バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

本は燃えたら終わり。データは消えたら終わり。諸行無常のネット世界。

台風の猛威が凄いでおじゃる。

 

これから、日本列島はどうなっていくのやらw

 

最近、ネット界隈の動向を観てる。

 

誰が仕掛けるか。誰が自爆するか。

 

本を書いているのが人である以上

データを作っているのが人である以上

亡くなれば、もう書けない。

死んでしまえば、更新は途絶える。

 

以前「crow」戦略にも書いたが

まろは「待機微動」(待機児童のもじりw)こそが

この世界を生き抜く術だと思っている。

 

「プロフィールと矛盾してないか?」

と言う人もいるだろう。

 

だが、矛盾はしていない。

 

「旅」をすることと「待機微動」は

矛盾しないのだ。

 

松岡正剛は「定住遊民」という言葉を

残しているぐらいである。

 

移動したり、立ち止まったりすることは

普通のことだ。

 

まろがやっている職業は

「闘流士」。

 

これはテキトーにつけたものだが

テキトーにしては、いいネーミングだったと思う。

 

まろのイメージする日本は

「長い物には巻かれろ」の、流行迎合型で

「流れ」と闘う人はお目にかかったことがない。

 

しかし、芭蕉も指摘したように

流行というのは「不易」という概念があるから

生きるのであって、変わってゆくことばかりを

強調していたら、もはや何が「変わったのか」さえ

分からない。

 

まろは、平成が終わる前に

もう一発、衝撃の事件が起こるのではないかと

予想している。

(何かは分からないw)

 

それこそ、自然災害やパワハラ問題を凌駕するような

自分たちの住んでいる世界をぐらつかせるような。

 

まろは、大学時代

サイバーテロが起こったら、今携帯を持っている人って

どうなるのかな?発狂して、犯罪に走るのかな?」

と思っていた時期がある。

 

その後、3・11が起き、日本のインフラの脆弱性が指摘されたが

また元の日常に戻った人も多い。

 

タイトルにも書いたが、本は燃えたら終わりだし

データは消えたら終わる。

 

正確に言えば、その所有者の人生が終わるわけではないが。

 

ディストピア映画「華氏451」というものがある。

 

もうほとんど覚えていないが、本というものが

燃えされる世界を描いた映画だった。

 

データも同じことが言える。

 

データはバックアップができるとはいえ

消えたら「ないのと一緒」。

 

まろたちは、この世界に存在しない情報を

「観る」ことはできない。

 

すごく当たり前のことを言っているが

実は重要である。

 

たとえば、自分が考えていることについて

考えている人がいたとしても

情報がなければ「いない」のと一緒。

 

「自分が考えている問題について

考えている人が一人ぐらいはいるかも」と

考えることはできるが

本でもネットでも、似たことを考えている人が

観つからなければ

「認知」できない。

 

まろが最近、考える怖い怖~いディストピアな世界は

「一人」ずつ、何分か置きに

人が「いなくなる」世界である。

 

それも「なぜか」「いなくなる」。

 

これは、携帯を携帯しないまろだから

考えることかもしれんが

つながりすぎる時代は

「大切なもの」を見失いがち。

(JPOPの歌詞にありそうw)

 

で、別れならまだしも

なぜか「いなくなったら」どうする?

 

たとえば、両親。

兄弟。

友人。

彼女が、突然、理由が分からず「消えたら」。

 

しかし、これはネットの世界では

日常チャーハン(茶飯)である。

 

更新が途絶える。

 

ブログ自体が消えている。

 

ネットでたまたま観ていただけだが

何か「虚しい」。

何か「悲しい」。

 

グーグルさんは非情なビジネスサービスの一面もあるから

役に立たない、更新の途絶えたブログは

アップデートして、ランク外に吹っ飛ばすだろう。

 

そうすれば誰からも見られない。

 

ただ、シャッター商店よろしく

「店」だったものが、耐久劣化する。

 

あるサイトは取り壊される。

 

そういう意味では、ネットの世界も

実は「諸行無常」感が、半端ない。

 

この夏の暑さにくたびれたまろは

こういう「悲観的」なこと考えてる。

 

ま、まろのブログは、まだまだ続くんだがw