丸山真男
丸山さんの本は 晩年から読むと良い 山の周辺を ぐるぐる 迂回するようにしていると 人となりが見えてくる
大学時代 自分にとって 丸山さんは 知の巨人だった でも今は 親しみ深い 近所のおじさんで 人は 病み疲れて初めて 本の弱さを 感じることができる
僕たちは 結局 生の形で 創造しているわけじゃない 追いかけていた作品を 自分という存在を通して 追創造しているんだ
実は私、この集会にまいる前に多摩墓地に行ってまいりました。はなはだ個人的なことを申し上げて恐縮でございますが、八月十五日というのは、私の母の命日でありまして、しかも私の母は昭和二十年の八月十五日、敗戦の日に亡くなったのであります。私は当時…
これより前、ルイ十五世のとき、またはルイ十六世のはじめ頃に、大臣どもが、数十年、数百年の未来にわが身を置き、一致協力、因習をひとつひとつのぞき去り、かわりに立派な新プランを実施していたならば、ルイ十六世の晩年にはもはや、一歩をすすめて民主…
この言葉を聞いて豪傑の客が、洋楽紳士にむかっていうには、「君は気がくるったのじゃないか。くるっている、くるっている。大の男が百万人、千万人あつまって国をつくっていながら、一太刀も報いず、一発もお返しせずに、じっと侵略者の奪うにまかせて、あ…
第三節では、政治的な思考法というものが、われわれが政治家ではないから不要なのかどうか、という問題を取り上げています。確かに政治的な場に、政治的な状況にまったく登場しない人間というものを想定するならば、その人間にとってはこれは必要のない思考…
弱小国が強大国と交わるさいに、相手の万分の一にも足りない有形の腕力をふるうのは、まるで卵を岩にぶっつけるようなものです。相手は文明をうぬぼれています。してみれば、彼らに、文明の本質である道義の心がないはずはないのです。それなら小国のわれわ…
一人は着もの、はきもの、上から下まで洋風で、鼻すじ通り、目もとすずしく、身体はすんなり、動作はきびきびちとして、言語明晰である。この人はきっと思想という部屋で生活し、道義という空気を呼吸し、論理の直線のままに前進して、現実のうねうねコース…
丸山さんは、やっぱり難解さは否めないので、時々こういうのも挟んでみようと思う。 この小節では、南海先生という人が登場する。南海先生は生まれつき酒が大好き、また政治を論ずることが大好きな人である。世界の進路を示し、社会の方針を教え、思うには、…
この小節では、福沢の多方面にわたる言論著作を通じてその基底に一貫して流れている思惟方法と価値意識を探り出し、それが彼の政治・経済・社会等各領域の具体的問題に対する態度と批判の方向をいかに決定しているかということ究明することにあります。その…
丸山は「政治的判断」の第二節で、政治的なものの考え方、あるいは認識のし方というものは、単に狭い意味で、政府の、国会のやっている活動についてわれわれが批判したり、判断するためだけに必要ではなく、われわれの日常的な政治的な活動に必要な思考法だ…
この小節では、明治の自由民権論に対する冷笑的批判に対して中江兆民がいろいろな個所で試みている反批判について取り上げています。なんと、驚くなかれ、進歩の立場に対する批判のパターンが六・七十年前の日本と今日とで驚くほど変わっていない、と丸山は…
この「政治的判断」という小節では、まず初めに政治に対するわれわれの思考法、考え方を問題にしています。第一節では、これから現実の政治論そのものをお話しするのではなく、具体的な政治の問題に対するわれわれの「認識のし方」というものを中心にしてお…