水鳴の人声観~苦楽の中で

自分の中にある言葉を形にしています。最近のマイブームは、鷹揚に、ごゆるりと、です♪

ヒトカゲから学んだ、ひとつのこと。

自分の人生をほの明るく、

照らしている光景がある。

 

ポケモン無印の「ヒトカゲ」の回だ。

 

内容は覚えている範囲で言うと、

ヒトカゲがトレーナーに捨てられる。

 

しかし、健気にヒトカゲは、

トレーナーの帰りを雨の中待つ。

 

尻尾の火は今にも燃え尽きそうで、

命尽きるところなのだけど、

主人公であるサトシが、

それを助けるというもの。

 

ポケモンの従来のイメージは、

生き物とヴァーチャルの融合体である、

と言われることが多い。

 

しかし、アニメの物語としては、

ほとんど、「人対人」の様相を呈している。

 

誰しも、

尻尾の火が消えかかることがある。

 

それは大事な人に裏切られた時かもしれないし、

何が別の出来事かもしれない。

 

しかし、それをある人が

守って、助けてくれるのだ。

 

自分は精神疾患になって以降、

身をもって、自分がヒトカゲとして、

他の人に助けられる経験をした。

 

ヒトカゲは、ヒトカゲでいる間は

「かげ~」と弱弱しい、愛くるしい鳴き声で、

火を吐くしかできなかった。

 

しかし、サトシとともに

成長していく中で

リザードリザードンに進化して、

強くなっていく。

 

自分の中の進化であり変貌の原イメージは

ここにある。

 

話は変わるが、

たまたま、今週、

アンデルセンの「マッチ売りの少女」を読み、

誰しも心の中にマッチを持っている、と

分かったのは、

それ以前に、このポケモンの物語を、

体感していたからにほかならない。

 

宮沢賢治にしろ、その他多くの歌い手たちにしろ、

「火」や「炎」のイメージは、

その人の「命」や「力」に

直結する。

 

それをどう消さないか。

 

どうつけるか。

 

ひとりひとり、火のつけ方や、

消さないようにする仕方は違うだろう。

 

ただ、経験を通して言えるひとつのことは、

「人から何かを託された時、

人は心の内に、見えない火を灯す」

ということだ。

 

それはどんな小さなことでも。

 

もっといえば、悲しい出来事であったとしてもだ。

 

それを知るとき、

自分の成長というより、

成熟を感慨深く思うのである。