バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

プレイしたことのない、クロノクロスのBGMなどを聴きながら、海辺のカフカを熟読。

やっぱり「海辺のカフカ」はただ読むより

BGM流しながら「旅」の気分になって

読む方が楽しい。(*´▽`*)

 

からだ動かしてたら

ダルさとれたでおじゃる。

 

太極拳恐るべしw

 

海辺のカフカ」を

大学時代に電車内で読んだときは

アイポッドがあったので、ケルト音楽聴き「ながら」。

 

この小説、最初読んだときは

ストーリーの「筋」運びの面白さに引き込まれたが

今回読んでいると、出てくる「言葉」に

引っかかってしまう。

 

たとえば「砂嵐」という言葉。

 

ワンピース好きなら「クロコダイル」。

 

ナルト好きなら「我愛羅」を

イメージしてしまうかもしれないが

村上春樹の「砂嵐」はそれとは関係ない。

 

まろは、引用が苦手なのでしないのだが

この「砂嵐」の説明の文章は、比類ない。

 

自分自身という「砂嵐」の存在。

 

村上春樹が使うこの「砂嵐」の意味あいが

若干、スピリチュアルっぽいし

まろが人生で感じている

この「痛み」はその「砂嵐」によるものなのかもしれん。

 

まぁそれはいい。

 

とにかく、この「砂嵐」のイメージを思い出すと

人は皆死ぬまで「砂嵐」と共に、生きているのではないかと

想像してしまう。

(この想像自体が、まろの勘違いかもしれんw)

 

通過儀礼としての砂嵐。

運命としての砂嵐。

自分を切り裂くものとしての砂嵐。

 

砂嵐は当然、性質上「一過性」のものだ。

 

しかし、それは「また来る」。

 

この「砂嵐」を単純に「天災」と結びつけてもいいのだが

まろは自分と関係するすべての出来事が

「砂嵐」なのだと感じる。

 

「砂嵐」が終われば、生きている自分がいる。

 

その繰り返し。

 

まろが、村上春樹を尊敬している点は

この「言葉捌き」にある。

 

「砂嵐」という言葉は、使おうと思えばだれでも使える。

 

しかし、村上春樹のような「文脈」と「説明」で

使える人は、いない。

 

おそらく、AIがシンギュラリティを突破しても

これを超える描写はできない。

 

なぜなら、これは村上春樹の「経験」から

生れ出た「言葉」だから。

 

AIは文章を模倣し、コロケーションを覚え

言葉を入れ替えることはできると思う。

 

が、まろの見立てが正しければそこまでだ。

(そこまでだ!)

 

外れる可能性はあるが

仮にAIが小説を書けるようになっても

たぶん、その優秀な「知能」ゆえに

村上春樹の言葉を使えば

「こんなもんかw」と感じて

小説家として「書き続ける」ことはできないだろう。

 

物語を書き続けるには

「人並外れた愚鈍さ」も必要だからだ。

 

もう一つ。

 

気になった言葉に「洪水」がある。

 

これは、文脈を観る限り

色んな情報に毒されてしまっている状態を

指すのではないか、と思われる。

 

インターネットも一つの情報の「洪水」だと言えるし。

 

村上春樹はこの文章の手前で「沈黙」には

「予言の声」があると意味深めいた事を言っている。

 

とまぁ、前回読んだときは引っかからなかった言葉に

いい意味でつまづいている。

 

まろは、砂嵐とか洪水とか観ると

「インド」をイメージし、千夜一夜物語を思い出してしまう。

(当時はそこの関係性は感じなかったがw)

 

インドアなインド人はいるか?

(いきなり、なんだ?)

 

自己主張の強い日本人はいるか?

(我が強いとは違う)

 

カレーとライスの組み合わせ。

 

世にも珍しい具沢山。

(ラップかw)

 

今日はここまで。

 

センキュー!!!

(200記事越え、おめでとうw)