水鳴の人声観~苦楽の中で

自分の中にある言葉を形にしています。最近のマイブームは、鷹揚に、ごゆるりと、です♪

考えるとは

考えることが最近が分からない。

 

私も人間なので、日々考えているだろう。

 

しかし、こと、読書に限っていうなら

読んだ内容を思考することができない。

 

音読したり、ノートに書いたり

ブログに書いたり

スマホに録音したこともある。

 

しかし、一向に血肉化している感じがない。

 

むしろ、うわべの水だけ掬い取って終わっている気がする。

 

知識を頭に入れることは難しくない。

 

鳥の名前、石の名前、草の名前。

 

私には覚えらないけど、ある人達にとっては

何の苦も無く覚えられるだろう。

 

これも学びの一つだ。

 

しかし、読書は他者の思考だ。

 

それを自分の頭で再生するのができない。

 

精神疾患になったことも一つの要因なのか。

 

しかし、精神疾患でも思考力のある人はいる気がする。

 

ある意味では、考えなくても生きていけるからこそ

考えなくて済んでいるとも言えないだろうか。

 

極貧生活の中で、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていたら

人は、生き延びるための思考を発動するだろう。

 

それにより、結果的にどういう人間になるかは

置いておくとしても(ダウンタウンのまっちゃんがひとつの例)

考える、そして問うというのは

人間に与えられた最大の能力だ。

 

むしろ、ざっくり考えてると

ざっくりした答えしか出ないというか。

 

たとえば、支援とは何か?と考えるよりも

精神疾患の人達への支援のあり方にどういったものがあるのか?

身体や知的障害の支援とは何が違うのか?

といったように、問いを明確化した方がいいのではないか。

 

丸山眞男さんの「現実主義の陥穽」の論考にしたって

「現実主義の陥穽とは何か?」と考えるよりも

マスメディアが凋落した

この時代に、無数のようにある「現実」の提示の仕方における

問題点は何か?といったように。

 

それに対して一つのアンサーが

「相対化」された無数の現実は、どちらを選んでもいいと

いうことになり、現政権を支持するのもOKになる。

 

現状維持でよければ現政権に投票すればいい、と

言論人は言っているけど

そんなに単純かなあ、とも思う。

 

現状維持と現状に不満があるの二者択一で選挙に行く。

 

既存の好きなものでツイッターのフォローを固めている人は

社会問題があることさえ、認識してないかもしれない。

 

そしたら、自民党に入れるかもしれない。

 

それでいいんだろうか。

 

現状維持でもいいと言っている人にも

「仕事が忙しい」

「家庭が忙しい」

「病気で大変」

「自分のやりたいことだけやる」

「政治なんて、どうでもいい」

などなど、色んな思いがあると思う。

 

そこを一括りにして、「現状維持派」と

「現状不満派」に分けたら、こっちに零れるかもしれない票が

あっちに入ってしまう。

 

ああ、難しいね。政治。