のどが渇いて
水を飲んだ時のように
気持ちが生き返るような
その流れに
身を浸しているだけで
安らぐような
そんな歌があるから
不条理の記憶は
言葉にすると
あっけない
あれだけ苦しんでいた時も
わずかこのページ数で
記事になってしまう
これが伝えることの難しさなのか
この街は今日も存在感がない
だけど
そうなんだけど
そういうところが
自分は好きだ
それは決して
存在しないことを意味しないから