バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

「~の限界」の「先」はある。

言葉にできない思いを

伝えられない「夫婦」は

建設的な口喧嘩が出来ず

不毛に終わると、両親を観て思う

「おとなし」。

 

テクノロジーの限界と言われ

資本主義の限界と言われ

集落の限界と言われ

ありとあらゆるものが「限界」と言われ

久しいのだが

果たしてそんなに「限界」というのは

危惧すべきことなのだろうか?

 

今のまろはもうポンコツ感満載なのだが

まろは、高校一年生の時

「卓球部」に所属し

猛烈に練習した。

 

団体戦に出場し

「地区大会ベスト32」まで入ったこともある。

(凄いのか分からんがw)

 

練習を重ね

ある閾値まで行くと強豪校や

昔から卓球をやっている人との「差」が

肌身で分かる。

 

「ここまでは強くなったが

ここから先に行けない・・・」と。

 

まろは初めて、真面目に努力し

「限界」と言うものを知った。

 

だが、今なら分かる。

 

これはまろの理解では「限界」だが

別の言い方をすれば「スタートライン」である。

 

つまり、ここからが「勝負」なのである。

 

まろは卓球の神様である

「荻村」さんの

「笑いを忘れた日」の影響を受け

家に帰ったらぶっ倒れるまで

練習量を増やしたが

どれだけ練習を積んでも

もう「上がらない」という地点がある。

 

特にまろは卓球の魅力をラリーに感じていたので

「カットマン」という戦型を選んだ。

 

その「カットマン」の実力は数値化しづらい。

 

練習試合では勝てなくても

「今のはいいカットが決まった」

と思う時があったし。

 

今なら、まろの生き方そのものを

「カットマン」という戦型が

「体現」していたことは間違いない。

 

「持久戦」「消耗戦」「体力戦」。

 

一生懸命になって卓球に青春を捧げた。

 

「人生も同じかもしれない」。

 

「カットマン」を通じて

今まで人に「勝ったり」

人より「評価」されることこそが

大事である、と洗脳されてきたまろは

違う価値観があることを知った。

 

「負けてもいい」

「魅せるプレーをする」

「相手の球に意地でも食らいつく」。

 

高校時代に「一生懸命」

「体験」してことが

今になって生きていることを

10年越しに分かる。

 

話がずれた。

 

「限界」は「スタートライン」であると。

 

問題はそこで「限界だ~限界だ~」と喚いて

ただそこで地団太を踏むか

それとも「限界」の「先」を

目指すか。

 

まろは、後者でありたい。

 

確実に「限界」の先はある。

 

というか、どの分野の一流の人もおそらく

この「限界」にぶち当たり

そして「諦めず」前へ進んだ人なのだ。

 

まろは、生憎「卓球」ではその限界を悟り

そこで「諦めた」。

 

今はYouTubeで動画を上げ

「音楽」や「独り言」を通じて

「限界」を感じている。

 

問題はそこで「諦める」かだ。

 

まろは、この記事を書いて

「諦めたらそこで試合終了ですよ」

スラムダンクの名台詞を思い出した。

(違った?w)

 

ブログもだがまだ「諦めない」。

 

「限界」は「スタートライン」である。

 

そこでようやく

他のプレイヤーたちと

戦える地点にきたということ。

 

それこそ高校時代愛読していた

少年ジャンプの漫画「P2」のカットマンのように

泥臭い、プレイで

「人生を粘り、二枚腰」で

生きていく。

 

「あいつのプレー、何か惹かれるんだよな」

となった時は、かなりの地点にきてるかもしれない。