じロジックでいくなら

人が学び続ける理由は

「深く学びたいから」であり、それ以外にない。

 

たとえば、サザンオールスターズの歌に

マンピーのG★SPOT」というのがあるが

歌詞を読むとまぁひどい。

(嫌いじゃないけどw)

 

まろが、高校生の頃、同級生の男子がこれを

笑顔で歌っていたのを思い出す。

 

こういうのを思い出す時

最近の品のない曲を聴いても

「サザンもやってたしな」である。

 

別に「音楽史」だけでなく

「日本史」を学ぶことの意義は

「パターン」を見つけることではないだろうか。

 

最近、まろが自分に問いかけているのは

「人生で成功したあと、転落人生を送る人は

どういうパターンがあるのか?」ということ。

 

それこそ、一昔前では「しくじり先生」が流行って

まろは、マラソン瀬古利彦の話に爆笑したが

結局、成功しても転落するなら

意味ないと思う。

 

最近では「香山リカ」の転落がネットを観る限り

すごいようだが

別に「香山リカ」だけでなく

以前、書くと言ってまだ書いていない

「ネットは、ダメンズとメンヘラの泥仕合」というのは

露呈しつつある。

 

いわゆる「言論人」たちの「発言」に

違和感を持つ人が増えた。

 

話は変わるが

まろは「多様な社会」が何を意味してるのか

さっぱり分からない。

 

社会とは何か?という問いに対しても答えが出てないのに

そこに「多様」という、謎の二字熟語がついていて

はっきり言って「感動をありがとう」並の

思考停止ワードだな、と感じずにはおれない。

 

まろはネットは、マスメディアやテレビに対する

「カウンター」(批判)ツールだと思っていたが

その性質も変わってきている節がある。

 

クラウドファンディング

新しいネットサービスによって

生活が便利に豊かになるように。

 

二年後にはオリンピックだ。

 

まろは、この二年を生き延びるためにも

日本史を少しずつ学び

自分の立ち位置と「言葉」について考えたい。

 

最近、ネットのスピリチュアル業界を観て思うのは

「自己肯定」や「自己受容」だけが

クローズアップされ

自己批判」という言葉がない。

 

まろが言っている「自己批判」というのは

自分でする「自己否定」じゃなくて

親しい友達に、自分の現状を「客観視」する

「言葉」を投げかけてもらうことである。

 

これがないとそれこそ「自己完結」

「独善的な」世界が出来上がると思うのは

まろ、だけだろうか。