バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

事実とは何か?

橋本治の「負けない力」という本を読んでたら

自分の未来が「悲観的」に思えてきた。

 

「知性」というものを投げ捨て

「バカ」で生きていくのも一つの人生だと思っていたが

「バカ」で生きていくのは、無理なんじゃないか

と考えるようになり、立ち止まる。

 

橋本は「知性がある」と「アタマがいい」と

「勉強ができる」は違う、と言っているが、その通りだと思う。

 

で、橋本はこの本の中で

「人が考えている問題ではなく

問題を自分で発見する」ことについて書いている。

 

その文章を読んだとき

「問題かあ。何かあるかな~?」と考えていたら

一つ、問題にぶち当たった。

 

それが、今日のタイトル

「事実とは何か?」である。

 

多くの人はこう思っている。

「事実は事実だろ。」と。

 

しかしそういうトートロジーを使う人は

実は、事実について説明できなかったりする。

 

なぜ、まろがこういうことを考え始めたかといえば

それはよく分からない。(笑)

 

ただ「事実の食い違い」という言葉があるように

人は、事実の食い違いで

揉めたり、傷つけあったりする。

 

そう考えるとやはり「事実とは何か?」

という問題について、考えてみてもいい。

 

まず、まろのイメージする「事実」を言うと

「からだを動かせば疲れる」であったり

「人は考える生き物」であったり。

 

「猫を見たことがある」のも事実。

(まろにとって)

 

まろが問題にしたいのは「歴史的事実」と

呼ばれているもの。

 

たとえば、今「猫を見たことがある」

というのも、まろは経験上

猫をよく見ているので

「猫が存在する」ことは分かるが

猫を見たことがない人からすれば

「猫は存在しない」。

 

子供の世界とはそういうものだ。

 

たとえば「時代区分」というものを知らない子供は

今生きている時代がどういう時代なのか

分からない。

 

なぜなら「違う時代がある」なんて

想像もしないからだ。

 

その感覚で考えていくと

たとえば「景気」であったり「戦争」であったり

「高度経済成長」なるものも

実は「事実」と思ってない人がいる。

 

最近(このフレーズ多いなw)

「まろって疑い深いんだなw」

と思うようになるきっかけは

これらの「事実」と呼ばれるものを

「疑い出した」からである。

 

事実って結局「ある/なし」であり

日本人全員が「これは事実だ」と思っていることなんて

ないんじゃないか?

 

先の大戦であっても、まろは「あったんだろう」

と思えても「あった」とは言えない。

なぜなら「経験」してないから。

 

伝聞や歴史学習をすると「~年に、~がありました」

と理解してしまうが、それが「事実」かどうかは

分からない。

 

先生がそう言ってるから。

権威ある人がそう言ってるから。

そう思っているに過ぎない。

 

まろが、悲観的になった理由は

ネットに限らないのだが「事実」かどうか

分からないのに、それを「事実」だと思って

それを伝える人の多さである。

 

中にはネットの「情報」が「事実かどうか」を

ネットの「情報」で調べたりする。

 

まろは「世の中は変な方向に進むかもな」と感じる。

 

 

それこそ、小学生の頃「ふざけてやっていた」

「伝言ゲーム」が、ただの遊びではないことに

「驚愕」している。

 

あのゲームの恐ろしさは、まろみたいに

「ふざける」人がいることもそうなのだが

自分で発した言葉が、次の人に

「正確」に伝わっているかどうかが

「全く」分からないことである。

 

ブラックボックス

 

そのブラックボックス

次のブラックボックスに「言葉」を伝える。

 

これは学校で、同級生たちとやるから

最初の言葉と、最後の言葉の違いについて

検証ができるが

ネットは「集団」ではなく

孤立した人たちの「言動」が飛び交うため

検証ができない。

 

「その言葉、誰から聞いたの?」

と言ったら

「忘れたけど、誰かが言ってたw」

というのはあり得ること。

 

誰も考えてないかもしれないが

その内「人を殺してもいい」という

ネットの言葉を見て

「そうか、殺してもいいのか」と

人を殺す人が出る可能性は0とは言えない。

 

で「なぜ、人を殺した?」という質問に対して

「ネットに出てたから」と答える。

 

「誰が言ってた?」

 

「分からないw」みたいな感じで。

 

殺される方はたまったもんじゃない。

 

が、極端に考えれば、そういうことだって

起こりえる。

 

まろは、今まで「まぁ、日本にいる限り

地震津波や不慮の事故を除けば

生きて暮らせるだろう」と思っていたが

この「伝言ゲーム」時代において

どういう「言葉」がどう伝わっているかなんて

もはや分からない。

 

特に学校教育が崩壊していると言われている時代で

「あるある」と言われる「経験」は

もはや一部の人達にとって「ないない」なのかもしれない。

 

「冷戦」ってホントにあったのかな?

 

イラク戦争」ってホントにあったのかな?

 

その他諸々の「歴史事実」って

その時代に生まれてもいないのに

人間は時に自分の記憶を改ざんすることだってあるのに

どうして「ある」なんて言い張れるのかな?

 

考えれば考えるほど、悲観的になってくる。

 

西洋の歴史は神が「いるかいないか」の

神学論争の歴史と言った人がいるが

(日本人からすれば、論争する意味が分からないが)

日本の歴史も五十歩百歩である。

「ある/ない」の「事実」で揉める。

 

2000字きたので、この辺でやめる。

 

やっぱり、大学時代に「哲学」なんて

学ばなきゃよかったのかもな。