バカの申し子「めくる」のでんぐり巡り

ラーメン、いっぱい(一杯)食べたい~♪食べているから、ハッピーさ~♪

飽き性について~「見つけ」→「はまり」→「やめ」

まろは、最近

まろが「飽き性」であることを

悲観的に考えることが少なくなった。

 

たとえば、最近

「クレヨン」で絵を描こうと思って購入し

「シェルピンスキー」のギャスケットの絵を

一枚、描いた後、満足し

それ以降「触ってないし」w

 

あるいは、以前も言ったように

「木彫り」に挑戦しようと思って

彫刻刀と端材を購入したのだが

それで「満足」し、それ以降「触ってない」。

 

まろは、今までの人生の中で

どれ一つ、続いている趣味はない。

 

その時々に応じて「見つけ」「はまり」「やめ」を

繰り返している。

 

最近では「動画」アップも飽きてきて

(編集するわけでもないのに)

「もう、いいかなw」と思うのと同時に

「もうちょっとやりたいな」とも思っている。

 

とりあえず、今までの傾向を備忘録的に

書いておこう。

 

サッカー。ハンドボール。卓球。

キャッチボール。バトミントン。バスケット。

合気道カポエイラ坐禅

水泳。一輪車。カヌー。気功。

釣り。キャンプ。剣道。

空手。柔道。スキー。

少林寺拳法。相撲。ダンス。

ダーツ。テニス。登山。

ドッジボール。なわとび。バレーボール。

フットサル。ボウリング。ビリヤード。

ボクシング。ペタンク。ボッチャ。

雪合戦。ラジオ体操。筋トレ。などなど。

 

まぁ、ざっと観ても「30」以上の

運動はやっている。

 

しかしどれも長続きせず。

 

音楽関連でも、ピアノ。ハーモニカ。

ギター。ウクレレ。オカリナ。琴。

指揮。ドラム。リコーダー。

口笛。カスタネット。木琴。鉄琴。

シンバル。ベル。マラカス。

ボイスパーカッション。アコーディオン

鍵盤ハーモニカなどなど。

 

10以上の楽器に触れて音を出している。

 

しかし、同じく「飽きる」。

 

限界を知ってしまい、やる気をなくすというのもあるが

一方で、ちょっと「かじった」ことで

「満足」してしまうのだ。

 

つまり「満足」の感覚値が低い。

 

これはゆとり世代によくあることかもしれない。

 

いけいけどんどんや、バブリーウィッシュ!

の時代の中で育ってないので

(平成不況組)

自分の微々たる成長や、少しの成長が

「嬉しい」のだ。

 

しかし、少しできると

そのことに「満足」し

それ以上を求めない。

 

ある種、足るを知る世代

悪く言えば「さとり世代」かもしれない。

(本当のさとりは、求道する人達なので

さとりを目指す人達に失礼なネーミングなのだが)

 

まろが、受験勉強に飽き

資格試験のようなことをやってないのも

そのせいかもしれない。

 

一言で言えば「飽きる」でしょ?である。

 

今、思いついたのだが「飽きる」ことが

「続いている」という「習慣」づけもある。

 

つまり、やり続けている「習慣」を

「習慣」と呼ぶのではなく

まろが「飽きてきた」痕跡を「習慣」と呼ぶのだ。

 

この「見つけ」→「はまり」→「やめ」というのは

まろにとって、普遍化できる

まろの「傾向」である。

 

唯一、長年続いているのは「エロい」ことを考えること。

 

これは、小学校、高学年ぐらいから

かれこれ10年以上は続いているか。

(最初は、体育の時間で

女子の体操着の腕や足の横から観える下着チェック)

 

「性欲は、本能だから」と言う人もおられるが

世の中の大多数は、自分なりに

彼女を作ったり、性欲をコントロールしたりと

自分なりの工夫をしている。

 

「相違工夫」(創意工夫ではなく)というのが

最近のまろのキーワードだが

まろは、そういう意味では「性欲」が

コントロールできてないし

今は、彼女を作りたいとも思わない。

 

それよりも「エロい」ことを考えることに

重点を置いている。

 

「猿!」とか「汚らわしい」とか言われたらそれまでだが

まろの「本性」なのだから仕方がない。

 

というか、エロいこと考えなくなった男って

(エロいことするかは別として)

軒並み、枯れているような気がするのは気のせいではないだろう。

 

まろも一時的に病気になって

「枯れた」こともあった。

 

オナ禁にもチャレンジしたことはある。

 

だが、結局無理なのだ。

 

エロい妄想は、みうらじゅんの名前を借りずとも

13歳のハローワークの本を出さずとも

ある一定の傾向の男女はしてしまうものなのだ。

 

さっきも、5時ぐらいに

家から出て

隣近所に住んでいる御宅の

お風呂場の音を聴いただけで

エロい妄想が思い浮かぶ。

 

以前より、性欲は落ちたが

逆にそれを補うような「妄想力」&「イメージング」の力は

上がっている。

 

この妄想力こそ、まろの生きる源である。

 

そうか。まろの強みは「性欲」に関係することなのか。

 

あまりにも無意識だったから気づかなかった。

 

最近、押見修造の「血の轍」読んで

お母さんが思春期の子供の頬や唇にキスするの観て

「これは、ヤバいw自我、崩壊するだろ」

と思っている「おとなし」なのであった。