これより前、ルイ十五世のとき、またはルイ十六世のはじめ頃に、大臣どもが、数十年、数百年の未来にわが身を置き、一致協力、因習をひとつひとつのぞき去り、かわりに立派な新プランを実施していたならば、ルイ十六世の晩年にはもはや、一歩をすすめて民主平等の制度にはいるだけで十分だったでしょう。ルイ王はゆうゆうと議会におもむき、王冠をぬぎ、剣をはずし、ロベスピエール以下の人々にえしゃくして、、顔色おだやかにほほえみつつ言うでしょう、「諸君、努力してください。私も平民の一人となって、国のためにつくしましょう。」そこで妻子をつれて、地方で地味のこえた土地、景色の美しい場所をさがし、田畑邸宅をたっぷり買いこみ、一生をのんびりとおくる。こうして、身のひきかたのあざやかさ、権力への淡泊さという名誉を、後世にのこすこともできたはずなのです。
ついでに言えば、フランス以前にイギリスという手本がなかったとすれば、宰相、大臣たちをふかく咎めることはできないわけで、私の議論は迂遠か残酷ということになるでしょう。ところが明白な手本があったのに、よう手本とせず、前の車がひっくり返っているのに、後の車がなんの反省もなく進みました。当時のフランスの大臣どもは、わざとわざわいを子孫にのこしたのだ、とも言えるのです。進化の神のじゃまをした悪魔、ルイ王をおとしいれた罪人、とも言えるのです。」
洋楽紳士は、もう一杯のんで言うには、「車は流れる水のごとく、馬はおよぐ竜のごとし、という都大路、男女ざっとうのなかを、高い帽子をかぶり、りゅうとした服をきて、眼の玉もうごかさないで、つっきり、ぶっ飛ばしてゆく人物、この人は天下を料理する才能をもち、人民を治める志をいだき、天子をたすけて朝廷に執務する総理大臣なのか。それとも生まれつき機敏な性質で、時勢をよくつかみ、やすく買ってたかく売り、大富豪となった人なのか。それともその文章の美しさ、学問の巧みさ、セルバンデスやパスカルを召使いとするほどの天才的人物なのか。どれでもありません。
この人物は、遠い先祖の何とかいう男が敵の軍旗をうばい、敵の大将を斬るという戦功をたてたため、爵位をさずかり、領地をもらい、代々の名門として今日までつづいている。才能も学問もないけれども、先祖の骨が墓のなかからいつも七光りして、おかげさまで、なんの仕事もせぬくせに、ふところ手で高い俸禄をもらい、うまい酒をのみ、やわらかい肉を食い、のんびりと日をおくっている、いわゆる貴族と称する一種特別の物体です。ああ、国のうちに、こんな物体が数十個、数百個もあったのでは、たとい立憲制をしいて、百万、千万の人民が、自由の権利を手に入れたとしても、そもそも平等の大義が完全でないのだから、自由の権利といってみても本物ではありません。なぜかというと、われわれ人民が朝から晩までつらい労働をして、もうけの何パーセントかを税金にさし出す、それはやむをえませんが、単に行政の事務をまかせた役人を食わせるだけでなく、そのうえこのなんの仕事もせぬ物体まで食わせてやらねばならぬとしたら、けっきょく、本当の自由じゃありません。
王族・貴族制度に対する批判ですね。当時はおそらく、そうやってのうのうと暮らしている人達がいて、そういう人が美食や衣服の文化を作っていく面もあったのだろうけど、それは一部の人達の身内の世界で、それ以外の大勢は労働に従事し暮らしていかなければいけなかったのだろう。才能も学問もない。ただ「血縁」だけで、楽に暮らしている人の存在を形作っている制度に我慢がならない。そういうことでしょうか。この文脈の流れからすると、労働に従事する人達は「余暇」がなかったのだろう。
今の自分は、政治学の本について書いたり(これは余暇です)、歌を歌ったりウクレレ弾いたりする時間もあるので、仮に日本にもそういう「血縁」男がいても、特に怒りは覚えない。ただ、そういう人が政治を担い、実質何もしていないのだとしたら「何やってんだよ!」と言いたくはなる。当時のフランス社会は、そういう感じだったのだろう。まして国を破壊していくようなことをしていたら、なおさらだろう。