丸山は「政治的判断」の第二節で、政治的なものの考え方、あるいは認識のし方というものは、単に狭い意味で、政府の、国会のやっている活動についてわれわれが批判したり、判断するためだけに必要ではなく、われわれの日常的な政治的な活動に必要な思考法だと思う、と言っています。
政治的認識が高度であるということは、その個人、あるいはその国民にとっての政治的な成熟の度合を示すパロメーターである、と丸山は言っていて、政治的に成熟しているかどうかということは、簡単にいえば政治的認識が高度であるかどうかということに換言できるということです。
もっとも、政治的に成熟していないということは、必ずしもその個人にとって、あるいは国民にとって、道徳的なレベルが低いという事ではないと、丸山は断って言っており、政治的な認識は他の種類の認識に比して、特別に高級であるというわけではなく、また逆に特別低級であるというわけでもないと、言っています。
しかし、政治的な場で、あるいは政治的な状況で行動する時に、そういう考え方が、いいかえれば、政治的な思考法というものが不足していると、自分のせっかくの意図や目的というものと著しく違った結果が出てくると、丸山は言っています。
いわゆる政治的なリアリズムの不足、政治的な事象のリアルな認識についての訓練の不足があると、ある目的をもって行動しても、必ずしも結果はその通りにならず、意図とははなはなだしく違った結果が出てくるということになりがちだと、丸山は言っています。
よくそういう場合に、自分たちの政治的な成熟度の不足を隠ぺいするために、自分たちの意図とは違った結果が出てきた時に、意識的に、あるいは無意識的になんらかのある「わるもの」あるいは敵の陰謀のせいでこういう結果になったというふうに説明すると、丸山は言っています。
ずるい敵に、あるいはずるい悪者にだまされたということです。しかし、ずるい敵にだまされたという泣き言は、少なくとも政治的な状況におきましては最悪な弁解である、と丸山は言っており、それは最も弁解にならない弁解である、と言っています。つまりそれは、自分が政治的に未成熟であったということの告白だということです。
特に、指導者の場合にはそうで、指導者というのは、一国の指導者だけでなく、あらゆる団体において、政治的な状況において行動する場合、その団体の指導者が自分の意図と違った結果が出た場合、あるいは自分の目的と違った結果が出た時に、これは結局何者かの陰謀によってそうなった、というふうにいって弁解し、説明することは、自分の無能力の告白である、と丸山は言っています。
つまり、自分の状況認識の誤りというものが、往々にしてすべてそれが実は政治的なリアリズムの不足から出ているにもかかわらず、相手の謀略によってそういう結果が生み出された、というふうに説明されるからです。これは、専門の政治家になると、ある目的で意識的にそういう説明を使うことがあります。
たとえば、アメリカの民主党に対して、戦後この数年来の共和党の攻撃の最も主たる攻撃点はどこにあるかというと、つまりアメリカの中国政策がロシアの謀略にかかった、という説明、ロシアにしてやられた、ということで、もしアメリカの中国政策がすべてロシアの謀略にかかったということで説明されるとするならば、それはわれわれの言葉でいえば、アメリカの指導者の政治的認識が著しく不足している、と丸山は言っています。言い方はひどいですが、アメリカが政治的にはなはだしく未成熟である、ということと同じことです。
こういう状況認識の錯誤からくる失敗を敵の謀略に帰する考え方というものは、たとえば軍人などには比較的多い思考法である、と丸山は言っています。日華事変が日本政府は初めは不拡大の方針であったが、それがどんどん拡大していったということについて、軍事専門家と称する人の説明をみると、うまく国共合作で抗日統一戦線にもってゆこうという、中共の謀略にひっかかって拡大していった、というふうに全部中共が綿密に陰謀をめぐらして、それが着々効を奏していったというような説明がされているということです。
これも同じ思考の範疇にはいり、日本の状況認識の誤りという問題が、その場合にすべて敵の謀略ということに帰せられてしまい、極端な場合には世界中のあらゆる出来事がユダヤ人の陰謀であるという考え方があるぐらいです。ユダヤ人が将棋の駒を動かすように、世界中のあらゆる所に自分の目的を実現していったという考え方が、(このごろは以前ほどではありませんが)一時あったわけだと、丸山は言っています。また、ウォール・ストリートの独占資本家が世界経済を全部あやつる陰謀をめぐらしている、というような見方もそれと似た見方です。
たとえば、私人間の経済関係においてこういうような見方がおかしいということは当然とされるわけです。ある人がきょう株を買うとしますと、それが買ったとたんに下落した。でその人は非常に損をした。もしその場合にその人が、きのう自分に株を売った人間に対して、「お前の謀略にかかった」といったらそれは通用するかというと通用しないわけです。つまり、株式市場というものに対する認識が足りなかった、ということです。相手はその市場の状況というものに「より」精通していた、と丸山は言っています。
先の見通しをもっていたから売った。買った方はそれを見通せなかったから買ったということでありまして、それを相手の謀略にかかった、というくらいなら、初めから株に手を出さなければいいわけです。経済状況の場合には、そういう需給関係というものは、特定の人の謀略によってすべて自由になるとは考えられておらず、それは一種の客観的な法則によって、需給関係が決まるのは当然だという常識があると丸山は言っています。
しかし、政治の場においては、とかく状況の客観的な推移によって起こったことまでが、すべて敵の手にかかった陰謀である、というふうに考えられやすく、それだけ経済の場合に比べて政治的に成熟した認識が地につきにくい、ということになると丸山は言っています。
恥ずかしながら、市民の一人として私自身も今回、東京都知事選で、野党全党が共闘することができなかった要因を、小池さんが、国民民主党を懐柔したからだ、と考えていましたが(陰謀論的な)、そうではないのかもしれない。どうしても力のある政治家を見ると、水面下で動いているのだろうな、と思うし、実際動いているのかもしれない。しかし、もし仮に小池さんが、国民民主党を懐柔しているのだとしたら、野党にまとまられると厄介、だと小池さん自身が思っており、それで行動に移したのだとしたら、小池さんは小池さんなりの政治的な認識(野党に対する脅威)で、世界を見ているのだと考えられる。なにしろ、今回のコロナの件で、国民の中には不満がたまっている人もいるのは事実。そういう場合、無党派層などが、小池さんではない立候補者に入れる可能性も高い。
政治状況により「精通」すること、政治的認識を高度にするためには、自分が観えていなかったファクターのぬけもれだけでなく、それ以外の視点も考えてみる必要がある。