水鳴の人声観~苦楽の中で

自分の中にある言葉を形にしています。最近のマイブームは、鷹揚に、ごゆるりと、です♪

丸山眞男セレクションより「政治的判断」の①

この「政治的判断」という小節では、まず初めに政治に対するわれわれの思考法、考え方を問題にしています。第一節では、これから現実の政治論そのものをお話しするのではなく、具体的な政治の問題に対するわれわれの「認識のし方」というものを中心にしてお話すると、言っています。その理由は、その問題がいつも抜きになって、すぐ内容的な政治論について「良い」とか「悪い」とか、といっていて、そこから困った現象が起きているからだと、丸山は述べています。ここでは、政治の認識論を話の俎上にあげています。

 

大学時代に何回か読んでいてそのたびに中身を忘れていたのですが、数年ぶりに読み返してこの「政治的判断」は このセレクションの中でも読みやすく、そしてアクチュアルです。

今後は少しずつ、丸山眞男さんにも言及していこうと思います。大学を中退して、政治学からだいぶ離れていたけど、また戻ってくるところが面白い。昔、専修大学に通っていた頃、岡田憲治先生が「15歳でも分かるような文章で」とレポート採点してくれていたけど、この意味が「統合失調症」になって、本が読めなくなったことでよく分かるようになった。

中身を理解するという事は、その年齢の人でも分かるように「伝えれられる」ということだ。あの当時はなんだか「分かったふり」をしていた。でも、ほとんど理解していないということに気づき、今ようやく、丸山さんが身近になってきた。

あの頃は、天高くそびえたっている「政治学」の巨人、という印象があったけど、じっくり読んでみるとすごく付き合いのいい(ある意味では、ねちっこい)おじさんだな、と思った。たしかに、丸山さんは、インテリ臭漂う、横文字や独特な文体の文章もある。そういう意味では、現代人はさっぱりかもしれない。

 

そういう点では、まず丸山さんを知る上で、この政治的判断を取り上げたのは正解かもしれない。

 

今までは、禅や老荘思想の考えも悪くない、と思って一時的にある種、「政治」から逃避していたけど、実はあとで紹介するように「政治」からは、逃げられない。丸山さんに言わせれば、生きるというのは「日常行為」そのものが、全て「政治行動」。(本人はそう思ってなくても)

 

これを聞くと、人によってはイヤかもしれない。「俺の日常生活がなんで政治行動なんだよ」と。しかし、政治から逃避する人が増えることで、間接的に政治の「専制政治」(支配者が独断で決めていく政治)を生み出すとしたら、もはやその日常生活は、政治的な行為に含まれざるを得ない。それが悪い、と言っているのではない。ただ、「政治学」的に見ると、「政治行動」として扱われるということだ。それは覚えておいてほしい。

 

 

 

丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー)

丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー)

  • 作者:丸山 眞男
  • 発売日: 2010/04/09
  • メディア: 文庫